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『thaw』 時代を越えても変わらないもの

(この記事は岸田さんによる『thaw』のセルフライナーノーツを読む前に、買ったばかりの『thaw』を聴きながら音楽素人の中の人がただがむしゃらに書きたいことを書いた記事であることを前提にお読みください。)

私は、いまくるりの新譜を聴いている。

まずその事実に、喜びが込み上げてくれる。

「生きて、くるりの新譜を聴くことができたね」。

こういう時代だということもあって、純情息子の一人ひとりとそう言いながらハイタッチして回りたいくらい(もちろん感染拡大を防ぐためエアで)。

発案から1ヶ月で配信に漕ぎ着けてくれたくるりとそのスタッフさんたちに感謝しかない。ライブができなくなって悲しいのは、ファン以上にくるりの皆さんだろう。ツアー中止という悲しむべき出来事。しかし、それに代わる、いやそれに勝るとも劣らないプレゼントを私たちに用意してくれた。

アルバム『thaw』は、岸田さんはじめ佐藤さん、ファンちゃんも言っていたように、これまでの未発表曲を納めた、録音したのにアルバムやシングルからこぼれ落ちた曲たちをまさにタイトル通り「解凍」(thaw)したものでくるりの解凍盤と言ってよいだろう。佐藤さんが言うように「2~5人」に増減するくるりの歩んだそれぞれの時期に産み出され録音された作品たちだ。

1. 心の中の悪魔
まず『心の中の悪魔』はそのイントロから心をぎゅっと掴まれる。
岸田さんの消え行くような呟く歌声と歌詞も琴線に触れてくるが、アルバム『魂のゆくえ』で感じた佐藤さんの磐石で実は優しいベースの音に全部持っていかれてしまう。『魂のゆくえ』期では「言葉はさんかく こころは四角」(Single ver)が顕著であったが、これもまた佐藤さんあったかプレイリストに勝手ながら登録されることになるだろう。

2. 鍋の中のつみれ

タイトルから気になっていた『鍋の中のつみれ』のピアノは三柴さんだろうか、世武さんだろうか。おそらく後者だろう。メロディラインとは独立したように鳴るピアノの音が、孤独と寂しさのなかにある誰かに目には見えねど付き添っている存在のように響いている。

3. ippo

『ippo』は最初の「う~」でライヴで聴いたことある!とそれこそ記憶が解凍された。おそらく震災後に加入された吉田省念、田中祐司、ファンファンのお披露目がなされた恵比寿リキッドルームでの純情息子限定ライヴだったと思う。あのときはまだ(いやいまだに)言葉にできないものを、必死で言葉にしようとする、新しいくるりの姿を見た気がした。

4. チェリーパイ

『チェリーパイ』はたしかにこれはどこのアルバムに入れるかわからないほど、一曲で濃厚な印象を残す曲だ。まさにチェリーパイのごとくカロリー多め、うねるベース、アウトロ長め、あと最後に『東京』のアウトロコーラスをサンプリングしてる?一曲でアルバムのような曲。

5. evergreen 

『evergreen』は省念さんのチェロとファンファンのトランペットが入ってるところから、4人時代のくるりの楽曲だろうか。『o.A.o』や『my sunrise』に通じる爽やかな印象と未来への憧憬のようなものを感じる名曲。初めて聴いて泣いてしまった報告が中の人のみならずタイムラインに溢れ返っているが、きっと何度聴いても泣く。時系列ではなく並べた曲順の妙。

6. Hotel Evrope, 7. ダンスミュージック

『Hotel Evrope』『ダンスミュージック』は、くるりがまだこんなインストの隠し玉を持っていたのかと、思わずほくそ笑んでしまった作品。途中で鳴り始める軽快な口笛がまるで泣きながら踊っているようである。悲しみと踊りは別個ではなくて、表裏一体なのかもしれない。口笛音楽と言えばPeter, Bjorn & John"Young Folk"が長らくその首位を我が物顔にしていたが、それを塗り替える日も近いかもしれない。知らんけど。しかし、この水琴窟のような音は何の楽器だろう。

『怒りのぶるうす』〜『人間通』はCD盤が来た時に歌詞を読めるのが楽しみである。ちなみに中の人はモリタミュージックさんで注文しました。

『thaw』は冷凍庫から取り出され、ようやく解凍された。
私はこれがくるりからの手紙のように思えてならない。「昔僕が書いた渡しそびれた手紙/君とずっと一緒に居たいってね」(ハロースワロー)。
引き出しに入っていた封筒に入れっぱなしだった手紙を開くような感覚。そこには何が書いてあるのか怖くもあり、楽しみでもある。
冷凍食品は食べられなければ、手紙は読まれなければ、その役割を果たすことはない。ここに収録された曲たちは食べてくれる人を待ちながら発酵し、読まれる人を待ちながら腐ることもなく机のなかで待っていたのだ。それは食べてくれる人を持ち、宛先を持った曲であったからだろう。その発酵した味に驚いたり、あのときしまいこんでいた気持ちに気が付いたり、手紙を読んで恥じらったり涙したり、反応は人それぞれだと思うけど。

ひとつ言えることは、そのいずれの曲においても、すでに20年以上かけて世界に音楽を届けている彼らには、どの曲、どの時代においても変わらないものがあることを知ることができるということ。

それは変えなければならないものというよりも、もちろん変わっていく努力のなかでそれでも変わらなかった、くるりの軸のようなものを時代を越えた作品中だからこそ感じることができるかもしれない。

それは唯一どの曲にも変わらずにある岸田さんと佐藤さんというメンバーの強烈な個性でありそのぶつかり合いなのかもしれないし、もっくんをはじめとして共にくるりとして駆け抜けた(いまも絶賛駆け抜けている)メンバーの個性との化学反応だったり、あるいはそれらを越え出た何かかもしれない。ひとつ言葉にできるとするなら、くるりの楽曲において変わらないもの、それは作詞作曲した岸田さんやメンバー自身も意識するしないに関わらず滲み出てくる共感性かもしれない。

漠然としているけれど、「いつまで経っても 変わらないことは/確かなものなんてない」(キャメル)ようで、実は「変わらない」というその軸が「確かなもの」そのものではないかということ。そして、いま私たちはくるりの新譜『thaw』を手にしながら、自分自身がどこに立っているのか、転がっても転がっても決して変わることのない軸とは一体何か見つめる時を無理やりにでも与えられている。

くるりのアルバムは何回も聴くことで、まるでお気に入りのシャツのように生活に馴染んでいく。しかもそれはほつれたり伸びたりすることもない。きっと『thaw』もまたこれを聴くの生活に馴染んでいき、想像もしなかった時代を生きる私に寄り添ってくれる一枚になることだろう。


いつか初期衝動で書いたこの記事を読み返して恥ずかしくなって捨てたくなるかもしれない。でも日記は基本的には読み返さない主義なので、ここまで書いた勢いで公開してしまうこととする。しまいこんだら、きっと解凍するチャンスは巡って来ないと思うから。

いつの日か『thaw』リリースツアーなるものがもし開かれるならば、そこで生きて皆会いましょう。


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