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私的なクレドへの省察

更新:2020年5月11日

 怠惰な自身の本質を前面に押し出しnoteを更新しなかった4か月をそれっぽく表現すれば沈黙期間とでも私はいう。元来、沈黙期間とはIRで用いられる用語で決算情報の漏洩を防ぎ公平性を保持するために決算に関する問い合わせへコメントをしない期間のことをいう。
 なぜ私はnoteを継続しないあるいはできないのか断続的ではあるが思考させていた。その答えは断続ゆえに得られなかったが、しかし今日こうしてnoteを更新している。怠惰な人間性の副次的産物ともいえる。なお副次的を用いた理由は特にない。それっぽいという理由で用いているため意味はゼロに等しい。

省察概説

 さて、本題だ。先日、先輩と互いのクレドについて話し合う機会を設けた。お互い何らかの事業を作りたい泡沫な意志があり、事業を建てるならその前にクレドだとなったわけだ。
 議論中盤に私は計28個のクレドを、議論終盤に2人で計7個のクレドを練り上げた。今回はこの28個のクレドに着目して、どうして私はそのクレドを選別しえたのか省察していく。なぜ省察するか、それはクレドを議論してから約2週間経ち、改めてその言語化されたクレドにどのような意味を込めたか確認をしたかったのである。

そもそもクレドとは?

くれど【credo】(大辞林第3版より引用)
① ミサの式文の一。信仰宣言。「われは信ず、唯一の神」の句で始まる。
② 企業経営において、経営者や従業員が意思決定や行動の拠り所にする基本指針。 〔簡潔かつ具体的な表現を用いる点、作成や改訂に従業員が関与できる点、実務に直結する点などが、経営理念や社訓などと異なる〕

本稿では②について述べるが、長文なので行動指針とでも言いたい。なお二人の議論では行動指針を「関わる人にとっての補助線」とした。①についてはミサのタイトルにもなっている。ニーズはないが私のために残しておく。

では早速。28個の長い説明に移ろうとしよう。恐らく、あなたは3つ目あたりからスクロールして、タブを消すボタンまたは戻るボタンを押すだろう。最後まで読んだ場合、それは私の想像力があなたの行動力より劣っている証明となる。ぜひ誇らしげな顔をしてほしい。

1.原点回帰する

原点回帰とは「歴史は繰り返される。だから、歴史に立ち戻れ」というニュアンスで私は意識していた。常に、そう常にだ。全てとまでは言わないがあらゆる事象は別物に見えて実態は同型物である。ゆえに原点に回帰すれば、潮流や困難に向かうぐらいの心構えはできるといった発想だ。これはルネサンス時代やメディチ家に興味を抱いた大学2年生頃からのクレドだ。このクレドは(このあと何番目かで登場する)螺旋的理解といった思考にも影響を与えている。

2.意識の一番下で考える

これは2019年9月下旬頃からのクレドで、比較的新しいものだ。私の上司が寄稿した文章にあった「世界は落下している」というフレーズと当時科学史の授業で学んだデカルトの『省察』から思考を得て生み出されたクレドだ。
まだ思考が足りないのだが、いわゆる自分自身の深層で物事を考えようという意味になる。自分が過ごしてきた日々の生活で付着させた経験や感情などの集積された部分で考えようといった意味を私自身は込めている。

3.本質を見失うな

考えるといくつかの機会でこのクレドに至ったと思うがどれが最初か。あまりにも定着しすぎたクレドゆえに思い出せない。ただ大学1年の冬に参加したビジネスコンテストで審査員である人物がしきりに口にしていた言葉であるのは間違いない。(のちに私はその人物が代表を務める会社に入社するがこの話はまたどこかで)有能な人物から感化されやすくなる私ならではのクレドだ。意味は言葉の通りだ。本質は何かを常に考える、本質からズレたとしても振り返るために脳の一部にストックしておけという意味だ。あと25個は非常にきついし、めんどいし、やめたい。

4.論理は作れる

これは高校1年の授業で備えてきたクレドだ。私の在籍する国際人文科には「人文基礎」なる日本で唯一の授業が存在していた。(今も現存しているはず。この学科についてはまたどこかで記そう、いい学科だから、本当に好き)この授業で私は論理の成り立ちやルールを学んだ。また定義や原理原則の重要性を解かれた。いかに論理を作れば目的を達成できるかを思考する脳をここで授かった。どうしてか表層的な文章になってしまった。

5.倫理は必要

ここ数年でITの巨人たちを取り上げる記事で「倫理」という単語に触れてきてからこのクレドは形成された。高校生のときに選択授業で倫理が存在したが、人間生活には関係のない代物だと思っていた。しかし経済や企業経営の話題でも登場するようになってから興味を抱いていった。自分の興味に持ち込まれたものは何でも吸収したくなる本質のおかげだ。大学4年次、倫理を受講し、このクレドは決定的なものとなった。倫理なき行動や人格はただでさえ目に見えない欠落が存在する人間とりわけ私には不都合であると判断したからだ。また倫理の歴史の一片に触れることで自分自身の省察の助けになることが昨年1年間で知った。毎年度の冬に5月病を長期で患っていた私が倫理を学んだおかげで多少はましになった。何か危ない商材を進めている気分だが、倫理はおすすめしたい。これで私は微弱な変化を得た。

6.社会は意識する

これは小学校6年生ぐらいからのクレドだ。6年生のはじめ、私は歴史好きがこじれて地域の歴史家の下で勉強することになる。この学びが進むにつれて興味は歴史単体から歴史を内包する地域ひいては社会にむいていった。そして小さな社会(卓球部、生徒会執行部、クラス、合唱部、クラス、学科、生徒会本部)を経験する中で、その興味は自然な意識へと変化していた。社会を意識せずには行動ができない意識に。自己の快楽や欲求に対する行動よりも社会全体の効用や改善・成長が結果的に自己のアップグレードにつながるとも。親がよくいう「誰かに何かをすれば、いつかそれが自分に返ってくるから」精神の抽象化でもある。

7.最大公約数的解を求めよ

最大公約数など小学校と中学校でしか使わない概念だと思っていた皆さん。最大公約数とは整数の公約数のうち最大の数のことだ。塾講師としてこれを小学生相手に教えていたことと大学で学んでいた限界効用(説明はリンク先で)が連関されていくうちに登場した。自分のみならず関係者各自の解をたたき出すことが全体の調和につながり、この調和こそが適切な人間関係には必要だと本能的に感じていた私ならではのクレドだ。この解を出すには多くの時間と各自の一定数の能力を要するが解さえたたき出せれば、調和は長きに効果を発揮する。

8.思考と意識は蒸留する

多くの情報に接し、考えをめぐらす自分自身がなんでもかんでも発信しないように戒めを込めたクレドである。自身のプールに思考と意識をため込み、それらを蒸留し、その上積み液をすくい取ることが行動をよりシャープなものにすると考えているからこそのクレドだ。コロナが落ち着いたら蒸留所に出向いてみようと思ふ。

9.困ったら熟成させる

これは大学3年生のときに某シャポーで話題本として紹介されていた外山滋比古先生の『思考の整理学』から感化されたクレドだ。先生は寝かせ、熟成させることの必要性・必然性を説いた。中身は1000円出せばおつりつきで読めるので買ってほしい。私はこの本から困ったり煮詰まらなかったらとりあえず寝かせてみる。すぐには答えが出ないことやアイデアにとどまってしまっているものはメモに取るだけとって、いつか活かせるときが来るまで熟成させている。高速と高質が求められる時代だからこそ、長期でみたらこうした熟成が活きると私は確信している。

10.洗礼も大切だけどこだわりすぎない

これは高校から大学にかけて形成された緩やかなクレドだ。何かを作るとき思いのほかこだわりが自己から生まれてくる。しかしそれは時として不必要な領域まで差し掛かっている。こだわりを求めて洗礼しすぎた結果、なんだかよくわからない産物が生まれてしまう。私は小論文を書くと大抵この産物を生み出していた。この産物は他人からすれば不必要だったり時には嫌なものになってしまう。また世の中の潮流はより複雑かつ濃密になっているがゆえに即時即応が求められる。そんなときにこだわりがだの洗礼されていないだの言ってられない。捨てる時は捨てる。いわば断捨離の精神の現れでもある。

11.審美眼を絶やすな

これは私の思考や意識や性質に影響を与えた4人の男のうちの1人が貸してくれたマンガ『ギャラリーフェイク』の主人公藤田が持ち合わせる能力に感化されたクレドだ。何が美しいか、何が良いか悪いか、何が必要か不必要かの判断する眼、拡大解釈すればものさしが決断の結果を左右する。審美眼を鍛え養うことで自らに必要なものの取捨選択がよりよいものとなる。この漫画を借りてから私は頻繁に美術館に足を運ぶようになった。

12.美しいものがいい

これは美術館に足を運ぶようになった大学3年秋以降のクレドだ。これは10のクレドに相反するのだが、洗礼された美しいものがやっぱりいいという意味だ。美しいものを追求し続けたものはやはり誰かの心に引っかかるわけで、これは芸術品に限らずあらゆるプロダクトや行動でもいえる。自らの美しいという基準に見合うものを作り出せるように日々鍛錬を惜しまないことを意識させられるクレドだ。(「橋の上にオベリスクのある風景」「嵐の海」「波止場」)

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13.流動的に

これは大学2年次以降に受講した哲学や歴史学などでえたクレドだ。行動指針というよりか思考指針ともいえる。物事は常に流動的であり、固定はされない。変化をする。これを大前提にしなければ物事を見ることはできない。人間関係にも同じことは言える。同じ人間関係など存在しない。絶えず外部環境と個々人が接する因子によって関係値は流動的に変わる。

14.螺旋的理解

やっと登場した。なんのことかわからない人は1に戻ってほしい。そしてわかった人、よくぞここまで耐えて読んでいる貴殿をまずは文面上で称賛したい。このクレドも行動というよりか思考の指針だ。これはあるイベントの手伝いをしながら得た別様の着想を抽象化したクレドだ。このイベントではファンを増やすための努力や技術についてインフルエンサーが語ってる。この話からファンを増幅させるメカニズムとして螺旋的な様相が存在していると考えた。この着想をファン増幅のみならず経済思想史(『諸国民の富』の安価な政府とサッチャーやレーガンといった小さな政府的な政治が同型でありつつもより上位化されている点を私は螺旋的だと考えている。横から見れば成長であるが、上から見れば同じ位置に存在している)でも当てはめてみている。流動的な物事を螺旋状に並べてみる思考は共通項を見出すには有効な手立てと感じている。

15.調和は捨てない

頻繁に人の顔色をうかがい、そして世間体を気にしてしまう私ゆえのクレドだ。ただこのクレドははずせない。調和があらゆる展開を用意すると考えているからだ。調和があるからこそ、コミュニケーションが望め、アイデアを創出でき、気分を最低限以下に落とさずに済む。調和は、納得までは求めないが、一定の理解と不必要な介入しない姿勢で生まれる。ゆえにこれを乱すものは一発で分かる。発言と行動と表情で分かる。

16.再生(しよう)

これは先述したルネサンスの日本語訳でもある。私はこれに「~しよう」を合わせてクレドとしている。思うに私には22歳になるため放棄したり置いてきた姿勢がある。例えば図々しい姿勢、なんでもかんでも自分でまきとろうとする姿勢。これを再生しようと考えている。私以上の再生についてはまだ言及しない。

17.即興を忘れない

その場の空気やノリやメンバーのコメント・経験にあわせて即興する(様々なコメントやアクションを発する)。表面的には単純に笑えるコメントやアクションなのだが、咀嚼してみるといくつもの連想ゲームを脳内で瞬時に行って出されたものだとわかる。即興を忘れると他者からのイメージを意図的に作りにくくなる。また、その場の空気やノリから生まれた即興から偶発的なアイデアが生まれる。このアイデアが意図したアイデアを凌駕することは多くある。だから即興は忘れない。
これがクレドとしてある時点で固定されたことはない。次第に形成されたものだ。始まりは4歳か5歳の時なのは確かである。喜劇王チャップリンのビデオとダン・エイクロイドとジョン・ベルーシが主演の『ブルースブラザーズ』『ブルースブラザーズ2000』が私の即興性の原点だ。

18.積極的後退は時としてありうる

これは乃木坂46の松村沙友里が2012年10月14日の放送『乃木坂って、どこ?』で放ったフレーズ『妥協じゃないです。方向転換です』や『幼女戦記』『パトレイバー』を着想に大学3年生頃の塾講師の環境で固まったクレドである。常に攻めの姿勢だけでなく、時として次の攻めのための(つまりは積極的な)後退も選択肢として残しておくという意味である。実際にはまだ積極的後退をせざるおえない事態には陥ってない。

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19.破壊と創造

これは経済学部にいるならば一度は耳にするシュンペーターの『破壊的イノベーション』をそのまま自らのクレドにしたものである。破壊と創造というフレーズは島耕作に登場する郡山社長が初芝五洋HD設立記者会見で退陣する理由として挙げた社長としての信念であった。私自身もささやかながら破壊と創造をしてきた。破壊によって旧態のルールメイカーを引き下ろし、自らの手でルールを時代に合致する形で創造し、自らがルールメイカーとなる。ルールメイカーになりたいがゆえにこのクレドは存在する。

20.彰往考来

これはあの水戸光圀が大日本史を編纂した際のキーワードだ。意味は過去をあきらかにして未来を考えるだ。原点回帰や螺旋的理解や破壊と創造をクレドに添えると自然とこの姿勢も求められているような気がしていた。いずれにしても過去を明らかにするにとどまらず未来までも見据えているクレドである。ゆえにこのクレドが必要になる。ある種、クレドを補完するためのクレドとでもいえよう。この言葉はNHK大河ドラマ『徳川葵三代』で登場。

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21.補完は当然ありうる

20個目のクレドを正当化するかの如くのクレドだ。もはやハウルの動く城的なクレドといえる。ただ20のためだけのクレドではない。このクレドには物事は1つで完璧ないしは納得のいく状態を生み出すのは難しいときに活きてくるクレドだ。この姿勢がないと1つから要素のどれかを削り落とすか、1を誇大しようとしてしまう。物事は不完全であり補完されるものでもあるという認識が必要だ。これは人間関係でも商取引でも同様にいえる。社会はいまだ不完全ゆえに流動的に動いている。ゆえにこれがクレドになっている。

22.陰と陽

これは塾講師として国語を教えているうちにたどり着いた。何かを1つの点や線や面だけでは表現・評価をすることは危険であるから様々な視野・視座で見ようというクレドである。メリット・デメリット、光と影、表と裏、すべてを見てこそ表現・評価が可能となる。さらに、私に内在する陰の部分と陽の部分の比率調整こそが人間としての面白さを生み出し、他者からの興味関心をひいている。ゆえにこのクレドが失われては面白さに欠けてしまうのである。行動指針というよりかは思考指針だ。

23.遊びはなくすな

これは単純に誰かか何かで遊ぶことを表してはいない。遊びとは余裕だ。余裕がない人間や物事にはさらなる価値が付与されにくい。遊びを残しておくことで価値が付与される。常に自らに遊びがあるのか確認しながら、適度なガス抜きをしておく必要がある。遊びをなくすと他者に迷惑をかけてしまう可能性もあれば、面白いという状態を損なうこともある。このクレドは高校3年頃から芽生えだしたクレドだ。はじめは余裕のある大人なかっこいい程度のフレーズだったと思う。

24.解きほぐす

世の中の事象は複雑かつ多重構造化している。これを解きほぐしよりよい配置にする。大小関わらず何らかの課題を解決するときに意識するクレドだ。解決する前段階で解きほぐしいうなれば整理する時間が必要だ。1か所ごとに絡みをなくし、全体で俯瞰できるようにする。全体把握を一発でできないからこそこの解きほぐす作業を絶えず行う。解凍ともいってもいいかもしれない。これは塾講師として生徒と保護者の抱える課題に対処するようになった大学3年後半あたりから形成された。

25.分散と集中

なんでもかんでも集めればいいわけではない。集約の時代からカスタマイズするためにいくらかに分散する時代へとなっていると機能をそぎ落としたドコモの端末「NichePhone-S 4G」で感じ出した。分散した場所に個々が己の嗜好に基づいて集中していく。こうした社会を着想にしたクレドだ。この分散と集中はいわば全体調和の仕掛けでもあると思っている。全体の比重を考えて、どこに自らの意識と能力を分散するか。またどこに集中させるか。そうした姿勢を失わないことで調和がさらに全体で納得されるものへとなるのではないかと考えている。しかし、これは私個人だけが抱えていてもどうしようもないのまた事実である。この矛盾の解消はまたおいおいしたい。正直眠たくなってきた現在午前2時53分26秒。書き出して4時間半。

26.裏をかく

これは今年になってからのクレドだ。単に言えば誰かが想定した期待を超える意味である。上長や周囲が期待したことを超えることで、想像以上の期待と仕事が落ちてくる。裏をかいてかいてかきまくることで成長が見込めると考えている。まだ不完全で発展途上のクレドだ。

27.やらないことを決める

これは就職活動をする中でえた「御社がやらないと決めていることは何ですか?」というもうやる気0のようにうかがえる質問を着想にえたクレドだ。なんでもかんでもやっていてはキリがない。優先順位の即時判断も難しくなる。やらないことを決めておくことで成長を誘因する因子同士で思考と能力を共食い状態にせずにすむ。ただ新参者なら何でも吸収してなんでもやってみる姿勢も大切だし、忘れてはいけないとも思う。

28.虚栄を飼いならせ

これは経済学の父アダム・スミスの『道徳感情論』に登場するフレーズだ。経済思想史の講義で登場したこの本に魅せられ、学んだのがこれだ。そしてクレドとして意図的に採用した。28個中、最も未発達であり、体現した回数が低いクレドだ。ゆえに説明はURLに任せる。ただこの言葉は今後の自分に必要なものと強く感じたための採用している。

やっと書き終わった

読了おめでとう。ここまで読んだ人は絶対にいない。いたらむしろ驚きしばしの動揺に私はかられるだろう、あなたの見えぬ場所で。

今回、突然に私的なクレドを省察しようとした理由はすでに述べている。省察を終えての感想は本当に疲れたに尽きる。約5時間、自分と向かい合うのは大変だ。spotifyはついに英語の音声広告を流し始めている。

こうして自分と密に向き合うことで何かが変わるわけでもないが、仕事がだれそうになったりきついときの明瞭な支えになるのは間違いないように思える。本来はGW中に行えばよかったものをどうして日曜深夜から始めるのだろうか。

読者にはおすすめはできない行為であり、軽度の睡眠障害と仕事への影響が考えられる。上長、誠に申し訳ございません。明日のパフォーマンス最悪だったら2020年5月11日の私の責任です。経験上、そこまでパフォーマンスは落ちないと見込んで本稿を終わらせたい。

追伸:これは自己啓蒙でもなんでもない。ただの趣味の領域だ。自らを企業体に見立てた壮大なお遊びだと心得てもらいたい。

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