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星降る夜の覚書。

最近、よく空を見上げる。

朝起きて、ベランダに布団を干すついでに手すりに肘を置き、雲の形や動きを眺める。
あるいは、今にも夕立を連れてきそうな、茜色に染まる少し不穏な雲と、その下にある青空との境界に向かって、数羽のカラスが飛んでいくのを眺めたりもする。

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目的はない。
たいていは何も考えずぼーっと見上げるだけだ。

思い返すと、日本中に自粛が呼びかけられた去年の春頃から、その回数が増えた。

SNSに空や雲の写真が投稿されているのもよく見かける。
昔から好きで写真を撮っている人もいるんだろうし、今放送中の朝ドラに影響を受けて興味が湧いた人もいるかも知れない。
それでもなんとなく、空を見上げるときの心境は、案外みんな似てるんじゃないだろうか。
なぜそう思うかといえば、あの日の夜もそうだったからだ。

3年前の9月6日、深夜3時過ぎに強い揺れを感じて目が覚めた。
たいていは数秒間じっとしていれば済むのだが、その日はいつもと違ってなかなかおさまらなかった。
このまま仰向けになっていたら体が持っていかれると思い、布団の中で肘と膝を床につけて、全身に力を込めた。
体感で20秒ほどしてようやく揺れがおさまると、ガクっと力が抜けてそのままうつ伏せに寝そべった。

隣の部屋で寝ていた母も目が覚ましたらしい。
心臓はまだバクバクしていたが、ひとまずお互いの無事は確認できた。
目に見える範囲で被害も特に見当たらなかったから、「今日のはでかかったな」くらいの軽い気持ちでもう一眠りした。

その日は朝から仕事だった。
6時にセットしていたスマホのアラームで再び目を覚まし、いつも通りトイレに向かう途中、台所の炊飯器が床に転がっていることに気付いた。
結構な音がしたはずなのに、私も母もどうして分からなかったのだろう。
寝ぼけながら先ほどの地震を思い出し、規模を確認するためにリモコンの電源を押したが、テレビは何の反応も示さなかった。
どうやら停電しているらしい。

スマホで状況を確認すると、私の住んでいる地域は震度5弱、震源近くの胆振東部では最大震度6強を観測、と書いてあった。
これほど大きな地震が北海道を襲い、しかも自分がその中にいることに驚きはしたが、あまり焦りはなかった。
とにかく仕事に行かなければ、という思いの方が強かった。

支度を整えて7時過ぎに外に出た。
なんとなく違和感を感じたが、家の周りはいつもと変わらないように見えた。
最寄り駅の向かいにあるコンビニの前を通ると、真っ暗な店内から外へ向かって長い行列が出来ている。
店から出てくる客のビニール袋には、大量のカップラーメンとペットボトルが詰め込まれていた。
なんとなく普通ではないことが分かってきた。

駅の改札には人だかりができ、どこかに電話をかける人もいれば、窓口の駅員と大声で話している人もいた。
発車時刻を告げるはずの電光掲示板は真っ黒で、当面電車は来ないようだ。
駅前のタクシー乗り場にも長蛇の列が出来ていたが、肝心のタクシーは一台もおらず、ぼーっと立って待つ人だけがひとり、またひとりと増えていった。

始業時間にはまだ余裕があったが、このままでは間に合わなくなるかも知れない。
一度家に戻って、自転車で職場へ向かうことにした。
自転車を漕いで再び駅まで来たとき、朝家を出たときに感じた違和感の正体に気付いた。
半分眠っていた脳が、ぐるぐると高速回転を始めた。

街中の、ほぼすべての信号機が消灯している。
車も走っているし、自分と同じように自転車でどこかに向かう人がいる。
それらを安全に誘導するための装置だけが欠けていた。

この状況で車が走っている事自体ありえないのに、交差点の四方にいる車は互いに直進や右左折を譲り合い、何事もなく走り去っていく。
「日本人だなあ」とのんきなことを考えながら、一時間弱かけて職場にたどり着いた。

勤務する商業施設の中は照明が点いていた。
予備電源みたいなものかと思いながら事務所に向かうと、既に出社している社員がいた。
今日は休みのはずだったが、彼は「店の中がどうなっているか気になって」と出社の理由を明かした。
彼は私より年上ではあったが、立場上は部下だった。
途端に自分が恥ずかしくなった。
再び脳が高速回転し、かろうじて「二手に分かれて店内を見て回りましょう」と提案した。

ニュースで見るような、商品が散乱した状態を想像していたが、書籍が数冊床に落ちていた程度で他に目立った被害はなかった。

やっとのことでタクシーを拾ったという上司2人が到着し、手分けして全従業員への安否確認を行う。

電話がつながった従業員は3分の1ほどで、残りはまったくつながらない。
既にその日と翌日の臨時休業が決まっていたが、従業員の安否が確認できない以上帰るわけには行かない。
朝9時までねばったところで固定電話の電源が落ちた。
ビルの予備電源が限界に近づいているらしい。
自分たちのスマホでできる限り着信を残し、ひとまず撤退することにした。
一度家に戻り、午後にまたどこかで落ち合い、その間連絡があった従業員の情報を共有しようということになった。

家に帰ると、近所に住む長兄の家族が来ていた。
兄の家は電気だけでなく水道も止まっていて、ご飯を作ることも出来ないらしい。
コンビニやスーパーは、並ぶ気が起こらないほどの混雑具合だったから、兄と義姉と子ども3人、それに私と母の7人で戸棚にあったインスタントラーメンを食べた。

停電は北海道全域に広がっているらしく、復旧の目処は立っていない。
コンビニに詰めかけた客の目的は食料品や飲料水だけでなく、長期間の停電に備えるための乾電池やスマホの簡易充電器だった。
二度寝して、生きるための行動に遅れをとったことを、その時になって後悔した。

午後1時過ぎ、信号の消えた道をおそるおそる運転して上司たちを拾い、安否確認の続きを行った。
相変わらず電話はほとんどつながらない。
これ以上スマホの充電を消費するのは得策ではない。
従業員全員に、現在の状況確認と今後の営業についてメールを送った。
返信を待つこと以外、何も出来なかった。

一通りの作業を終えて上司たちを送り届け、家に着く頃には日が暮れようとしていた。
母が、わずかに残る夕陽を照明代わりにして本を読んでいた。
よくもまあこんな非常時に、しかもこんな心もとない灯りを頼りに本なんて読めるな。
口には出さなかったけれど、半分呆れ、半分は感心しながら黙って母を見ていた。
そういえば今日一日、書店員らしい仕事は何もしていない。

太陽が完全に沈んだころ、何の気なしにベランダに出た。
集合住宅の5階から見える景色はいつもとまったく違っていた。
駐車場の街灯、近くにあるタワーマンションの窓、パチンコ屋の看板、毎日この時間も煌々と光っているはずの、街のすべての灯りが消滅していた。

プロペラの音が聞こえて空を見上げると、小さく点滅しながら移動するいくつかの光があった。
繁華街の方へ向かって飛んでいく。
自衛隊か、あるいはテレビ局のヘリだろうか。
テレビ局だとすれば、おそらく灯りの消えた札幌の街を空撮しているのだろう。
その映像を、ここで暮らす人々は見る術がない。
情報を、今一番欲しているはずの人々だけが見られない。
その状況が意味不明すぎて、不謹慎だけどちょっとおかしかった。

ヘリが遠ざかって行くのを見ていると、また別の光が目に入ってきた。
今度は動かないし点滅もしない。
目を凝らしていたら、瞬く間にその数は増えていった。
下の方から話し声が聞こえる。
「すごいね、星」
「ねえ、こんなに見えることないよ」
てっきり同じ部屋の住人が話しているのかと思ったが、影をよく見るとお隣さん同士がベランダから互いに顔を乗り出して話をしていた。
さらにあちこちの部屋のベランダから何人かが、同じように空を見上げていることに気付いた。

この状況がいつまで続くか分からない。
明日はどうなるんだろう。
そんな不安をほんの少し忘れられそうな、自然が作り出す美しい夜景を、しばらくの間ぼーっと見上げた。

電気の復旧には地域差があり、私の家は翌日の夕方になってようやく灯りが戻った。
同じ日の午後には従業員全員の無事が確認できたが、相変わらず停電や断水が続いている家もあるらしい。
一部の地域では地割れや液状化が起きていて、以前の生活に戻るにはまだまだ時間がかかりそうだった。
店は地震発生の翌々日から営業を再開したが、電力の安定供給を図るために節電が必要とかで、2週間ほどは時短営業となる。

東日本大震災が起こったとき、有名なプロスポーツ選手やミュージシャンが、「今自分に何ができるのか」と疑問を抱いていた。
当時大学生だった私は何かでそのような記事に触れる度、「悩む暇があったら、そのスポーツや音楽で励ませばいいのに」と思った。

けれど自分が間近で同じような体験をして、必ずしもそうじゃないことが分かった。
同時に、学生のころの自分がとても軽薄な人間だったと気付いた。

自分を含め、災害の真っ只中にある人たちに今必要なのは、食料品や飲料水であり、ティッシュペーパーや携帯ラジオであり、乾電池や携帯電話のバッテリーであって、私たちが普段扱っている「本」ではない。
非常時にあって、いわゆる娯楽は、人々が生きる上で優先されるものではないのだと、あのとき思い知らされた。

3年経った今、世界はいつ終わるとも分からない別の「災害」の真っ只中にある。

殺風景な家の壁やパソコンの画面に向かいながら、私は時折、あのときとは少し違うことを考えてみる。

多分私たちの仕事は、「今読みたいから読む人」のためだけにあるのではない。
例えばいつかまた、あの日々と似たような精神状態に陥りそうになったとき、決して負けない強い心を持ちたいと願う、多くの人のための仕事でもある。
あるいは、二度と同じ過ちを繰り返さないための強い意志を持とうとする、多くの人に向けた仕事でもある。
すべての人々が未来を見据えて強く生きていくための、手助けをする仕事なんだと。

しかし、考えるほどに頭の中がごちゃごちゃして、収拾がつかなくなってくる。
そんなときはベランダの戸を開け、柵に手をかけて、ぼーっと空を見上げるのだ。
すべてが暗闇に包まれるのはもう懲り懲りだが、降るような星空に、一瞬でも不安を忘れられたあの夜を思い返しながら。

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