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たくさんの、たくさんの「わたし」たち

寝て起きたら、また新しい自分になる。そんなわけはないのだけど、部分的には、けっこう本気で信じている。

自分ひとりで出来ることは、多くもないし、すごくもない。

けれど、たとえば、昨日書き留めた文章を、今日あらためて読んでみると、ほとんどかならず、直したいところが見つかるのだ。

そういうとき、あ、自分は変わっているんだな、と思える。信じられる。

昨日は雨で、今日は晴れたから。
昨日はお腹が空いていたのに、今日はあんまり食欲なくて。
昨日はなんだか人恋しくて、今日は誰にも会いたくなくて。
昨日は口紅つけていたのに、今日は寝ぐせも直さなかったり。

やっぱり、わたしは日々、変わってる。そう思うと。
となりにいるわたしが、こくりと頷く。
ただの気のせいだよ。また別のわたしが言う。
信じればなんでも力になるしね。と、わたし。
もう早く寝たら? と、わたし。
芋虫飼いたいな。えっ? わたし。
あー、おならしたい。してきなさい。
あー、掃除したい。はい、たわし。

それから、数日が経ち。
わたしの手元には、とても短い文章が、ちんまりと、ある。
その頃には、わたしたちはきれいな円になれるくらいに増えている。文章を囲み、手をかざし、冬の日の暖炉のように愛でたりしている。

ふと、ひとりのわたしが、たわしを手に、「お風呂洗ってくるー」と言って、行ってしまった。

ああ、もう夜になるんだね。

わたしたちはどこへともなくちりぢりになり、文章は、ぽつりと残された。たくさんの「わたし」たちから伸びていく線が、かさなりあった場所に。それから、力が抜けたみたいに、その場所に腰を下ろす。ずいぶん緊張させちゃっていたみたい。ごめんね。

そうして急に、間延びした声で、つぶやいたりする。

「そうかあ……『ここ』なのかあ」

そうだよ、「そこ」なんだよ。

「わたし」たちは、頷く。



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