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「かなしい」よりもちいさな何か。たったひと粒の変化。それから、とっておきの大切について。
「かなしい」よりもちいさな何かが、いつのまにか積み重なって、身動きが取れなくなってしまうことがある。
いつもはやさしく包み込んでくれるものにも、取り囲まれて迫られてるような気がしてくる。
こんな風になることは、けして特別なことじゃなくて、誰しもに起こってしまうことなんだ。これから先も、きっと。
だから、ほんの少しずつなら、もっと好き勝手やってもいいんじゃないかな、と思うんです。「かなしい」よりもちいさな何かの分くらいは、やりたいと思ったこと、もっとやっていこうよ、って。
今まで声をかけてなかった人に、声をかけたいなと思ったらかけたっていいし。
すれ違うとき、目を合わせて笑ってた人にも、そうすることが疲れた日は、目を伏せて小首を垂れてみたっていいし。
「いつもと違うことをして、いつもと違うと思われたらどうしよう…」と思ったら、無理しないでいつも通りでいいのだし。
◯
いちどきに何もかも良くなることなんてないのに、お正月とか、いくつもの記念日には決意を新たにして、あたらしいこころとカラダで過ごせるような気がしてしまう。
いっしゅんだけなら、本気でそう思えたりするけれど。
じっさいに変えられるのは山盛り変えたいことのうちの、たったひと粒だけ。そんなひと粒変えるのだって、ほんとにたいへんなんだ。
こういうこと、大切だと思ってるのに何度も忘れてしまうので、思い出すたびに書き留めておこうと思います。
それから、わたしのとっておきの大切は、わたしだけにしか見つけられないんだと、ひとまずは信じてみようと思っています。
…あとでそのとっておきを、ふいに誰かと分かち合えてしまったとき、嬉しくってたまらなくなるからです。