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A4判化とB5

平成のはじめの頃だったろうか、職場からB5がなくなり、A4に変わった時期があった。

辞令用紙がA4になり、だだっ広く思われる紙面に小さく感じられる文字があり、バランスの悪さを感じた。職場の広報誌がB5からA4に変わると同時に内容やレイアウトも一新された。会議資料も大きくなったのに従って、文字数が増えた。増えてもパソコン普及により、抵抗なく内容がふくらませた。

A4用紙は大きいので、B5より手に持ちにくい。カバンに簡単にしまえたB5冊子がA4になり、しまいにくくなった。「B4,B5は便利な大きさだったのになあ」と言う人がいた。これは、誰しもが抱いた感想だと思う。

A判は、ドイツの物理学者オズワルドが考えた規格で、国際標準規格(ISO)になっている。
A判の縦横の比は、白銀比で、1 : √2である。半分にしても縦横の比1:√2は変わらない。何回半分にしても相似が続く。長い辺を半分にすると長辺と短辺の比は、同じように1 : √2になる。
(√2×1/2): 1=1 : 1/(√2×1/2)=1 : √2

一方、B判は、日本標準規格(JIS)であるが、美濃和紙の判型に起源があるという。尾張藩が美濃和紙を採用し、これが江戸時代の公用紙になった。一般には、障子紙に使われてきた。美濃和紙の半紙は、9寸×1尺3寸(273×395mm)。縦横の比は1: 1.4468で白銀比に近いといえる。(JISのB判で縦横比1 : √2)

奇しくも東西で白銀比の用紙が作られた。
半分にしても、紙の形が変わらないようにしたい。そして、縦横比を工夫して編み出す。これは、人間は、どこにいても同じような発想をする証だ。

「行政文書の用紙規格のA判化に係る実施方針について」 (平成五年一月八日) (総第三号)があり、その頃、A判化が進められたのが分かる。何故、A4化を国は推進したのだろうか。海外との文書のやり取りが多くなると、2つの判型を維持することで効率が悪い、ひとつにすれば、事務負担は少なくなるということだったと推測する。

やはり、黒船なのだろう。国際標準とはまさに不思議な現象である。各国それぞれの規格の中から、何を国際標準にするかとなると、経済力や国力のある国やグループの規格が採用される。欧米で生まれた規格が全世界を席巻していった。A4判化ひとつ見ても、それが明治維新以降の文明開化の流れのひとつに思われてならない。




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