芥子の実
「武士に二言はない」という。「嘘は泥棒のはじまり」という。二枚舌は嫌われる。言うことがコロコロ変わる人は、信用されない。これらはすべて人間関係の表層的な話である。自分自身の信用のために正直であろうとする。
それと対にある言葉に「嘘も方便」がある。
時に状況に応じた臨機応変な対応が必要なことがある。その結果、表面的には矛盾した対応のように思われるかもしれない。しかし、こちらの方が人間関係の本質をついている話が多い。
子どもをなくして悲しみに暮れる婦人が釈迦のもとに行き、子どもを生き返らせる薬を乞い願う。釈迦は、それに応えて、婦人に死者を出したことのない家から芥子の実をもらって来れば、死人を蘇られる薬を作ってあげようと言う。婦人は、家々を周り芥子の実を請い、人が亡くなられたかどうか、その有無を問うのだが、どの家の人も悲しそうに否と答えるのだった。そして、人の死が自分だけの災難ではないことを知り、子どもを亡くしたことへの婦人の悲しみは和らいでいった。
この釈迦の方便は「嘘も方便」とも言われる。方便とは、手段である。この場合、子を亡くした悲しみから婦人を救うことが目的であり、目的のために芥子の実の譬喩が使われている。人を救う方法は、その人に即して行われるべきなので、そのために多種多様になる。言うこと為すことが相手により変わるうるが、その人のためという点で普遍的である。己の信用のために嘘をつかないという倫理がある一方、人のために嘘をつくことがある。「嘘は泥棒のはじまり」は一面の真理でしかない。
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