ソマリア海賊の海を行く
モルディブ諸島のマレを出てからモーリシャス島に至るまでの間は、ソマリアの海賊に襲われるかも知れないというので、船内から賑やかさが消えた。ひっそりとした日々が続いた。
避難訓練
モルディブに着く前の日に、船室に避難する訓練があった。普通は甲板に避難するのだが、今回は反対だ。
9:50に「まもなく避難訓練が行われます。ブラボータンゴの合図で船室に戻るように」との放送がスピーカーから流れた。10時過ぎ、いよいよ本番、10:07に「ブラボータンゴ、ブラボータンゴ、ブラボータンゴ」と3回続いて、汽笛がなった。「速やかに船室に戻り、カーテンを閉め、窓から離れて下さい」という放送が流れた。さらに「これから海賊警戒区域に入った」との放送。10:20に訓練終了の放送。英語で、"This is drill"、「これは訓練だ」の意味だ。
事前説明会
海賊警戒区域に入るにあたり説明会があった。
警戒期間は、12月6日午前10時から12日午前8時まで。
夜間にデッキに出ることは禁止、オープンデッキのある部屋は外に出ること禁止、出て喫煙したらタバコの火で存在が海賊に悟られる。
もちろんカメラフラッシュ禁止。
部屋の窓のカーテンは閉める。
とにかく、船の存在が知られないようにひっそりと航行する。もしも、海賊船が襲撃してきたら、銃弾が窓ガラスを破り、室内も危険なので、壁側やトイレに身を隠すように。
こんな説明であった。
ソマリアの海賊
ソマリアの海賊について、こんな説明を受けた。確か話し手は、ジャーナリストの松本仁一さんだった。
ソマリアの海賊は、1995年頃から頻繁に現れる。内乱により社会が混乱し、鉄道等輸送手段がない、市場もない状況になる。漁師が魚を獲っても売る手段がない。治安が悪くなり、自衛を余儀なくされる。そのような時にカラシニコフ銃等が出回り、簡単に手に入るようになった。漁師たちは海賊と化して、小さな漁船で商船を襲い、身代金目的にクルーを人質に取る。客船は余り襲わない、何故なら人質が多いと村の家々に置くのに困るからだと聞いて安心した。ただ、客船だと分かると腹いせに銃を撃っていくこともあるらしい。
2011年から海賊の回数は激減した。理由として、各国海軍の護衛、武装警備員の乗船などの防衛措置が功を奏し、各国がソマリアの復興支援に力を入れたことがあるという。
海賊区域の中
夜になると灯りが外に漏れないように暗幕が船内の窓に貼られた。黒装束で身を覆い隠したクルーズ船は、暗黒の海を這うようにして南へと進んだ。
早朝は、船内ホールで太極拳に参加、日中は、食事をしたり、船内を歩き回り、明るい太陽の下、海賊のことは忘れられる。しかし、夜になると窓の暗幕が目に入り、船室に帰ってもカーテンが閉められ、ベッドに横たわりながら、海賊が襲撃することを想像した。襲われたら銃弾を避けてトイレか浴室に逃げるか。もともとは普通の漁師たちだということが不安を和らげてくれる。
赤道を越えた
そんな中、9日19:54に赤道を越えて、南半球に入った。翌日、赤道祭が開催され、赤い服を着ての記念撮影があった。正午近くにデッキに出て照明灯のポールの影を見ると、影がわずかだがあった。南回帰線付近で影がない現象が起きると聞いた。これから行くモーリシャスがそうなるか。楽しみだ。
海賊警戒区域脱出
そして、12月12日午前8時に無事に海賊警戒区域を脱出した。メモ書きでは、「日の出5:15、起床、すでに陽は海上にある。5:30デッキに立ち、海を見る。左舷方向に日輝く。晴れ、雲湧き上がり風強し。6:00太極拳始まる。6:30ラジオ体操」 海賊警戒中は船内でやっていた太極拳やラジオ体操を再びデッキでやれるようになった。
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