良い人さまざま
良い人には、客観的に良い人と主観的に良い人がいるようだ。
客観的に良い人
子ども頃、近所に愛嬌をふりまかない、取っつきの悪い婦人がいた。その人のことを「見た感じはそっけなくても話すといい人だね」と母は言った。その言葉から、婦人は人に愛嬌を振り向かない飾らない人柄だったのだと感じた。母は、「取っつきにくい人だが、知れば良い人だと分かることは、とてもうれしい」と言っていた。
確かに今まで自分に愛想がなかった人が実際に話をしてみると良い人だと分かることは、とてもうれしい。その反対に良い人と思っていた人のいやな面を知ることは悲しい。そういうことも母が言っていた。この良い人というのは、客観的に良い人なのだろう。自分だけが良いと感じるだけでなく、多くの人からも良いと思われる人であるに違いない。
主観的に良い人
昔、良い人というのは、自分にとって良い人のことだと明からさまに言った友人がいた。客観的に良い人というのではなく、自分に良くしてくれる主観的に良い人という意味で、つまりは自分を好いてくれる人ということだ。自己中心的な思想であるが、考えて見れば、幼児が親に愛情を抱くのは自分に良くしてくれる最良の人だからだ。良い人というのは、相手を大切にする気持ちと行動の結果、相手から自分を良くしてくれる人と思われる人である。
良い人ということについて、母と友人の言ったことを書きとめて整理しようとしたが、考え出すとなかなか厄介なテーマだということが分かった。大げさにいうと、一方は人類愛につながるもの、他方は男女愛、家族愛ということなのだろうか。筆はここで止まった。考えているうちに頭が痛くなった。
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