「あをによし寧楽の京師は」平城京に帰りたい
万葉集巻3-328から始まる一連の歌には表題がないが、天平元(729)年に奈良から大宰府に着任したばかりの大宰少弐小野老の歓迎の宴と考えられ、小野老のあおによしの短歌から始まっている。宴会に参加した者たちの心情が述べられていて、その様子を自由に想像してみるのが楽しい。
大宰府に着いたばかりの小野老に大宰帥大伴旅人が「近頃の奈良の都の様子はいかがかな」と尋ねた。
「奈良の都は今はあちあちで花が咲き、香りが漂っています。咲きほころぶ花のように奈良の都はにぎやかなことです」と小野老は歌をもって答えた。
あをによし寧楽の京師は咲く花のにほふがごとく今さかりなり
「大王が統治している国の中でも奈良の都が格別に恋しく思われます。藤の花が盛りになりましたな。大伴の君はさぞや奈良の都を恋しく思われていることでしょうね。」と防人司佑大伴四綱。
やすみしし我が大君の敷きませる国の中なる都し思ほゆ
藤波の花は盛りに成りにけり平城の都を思ほすや君
大宰府大伴旅人
「わしも盛りを過ぎて、またまた衰えていくわ。おおかた奈良の都を見ないで終わりそうだ。昔見た象の小川にまた行って見たいものよ。永遠の命であったらな。浅茅原のつばらつばらに(しみじみと)思うと、本当にふるさとが懐かしく思われるな。忘れ草を紐に付けてるのも香具山の辺の故郷を忘れないためさ。わしの大宰府の勤めも長くはないだろう。帰る日まで夢のわだが瀬にならないで淵のままであってくれよ。」
吾が盛りまたおちめやもほとほとに寧樂の都を見ずかなりなむ
我が命も常にあらぬか昔見し象の小川を行きて見むため
浅茅原つばらつばらに物思へば故りにし郷し思ほゆるかも
わすれ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れぬがため
我が行は久にはあらじ夢のわだ瀬とは成らずて淵にありこそ
「そんなに奈良の都に帰りたいですか。筑紫で取れた真綿はまだ着たことはありませんが、暖かく見えます。ここも良い所ですよ」と観世音寺別当である沙弥満誓は言う。
しらぬひ筑紫の綿は身に付けて未だは着ねど暖かに見ゆ
すると山上憶良が「そろそろおいとましましょう。子どもが泣いてましょうし、妻も私の帰りを待っていますから」と立ち上がった。
憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も吾を待つらむそ
宴会はここで散会になったと考えられているが、これに続いて大伴旅人の酒を讃める歌があり、愚痴を言う旅人に沙弥満誓が諭すような歌がある。
大伴旅人
「考えても仕方のないことは考えないで一杯のにごり酒を飲むのがいいよ。賢く真面目くさって話をするより酒を飲んで酔って泣く方がまだましだ。黙って賢そうにしているのは、酒を飲んで泣くには及ばないわ。」
験なき物を思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあらし
賢しみと物いふよりは酒飲みて酔泣するし勝りたるらし
もだをりて賢しらするは酒飲みて酔泣するになほ若かずけり
そんな旅人を諭すように沙弥満誓
「思うようにいかないのがこの世というものです。その世の中も譬えてみれば、明け方に漕ぎ去った船の跡が消えて無くなるようなものです。儚いものでございます」
世のなかを何に譬へむ朝開き榜ぎにし船の跡なきごとし
文句や不平ばかり言う上司を持つと苦労するのは、今に始まったことではないようだ。
【写真は大宰府政庁跡にある都督府古跡の碑】
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