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祖母の手紙の下書き

祖母の手紙の下書きだが、断片なので、推測しかできない。(1)〜(3)は同じ菖蒲の用紙を使っているので、同じ時に両親や幼なじみの松本こと子に出した手紙の下書きだろう。

(1)では、指折り数えれば5年昔(いつとせむかし)とあるが、ずいぶん昔のことと思えるの意味で、学校を出て、春に奉公に上がった時には山桜の花が咲いていたが、今は葉桜になった頃なので、数日後の便りの下書きらしい。「戸田様」は奉公の仲介者なのだろうか。そうならば、戸田宅で父母と別れ、奉公先に行ったことになる。

(2)では、「佐々木方へ上る折迄は、父母の膝下であまえていた身なので、さぞや奉公はつらいことだと覚悟していたが、思いの外、御主人はじめ皆々様」とあり、佐々木家の人が親切にしてくれた等と続くのだろう。祖母が神田区西小川町の佐々木家(金融実業家の佐々木慎思郎)に奉公に上がった頃(多分明治33年)の手紙の下書きと思われる。

(3)で、会った時に浅草観音に一緒に行き、楽しかったとある。明治34年10月1日の幼なじみの松本こと子からの手紙で、「去年の市」に一緒に行き楽しかったことが書かれている。市は、一般に浅草観音の年の市をいうので、(3)は、松本こと子への手紙の下書きと考えることができる。

【手紙下書き】

(1 )戸田様にて御わかれ

皆みな
一筆申し上参らせ候拝 ゆびかぞうれば いつとせむかし 戸田様にて御わかれ申てよりは 心にもあらぬうち(ろ)たへし事 さるかたにゆるさせ給ふ先頃までは美しき花咲にほう山桜もいつしかかわりす(は)てたる葉桜のなかめとぞなりにける折からに 皆々

(2 )佐々木方へ上る折迄は

申てより佐々木方へ上る折迄は父母の膝下にてあまへ居し身ゆへ さぞやつらきと思の外御主人はじめ皆々様か
申てよりは

(3)其の節は浅草観音へ御供致し

お手紙楽く拝し奉候拝 先頃は参上致し見事なるおねまけ(き)いただき有がたく御礼申上候 猶々おやさしき御言給はりいとうれしう存奉候
其の節は浅草観音へ御供致し思いがけなきたのしみ 

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