汲み取り式便所からの生活変革時代
子どもの頃には、近くに田園が広がり、小学校の先は水田だった。水田を覗くとオタマジャクシが泳いでいたし、夜静かになると蛙の泣き声が家の中に聞こえてきた。オリンピックが過ぎても、足踏みの水車で水を田に引く光景が見られた。畑には肥溜めがあり、その匂いを田舎の香水と呼んでいた。東京の区部でも高度成長期になり建売住宅が田畑に変わるまでは、そんな風景が残っていた。
若い女性に旅人が連れられて着いた所に露天風呂があり、いい湯かげんだと満喫していると急に風呂が肥溜めに変わり、狐にだまされたと気づくマンガがあったが、肥溜めを知っているだけに面白味を感じた。
肥溜めの肥は、近くの人家から集められたものだった。江戸時代はリサイクル社会で、人家のトイレから汲み取られた人糞は、貴重な肥料として田園地帯に運ばれて活用されたが、有料で汲み取られて、それは長屋の大家さんの収入になった。江戸時代の大家さんは、持ち主から長屋の管理を任された管理人であったが、住民の相談相手にもなっていた、そんな大家さんの貴重な現金収入といったところである。
私の子どもの頃は、農家の人がやって来て汲み取ると小銭をおいていくといった江戸時代から続いている習慣がまだ残っていた。子ども心に便を汲み取ってもらい、お金をもらえることが不思議だった。
そのうち東京都清掃局がバキュームカーで汲み取りをするようになった。バキュームカーにつながる長いホースを便所の方にまわして肥溜めの蓋を開けて差し込み吸い取るのだが、家庭の便の状態により、清掃作業員が糖尿病患者を発見するということもあった。その後、水洗トイレが普及して、今では、バキュームカーを見ることがなくなった。
昭和は変革の時代といえるが、戦災から戦後復興、高度成長期に起きた社会生活の変化は、農業革命、エネルギー革命、情報革命に匹敵する生活革命だった。明治維新は、社会の基本部分の大変革だったが、庶民の生活様式はそれほど変わっていない。竈でご飯を炊き、井戸水を組み上げて飲料炊事に使う。洗濯はタライで洗濯板を使い行われていた。電気が来ても当初は電燈位であった。トイレも江戸時代と同じ汲み取り式便所だった。そういう生活が昭和後期に大きく変わった。昭和の生活は、生活遺産としてもっと記録されるべきものでないかと思う。