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私の富嶽三十六景

長年、東京に住んでいるが、ここから富士山を見たということは数える程しかない。それだけに富士山の勇姿は強烈な記憶として残っている。

子どもの頃は、南小岩小学校の2階の窓から秋になると富士山が見えた。当時は高層の建物が少なく、空気が澄んでいたので、地平の彼方に見えた。富士山が見えるねと言い合っていた。先日その話を平井出身の友人にしたら、やはり平井の小学校からも秋から冬にかけて見えたと言っていた。東京の東端の江戸川区でさえ、そうなのだから、江戸時代には廣重の浮世絵のように日本橋あたりからの富士山が見えたことが首肯できる。そういえば、多くの小学校の校歌には富士山が歌われている。私の出た小学校の校歌も「青空に澄たる富士を」で始まるものだった。

今では、富士山は正月の空気が澄んでいる日か、夕方の夕焼けを背景に、運がよかったら見られる程度になった。
最近見たのは、正月過ぎに船堀タワーから見た富士山、荒川河口近くの土手から夕焼けを背景にシルエットのように浮かび上がる富士山、清砂大橋からビルの谷間の狭い隙間から見えた夕方の富士山、そのくらいである。

東京を少し離れた場所だともう少し富士山がみられる。
柏市の広幡八幡の初詣からの帰り道に高台から見たのは、遠い記憶。
市川の国府台から見た夕方の富士山、秋から冬にかけて夕焼けを背景に富士山が浮かび上がり美しい。
大宮の彩の国東大宮メディカルセンターからは、雪が止んだ日で空気が澄みわたり、富士山ばかりか遠くに東京スカイツリーも見えた。
大宮駅から出ているニューシャトルの今羽駅から見た冬の富士山は最近の記憶である。

富士山が見られるのは、秋から冬の頃、空気が澄んでいれば昼間も、しかも視界の開けた場所という条件が満たされた時に限られている。
だからこそ、富士山を拝められた日は、良いことがあるような気分になり、益々富士山への崇拝が強くなる。

[写真は船堀タワーから正月にみた富士山]

2023.1.24

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