母の短歌 通信の学園に学ぶ少年ら
母が70歳近くになって通信制の高校に通い始めた。女学校に行かずに働いた母にとって高校進学はひとつの夢だった。
自宅でひとりで学習してレポートをきちんと提出していたようだ。国語と社会は苦ではなかったが、はじめて学ぶ英語には苦労したみたいで、特に英語の聞き取りが難しかったのか、会いに行くとリスニングの問題を手伝ってくれとよく頼まれた。
月に一度、NHK学園の本校のある国立まで通い、大勢の若者たちと机を並べた。働きながら学んでいる人たちばかりだったようで、時折クラスメイトの話をしていた。
体育の時間は、「見ていていいですよ」と言われたらしい。痩せこけたおばあさんがケガでもしたら大変だと思ったのかしらね、と笑って話してくれた。
通信の学園に学ぶ少年ら
イエスタデイを輝きて唱う
音楽の時間だったのだろうか。若者たちが唱う様子を「イエスタデイをこんなふうに体を動かして唱っているの」と話しながら、体をねじりながら仕草を真似していた。その時の印象を母は、こう短歌にした。
私も学園に学んだ当時の母の歳になった。あの時の意欲的に生きていた母と今の怠け者の自分とをつい比較してしまう。
母が亡くなって、母に来た年賀状を見ながら喪中はがきを出した。そうしたら学園の同級生からお線香とお悔やみの手紙を頂いた。それには、母の体育の授業の話が書いてあり、とてもガッツのある人だったと子どもたちに話している、と記してあった。高齢の母からクラスメイトたちは、少なからず勇気を与えてられていたのだろうか、元気に体育をする私の知らない母の姿があった。
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