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シニア料理教室の思い出

数年前に友人に誘われて、有名レストランが主催するシニア相手の料理教室に通った。受講生は、シニアの男性ばかりだが、皆、料理経験があるのか、手慣れた包丁さばきだった。

全員が半年後に週1回の講座を無事終えて修了することができた。

レシピは大切に保管したつもりなのだが、いざ見ようと思っても、どこにあるかは分からない。覚えていることといえば、ワタリガニを使ったパスタ(甲羅を上に乗せて存在感アリアリの料理)位。パスタを3分茹でたら、トマトソースの方に入れて更に煮込む、固さが残るアルデンテ食感のイタリアン。初めてアルデンテという用語を知った。

イワシの皮むきには難儀した。皮を剥きすぎて、身がほとんどない。「自分で作ったものは、自分で食べてよ」と言う先生の言葉は、私に向けられているようだった。

中華料理の鶏肉の油通しの後に更に油で炒めるというのも初体験だった。こんな手間のかかる料理は、家庭では2度とやらないだろうなと思う料理だった。

料理教室に通ったとは名ばかりで、ほとんど身についていない。ただし、記憶に残るいくつかの先生の言葉がある。

洋食と和食の両方の先生がいた。
洋食の先生が、人参をざく切りするときに、「大きさをそろえてな。大きかったり、小さかったりすると食べたときに、口がビックリするからな」と言うのには、なるほど~だった。

この先生は、塩をたくさん使う主義で、出来上がったポタージュに最後に塩を指先で摘まんで入れて、味見をする。足りないとまた摘まんで入れる。すると「美味くなった」と満足気であった。食べると確かに甘みが感じられて美味しい。

「家でも、『お父さん、そんなに塩を入れて』と家内から言われるが、『食べてみろ、旨い』からと食べさせると、『うん美味しい』と言っている。塩を入れると旨いんだ」と、塩分推奨派の先生だった。この辺りは、多分に価値観の問題だと思っている。

和食の先生の言葉で、心を打ったものがある。それは、「美味しい料理というのは、食べた時に美味しいと感じるより、食べ終わったときの後味の良い料理が本当に美味しい料理だ」という言葉である。出汁で味を出し、食材の味を活かす和食ならではの哲学を感じる。

食べて旨い料理が良いか、味は抑え気味で食べ終わった後の食感が良い料理が良いか。料理は、哲学だと感じている。

濃い味には慣れやすく、反対にうす味に慣れるには時間がかかると言われる。刺激的なものにはマヒしやすい。刺激が強い食べ物が旨いと思う現代人は多いかも知れない。料理とは、健康を維持する大事な要素だが、経済活動の側面を持っている。そのため、客が飛びつきやすい物についつい料理も変化してしまう。

昔、タバコや濃いコーヒーが好きな同僚がこう言った。
「体に悪いもの程、旨いんだ」
ひとつの真理だなと思う。

今改めて「食べ終わったときの後味の良い料理が本当に美味しい料理だ」という和食の先生の言葉を思い出している。 さっぱりとして後味が良いという考えにひかれている。



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