マチュピチュの誕生日
一度は行ってみたい観光地として選ばれることが多いのがインカ帝国のマチュピチュ遺跡だ。そしてマチュピチュに行った日が私の誕生日だった。
1 クスコ
前日には古都クスコを訪れた。クスコは3400メートルの高地にある。リマから一気に飛行機で上がるために高山病が心配だったので、高山病予防のために日本から薬を持参して飲んでいた。機内の隣席に座った人は、阪急交通のグループで、話を聞くと、昨日はナスカ泊、今日はウルバンバ泊、明日はマチュピチュ泊との事、われわれと似たようなコースだった。
空港を出ると、ケチュア族の婦人が2歳の子を背負って、つば広の帽子を売っていたのでひとつ買った。バスでクスコに着。アルマス広場を歩く。民族衣装を着た3人の女性が立っていた。ひとりはベビーアルパカを抱いている。写真モデルを業とするのだろう。1ドルで写真を撮らせてもらった。少女は、はにかんで後ろにひっこんでしまう。昔の日本人の子にも多かったな。そんな仕草に親しみを感じる。
クスコの街は、インカ帝国の古都の上にスペイン人が造った美しい街だ。美しさに目が奪われ、足どりは軽く、快適な観光を楽しんだ。アルマス広場の中央にパチャクテク(クスコ王国の9代皇帝)の像が立っている。街中をトラムという市電型のバスが走る。女性の車掌が明るく仕事をしている。太陽神殿(Qorikancha)の跡にサント・ドミンゴ修道院(Convento de Santo Domingo)が建っていた。石壁には大きな石が使われ、石と石は隙間なく、カミソリ1枚入らないと形容されている。中には12角形の大石があり、皆で頂点を数えて、やっと12角あったと喜んだ。インカ帝国当時の石壁が残り、その上にヨーロッパ風の建物が建ったが、地震の時にスペイン人が造った建物は倒壊し、インカ当時のものは崩れなかったことが、インカの民の技術力の高さを示しているという。
バスでオリャンタイタンボ駅に向う。途中ウルバンバのレストランmuñaにて昼食。地名が日本語の響きを感じさせるが、タンボは宿場(田んぼでなくて)の意味だそう。高度2800mにあるオリャンタイタンボ駅(Ollantytambo)からペルーレールに乗りマチュピチュに向う。列車は渓谷を走り、切り立った山脈が乗客の目を楽しませてくれた。二、三段の段々畑が見える。段々畑をアンデネス(Andenes)という。アンデスの語源と思いたいが確証はない。余談だが、アンデスメロンはアンデス山脈とは関係ないと聞いた。何でも日本の農産家が「安心です」からアンデスと名づけたとのこと。時折、遺跡らしき城壁が見えた。高度が下がるにつれて熱帯林となり、雨が降る。車内では、ドリンクサービスがあり、帰路には車内販売でベストを買った。やがてマチュピチュ駅に着いた。その日は、マチュピチュのホテル(Inkaterra Machupichu Pueble Hotel)に泊まる。主屋にはレストランや売店があり、奥の方にコテージがあり、コテージに泊まった。
2 マチュピチュ遺跡
今日は、いよいよマチュピチュ観光の日。朝食を済ませて、部屋に戻ると、「助けて下さい」という大きな声が聞こえたので、外に出て見ると、隣室の婦人が鍵が回らずにドアが開かないという。荷物が入っていて、バスの出発時間が迫り、婦人はパニックになっている。何度か試したが開かなかったので、フロントに電話してレスキューを頼んだ。しばらくしてスタッフがやって来てドアを開けてくれた。
マチュピチュ遺跡への自動車道が岩が崩れて不通になっているという。つづら折りの道を途中でバスを降りて、歩いて山道を上り、自動車道に出たら待機している別のバスに乗り換えてマチュピチュ遺跡に行く。段々畑とマチュピチュ遺跡が眼の前に見えた。マチュピチュ遺跡の最大の奇跡は、水をどこから引いているかということである。棚田の例をみるとその上方に森林帯があり、その保水力を使っているが、マチュピチュ遺跡周辺にも段々畑があるから、森の力を使っているに違いないが、遺跡までどういう水路があったか謎である。
マチュピチュ遺跡は、南のマチュピチュ山と北のワイナピチュ山の間の聖地にある。マチュピチュ山側から入るので、月の神殿があるワイナピチュ山はいつもよく見えるが、マチュピチュ山の存在に気づかず、マチュピチュに行ってマチュピチュ山を見なかったという人がいると注意されていた。入口で南極星石を見たいという婦人に地図を見ながらその場所を教えてあげた。
朝から腸の具合が悪い。これが高山病かと思う。高地→酸素が薄い→呼吸が苦しくなるという図式をイメージしていたのだが、全く症状の出方が違う。下痢で何度もトイレに行った。何となく、集中力と気力がない。遺跡内にアルパカがいた。人なれしておとなしい。横向きに見ると巨人の顔になるワイナピチュ山の形を楽しんだ。最初は我慢できたが、歩くと時々お腹が張ってくる。次第に注意力がなくなり、ガイドのゆっくりした案内について行けず、ひとりで歩を早めている。妻とも離れてしまい歩いた。入口で場所を教えてあげた南極星石を教えた本人が見なかった。石の神殿とマチュピチュ山が真南の方向に直線になる神殿にひとりでいた。ふたつの丸鉢のような石は、窓から太陽や月を映し出す水鏡に思われた。曇り空で何も写っていない。向こうの山を写したような山形の石があった。大岩を削り階段にしている石がある。歩みは早くなり、ガイドの説明は全く聞かず、自分がたまたま目についたのものだけを見た。夕刻が迫り、ワイナピチュに向い、祈る人が印象的だった。
今日は、私の誕生日。子どもたちからLINEで「誕生日おめ!」とお祝いが着ていた。夕食のウルバンバのレストランで、ツアー会社が誕生日のお祝いをしてくれた。高山病だと言ったら、夕食には出られるかと心配していた。昼食は絶食していた。夕食には、海苔巻き4個、スパゲティひと口、飲み物少し、スープ一皿を食べた。民族音楽演奏家たちが「コンドルは飛んでいく」を弾きながら、お祝いしてくれた。食べきれない大きなケーキが私のもとに届いた。私は元気なく頭を下げて謝意を示した。ケーキを40程に切って、皆さんに分けた。これがマチュピチュ遺跡観光の日の私の誕生日だった。