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奈良時代の柴又の寅さん
電子化が進んだ恩恵のひとつに、大きな図書館に行かなければ見られなかった資料が自宅にいながら、誰にでも見れるようになったことだ。
昔、学校で習った奈良時代の戸籍がネットから見られる。昔の柴又の戸籍に刀良(とら)がいたことは、寅さんファンには有名だが、その資料を見てみたい。
1 葛飾郡大嶋郷の戸籍
東大史料編纂所データベースの「奈良時代古文書フルテキストデータベース」(『大日本古文書(編年文書』)を大嶋郡で検索したら、養老5年の葛飾郡大嶋郷の戸籍が見られた。学術情報が庶民に開放される時代になったんだ。関係者に感謝したい。
大嶋郷には、甲和里(今の小岩)、嶋俣里(柴又)、その間にあるのか仲村里の三里から成り、約1200人程が暮らしていた。大島の地名は、今では江東区の亀戸の南方に残っているが、当時は江戸川区、葛飾区にまたがっていたようだ。
郷には郷長がいて、里には、それぞれ里正(里長)がいる。大嶋郷の郷戸の数は50。郷戸は戸主がいて、それは数戸の里戸(房戸)から構成されている。
里戸の数は、甲和里戸44、仲村里戸44、嶋俣里戸42、計130里戸で、大嶋郷戸50とあるので、平均2〜3戸ごとで郷戸を構成していたことになる。
大嶋郷 郷長
・甲和里 里戸44 人口344+110=454
・仲村里 里戸44 人口255+?(欠落)
・嶋俣里 里戸42 人口268+102=370
・計 里数3 里正3 郷戸50 里戸130 人口1079+? (人口=不課口+課口)
律令には五家条の規定があり、5家(房戸)で戸をなし、相互に監視し合う(と今勉強したばかり笑)。
2 刀良と佐久良
嶋俣の刀良16歳、小子とあり、まだ子ども扱い。来年に17歳になると少丁になり、大人の四分の一の税金を払わないといけなくなる。5人家族で、母親は亡くなったのかいない。父親は孔王部小諸(55歳)といい、近くの戸主孔王部佐留のいとこだ。結(30歳)と小結(20歳)の2人の兄と姉与理売(21歳)がいる。働きざかりの若者がいるので、農業で暮らしが立っているようだ。
孔王部(あなほべ)は、安康天皇(穴穂部皇子)に直属する集団だったが、律令制以後、苗字として残った。大嶋郷は、ほとんどが孔王部さんだ。たまに刑部(おさかべ)、私部(きさいちべ)等が見られる。
孔王部の佐久良売(32歳)のいる郷戸には、刑部与伎売がいるが、刑部という別の集団から嫁いできたのだろう。生涯、刑部出身だということがついてまわっていた。ところで、刀良と佐久良売は、どの程度知り合いだったかな。ちょっと気になる。
戸主の佐留は残疾。47歳だが、軽度の障害があるようだ。この戸は、15人の大家族だ。妻若大根売は37歳だが、夫婦には男4人、女3人の子どもがいる。
与佐売 丁女 22歳
古麻呂 小子 15歳
麻麻呂 小子 12歳
真黒売 小女 12歳
勝 小子 9歳
小勝 小子 7歳
小黒売 小女 7歳
長女が22歳だから、若大根売は、後妻みたいだ。年子が多いな。どうなってるの。長男の古麻呂は15歳だから、刀良とは遊び仲間かな。
佐留の母親乎弖売(おとめ?)は73歳で健在。たくさんの孫に囲まれて幸せだな。
この他に戸主の弟2人と妹が同居している。
弟の徳太理 31歳 兵士に取られている。
徳太理の子の古麻呂は7歳。この家には古麻呂が二人もいる。お母さんはどこにいるのか、娣与伎売16歳というのが、娣は弟の嫁だから、徳太理の妻か。でも若いな。
弟の小足 27歳、妹の小宮売 44歳がいる。独身か? 村には所帯を持っていない人が多い。結婚したから幸せということではないが、経済的な理由から、選択の余地がないのは、気の毒だ。人間の幸せとは、意志を持って、自分で決められる自由があることだ。貧しいからそんな自由はないのだろう。たくさんの子どもたちの何人が配偶者を持てるのだろうか。
3 刀良が何人もいた
ブラウジングしてたら、大嶋郷には刀良はひとりでないと分かった。こんなにたくさんいる。
孔王部刀良売 32歳 丁妻
孔王部刀良 36歳 正丁
孔王部刀良売 17歳 次女
孔王部刀良 33歳 戸主 正丁
孔王部刀良 20歳 少丁
孔王部刀良 16歳 小子(上記)
磯部刀良売 51歳 丁妻
孔王部乎刀良 19歳 少丁
孔王部刀良 13歳 小子
孔王部刀良 10歳 小子
孔王部刀良売 29歳 丁女
孔王部刀良売 61歳 老女 神の母
孔王部刀良 31歳 正丁
孔王部小刀良 30歳 正丁
孔王部乎刀良 8歳 小子
孔王部真刀良 6歳 小子
孔王部小刀良 20歳 少丁
女性の刀良売を含めて17人、男女に関係なく人気のある名前だった。そういえば「おトラさん」という家政婦が主役の漫画がある。
佐久良も複数いる。
孔王部佐久良売 32歳 丁女(上記)
孔王部小佐久良売 29歳 丁女
孔王部佐久良売 29歳 丁女
4 名前に動物の名をつけたが刀良は?
丈夫で元気な子に育つようにとの願いを込めて、昔は動物の名をつける風習があったが、大嶋郷にも、熊、牛、馬、猪、犬、龍といった動物の名をつけた例が散見される。
刀良も寅・虎だと思いたいが、それなら何故、人名に龍のように虎の字が使われていないのか。万葉集には、寅は、時刻や方位として、また虎は、高市皇子の挽歌「虎が吼ゆると・・・」(巻2-199)と「虎に乗りて屋を越えて・・・」(巻16-3833)があるが、人名は、刀良(例 物部乎刀良)であり、寅・虎ではない。
年上の女性に対して使う刀自という敬称があるが、刀良には、そういう意味がない。昔からあるありふれた名前のようだ。何だか、だんだんと、刀良や佐久良が、寅さんとさくらから遠くなっていった。
物部乎刀良は、千葉県の山辺郡から上丁(防人の統率者)となって出てきた。万葉集巻20に物部乎刀良の歌がある。
我が母の袖もち撫でて我が故に泣きし心を忘らえぬかも (巻20-4356)
立つときに母さんが俺の袖を持って泣いてくれたんだ。それが忘れられぬものか。
16歳の刀良も、やがて兵隊にとられて、防人として遠い土地に旅立っていっただろうか。それとも平穏無事な生涯を送ったことだろうか。