パンダに笹のクリスマス・プレゼント
和歌山県のアドベンチャーワールドのパンダがクリスマス・プレゼントをもらったとテレビが言っている。
どんなプレゼントかとテレビ画面に自分の視線が注がれる。それは、ニンジンが入った雪だるまと沢山の笹だ。画面では、すでに雪が平らになっていて、オレンジ色のニンジンが点在していた。雪の上でパンダが座っている。別の画面では、笹を手にしたパンダがいる。
和歌山では、雪は珍しいから、四川の山を知らないパンダにも懐かしく感じることだろう。それは、親から引き継いだ原始への郷愁だ。
クリスマス・プレゼントに笹かと思うが、パンダに最も必要な食べ物である。パンダは、特別なプレゼントと思ったのか、毎日もらっているものを今日もくれたな位に思っているのか、パンダに聞いてみたいものだ。ただ今日はいつもより笹の量が多いな位は感じているのかも知れない。
人間は、パンダに比べたら贅沢なものだ。日常は満ち足りている。クリスマス・プレゼントに毎日食べているご飯の大盛りでは、子どもは泣き出すに違いない。その人に最も必要な物をプレゼントするのが、真のプレゼントだが、それが今不足していることが条件になる。米は必要だが、不足感がない。ただ飢饉や食料危機になれば、また違うだろう。飢饉時には米のクリスマス・プレゼントが喜ばれるかも知れない。
満ち足りた生活を送る現代人へのプレゼントは、非日常的なものにならざるを得ない。高級カバンや宝石など自分では買わないような贅沢なものをあげても、最後はタンスの奥にしまわれて不要品になる。使用価値のないものより、使ってなくなる消耗品や食べたら終わりというものがいいのかなと思える。やはりパンダの笹がいい。高級品は禁物だ。
人間の欲望が人類を進歩させたのだろうが、欲望ばかり追っていると、普通に生きることの喜びを忘れてしまう。毎日食べているものをもらい満足するパンダに敬意を感じ始めたのは、彼が純粋に生きているからだろう。