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古代メキシコ展を見て

この夏、上野の東京国立博物館で開催されている古代メキシコ展に妻と行った。モンゴロイドが1万3千年前にベーリング地峡を渡り、アメリカ大陸にやってきたという説明から展示は始まり、オルメカ、テオティワカン、マヤ、アステカの各文明の遺物が展示されている。ドクロのの太陽像、ピラミッドを飾る蛇神の石、鷲の戦士像、赤の女王のマスクが圧巻だった。

第二部マヤの入った所に説明文があった。「熱帯低地のマヤ都市では食物の長期保存ができず、権力による経済の統制や、強力な軍隊の保有は困難でした。その代わりに建築活動や集団祭祀による共同体の結びつきを維持することが重要視されました。」とある。何か難しい。

熱帯低地では、食物は腐敗しやすいので長期保存ができない、これは分かる。富の蓄積ができないので専任の軍隊を維持できない。そうなのだろうな。富が集約しないと経済の統制ができない。商品経済は発達しにくいのだろうな。
「その代わりに」からの後半が難しい。食物の長期保存ができないのに、ピラミッド等を建造したり、祭祀的な共同体を維持することはできたのか。蓄積できない食物を基礎に、人民をピラミッド建設に使役し、神への捧げ物などの祭祀を行った。戦争もしている。食物の余力はあったようだが、それ以上の経済や社会は発展しにくかっただろうと考えてしまう。そういうマヤ文明が紀元前1200年から17世紀まで続いた。

私は、食物の長期保存ができないという文を神経質に考え過ぎたかも知れない。ただ、厳しい自然環境に暮らすマヤの人々にとって、神は恩恵を与えるとともに畏怖すべきものだった。天体観測を行い暦を作り、自然の有り様を知ろうとした。それでも神をなだめる必要があり、生け贄を捧げた。テオティワカン文明のドクロの太陽像のように、西に沈んで行く太陽とドクロの像は、やがて日の出を迎え、新たな生命が生まれることを表しているそうだ。当時の人々も、死と生は隣り合わせにあると考えていた。そういうマヤ文明が紀元前1200年から17世紀まで続いた。

1時間半ほど展示を見て博物館を出た。上野公園のレストラン遠山で昼食をとった。しばらくすると隣席の若い客の話し声が耳に入ってきた。話な内容から古代メキシコ展に行ってきたらしい。若者が「どうやってああいう文明が生まれたか不思議だ」と、興奮気味に前の席の女性たちに話をしている。古代文明に随分と関心があるようだ。仕事の他に知識欲を満たしてくれる好きなジャンルを持つ、それは人生を豊かにしてくれる。そんな感じを抱かす若者たちだった。

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