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初日の出と天災

今日は元旦。テレビで富士山の初日の出を放映していた。今年は6時44分に日の出が見られた。おだやかな一年のはじまりを思う。

太陽は、冬には温かい光を注いでくれる。ついつい日だまりの道を歩いている自分に気づく。反対に真夏には照りつける日差しを避けて日陰を歩く。日の神は、時に優しく、時に容赦しない。

初日の出の放映からテレビ番組は、一年前の能登を襲った地震に移る。一年を過ぎても復旧が進まず、人々は難儀な生活を送っている。

荒ぶる神々は、容赦なく人々を襲う。神々は、そこに人がいないかのように大地を破壊する。そういう意味では、神々は、人に対して分け隔てがなく、きわめて公平で中立的だと思う。人間のために世界は造られているということは絶対にない。

古代から、人智を超えた自然の力に人々は畏怖し、それを荒ぶる神々と呼んだ。荒ぶる神々の心を鎮めるために、祈り、ささげ物をした。どの程度、神々の心に伝わったかは知らない。雨乞いの儀式のように、熱せられた上昇気流が雨を降らせたと合理的に解釈することもできる。

この荒ぶる神々への働きかけは、人間を多いに進歩させたと思われる。いかに大河川を制するかは農耕には必須の課題だ。科学技術は、荒ぶる神々への進歩した働きかけと思える。しかし、今なお人間は未熟で、荒ぶる神々は健在だ。

地球が活動している限り、天災は起こるだろう。地球の活動が停止して、死の星となったら、天災を超えた地獄が待っている。自然を恐れ、いかに自然と協調して行くかという点では、古代の人々と今のわれわれと左程変わっていない気がする。

2025.1.1


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