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幼児に学ぶ仮想と現実
幼児の質問に大人は困惑する。
5月のカレンダーを見て、Y君が「最後の日曜日に何で2つ入っているの」と聞いた。23日と30日が1つの日曜日に入っている。お父さんのA君が紙が足りなくなったからと説明していたが、もうひとつのカレンダーは30日のために1行多くなっていた。A君が「こっちのカレンダーは1つだよ」とY君に見せたら、「こっちは1つだ」と喜んでいる。
お父さんがまだ帰ってこない時にホームに電車が入ってくる動画を見て、Y君は笑っている。海の手線、目雲駅の文字が見える。無人の電車が通過したり、駅員風の人が追っかけてきたり、急に増えたり、変な人が線路に入り走ったり、暴れまくっている。仮想の電鉄の世界だ。
Y君は、「何で人が線路に入っているの?」と聞く。
その難問に、私は「危ないからだめだよね」と答えるのが精一杯だった。本当は、今見ているのはバーチャルな世界で本物ではないのだよと説明するのが、いいのだろうが、なかなか、嘘の世界を教えるのは難しい。まだ、Y君は、現実と仮想の境目のない世界を楽しんでいる。
人は、リアルな世界では不可能なことを、バーチャルな世界で楽しんでいる。現実の世界から離れて夢のような虚構の世界に楽しみを見出している。ゲームやテーマパークが流行るのもそういう理由からだ。仮想世界と言われる世界に安心して遊べるのは、現実世界があるからで、逃げ場は、もとの場所があって、初めて逃げ場である。
しかし、さらに考えると、現実の世界は、真実なのかと言うと厳密な意味で真実ではないように見える。社会の仕組みは作られたものだし、それを可能にしているのは、信仰である。家族までは真実である自然の流れの中にあるが、民族などを考えるとどこまでが、本当か分からなくなる。それを定義することは難しい。言語でも居住地からも定義できない。そこにいる人たちが生きていくために考え出された虚構の世界のようだ。現実世界にある社会、国、お金、宗教、企業等が実は虚構(人間が作り出したもの)だと考えることで、自然そのものの人間の同質性や平等に気づくように思える。
虚構の世界である現実が居心地が悪くなり、更に別の虚構の世界が作られる。はたして、その世界に入り込んでしまい、もとの世界を忘れたら、人間は、そこも居心地が悪くなるのだろうか。夢の世界の中で夢を見る、何だか気が遠くなる。ただし、今の科学技術が仮想世界をまるで現実世界のように巨大なものにする力を持っていることは確かなようだ。