修善寺の麦わら細工の店
学生の夏休みに中伊豆の旅をした。修善寺に泊り、翌日湯ヶ島に行くバスを待つときに、バス停の前に工房を兼ねたような土産物屋があるのに気づき入ってみた。
古めかしい感じの店内には古典を題材にした麦わらの貼り絵がたくさん飾られていた。
店主らしき人が帳場に座り、作品を作っている最中だった。
郷土玩具に関心があったので、修善寺の麦わら細工を一度見たいと思っていた。見渡したところ店内にはそれはなかった。主人は伝統的な麦わら細工に替わり、麦わらの貼り絵という新たな作品を創造しようとそれに力を入れていたのではないかと思う。
私は、夜叉王を題材にした麦わらの貼り絵を買い求めた。そして、主人に「麦わら細工はないのでしょうか」と聞いていた。
すると主人は「何時のバスに乗るんだ」と言う。その意図を汲めずに黙っていると、再度、「何時のバスに乗るのかと聞いているんだ」と云った。はっとして即座に「次の何分のバスに乗り、湯ヶ島に行きます」と答えた。
すると主人は手もとに置いてある数本の麦わらを手にとると、指に巻きつけて、あっという間に馬らしきものを作ってくれて、私によこした。私の手には初めてみる麦わら細工があった。バスの時間を訪ねたのは麦わら細工を作ってくれるためだった。わざわさ手を休めて麦わらの馬を作ってくれた。
私は買ったばかりの夜叉王の貼り絵を抱え、小さな麦わらの馬を手にしてバスに乗った。
その後も、この親切な主人の店を機会があったら、また訪ねてみたいと思っていた。
40歳を過ぎた頃に修善寺を旅行する機会に恵まれた。バス停の前に土産物屋があったので、思わず入った。明るい店内には麦わらの貼り絵の他に、麦わら細工の馬等が飾ってあり、伝統的な郷土玩具は復活していた。
しかし、あのときの主人はいなかった。そこにいた若い女性店員に20年前の出来事を話した。20年前ということに驚きつつ、多分お父さんではないかしらと言う。やはり同じ店だったのかと確信はしたが、あのときの感激をうまく言い表わせたかどうか、もどかしさを感じた。あの数本の麦わらから作られた小さな馬が大きな麦わらの馬になっていたことの理由を知りたくても、もうあの時の主人はいない。
あのときの麦わら細工の小さな馬は、今でも私の手元にある。
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