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水田があった昔の東京の風景
東京の東端の江戸川区南小岩というところに育ったが、当時は水田がかなり残っていた。その水田に関して、子どもの時にこんな事があった。
ある日、稲刈りが済んだ水田に長靴を履いて入ったら、足が抜けなくなった。泥の比重は1.8、深く入り込んだら子どもの力では抜けない。それを知らずに不注意にも一人で入ってしまった。随分長いこと立ちつくしていた。やがて友だちのヨウちゃんが私に気づいて、通りの向こうから「どうしたの。足がぬけなくなったの」と叫んでいた。どこかにかけて行ったら、しばらくして大人がやってきて、私を泥田からすくい上げてくれた。
小学校の先にも水田が広がり、夜にはカエルの声がけたたましかった。斎藤茂吉の短歌の「遠田のかはづ天に聞ゆる」がよく分かる時代であった。足踏み水車で農家の人が水を引く光景も目にした。学校帰りにはオタマジャクシの泳いでいるのを見つけては遊んだ。冬になると水のなくなった田んぼは、絶好の遊び場だった。凧揚げをしたり、草野球場にもなった。
私の住んでいた家は、それ以前に建てられたものだったが、土台がゆるかった、というのも、同じように以前は田んぼだった場所に建てられたからだ。もともとは松丸という農家の水田を宅地化したものだった。戦前は私の知る以上に水田が広がっていたのだろう。
そんな水田も東京オリンピック(1964年)の頃から宅地化が進み、少なくなっていった。小学校の道を隔てた南側にはクリニックが建った。気づいたときには農地も空き地もなくなっていた。