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日比谷御門と外堀の関係
日比谷公園を日比谷通りから入ると石垣があり、その向こう側に心字池がある。江戸城の日比谷御門の跡というのだが、城の縄張りの中でどういう位置にあるのだろうか。
この疑問の前に、そもそもこの辺りの外堀の跡そのものが分かりにくい。
外堀の跡を左回りに歩くと、大手町から外堀通りに出て、日本橋川沿いに水道橋に至り、そこからJR総武線・中央線沿いの外堀に沿って行き、四谷から上智大学を見ながら左に曲がり、弁慶堀を過ぎて、赤坂見附から溜池、虎ノ門に至るのだが、そこから東京駅八重洲口から有楽町に南北に走る外堀通りの数寄屋橋に至るルートが何処になるのかと地図を見て探しても分かりにくい。さらに、日比谷公園の心字池の存在が一層この地域の縄張りを分かりにくくしている。
それが、日比谷公園で見かけた説明板により自分だけの謎かも知れなかった、この謎が一気に解決した。
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その日、日比谷公園を久しぶりに歩いた。入ると石垣があり、裏側から登るとベンチがあり、心字池やその先の公園を見下ろすことができる。イチョウの実が落ちて、誰も拾わないまま地面に散らばっていた。昨夜の雨でだいぶ落ちたようだ。ベンチに腰かけて時を過ごす人もいる。下に降りた算木積の石垣のところに江戸城の地図があり、日比谷御門の位置・役割が分かった。
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地図の赤い丸が日比谷御門である。西の丸下とあるのが今の二重橋前広場。大きく江戸城を囲んでいるのが外堀である。左から赤坂見附、溜池があり、新橋駅の辺で北に直角に曲がり、泰明小学校裏側を経て八重洲口につながっている。地図を見ると、この大きく外堀で囲まれた箇所を日比谷辺りで分断する堀があることが分かる。丸の内は、御曲輪内と呼ばれ、数々の大名屋敷が建ち並ぶ武家屋敷町だった。丸の内側への出入りを警備したのが日比谷御門である。
日比谷御門の縄張り上の位置という細かいことが気になっていたが、日比谷公園の地図が親切に教えてくれて、溜飲が下がる思いがした。
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