くつ下の破れ穴
くつ下に穴があいた。
今までは、捨てていたのに、今日は捨てる理由が分からなくなった。親指の先が少し穴があいただけで、履けないことはない。機能には問題はない。指先があいているくつ下も市販されている。
穴のあいたくつ下は捨てるべきか使うべきか問題だ。
くつ下の穴と言えば、昔エノケンが歌った『モンパパ』の歌詞に「大きなダイヤモンドそれはママ・・・パパの大きなものはひとつくつ下の破れ穴」というのがあった。シャンソン歌集ジョルジュ・ミルトンが歌った"C'est pour mon papa"を日本向けに訳して歌ったものだが、くつ下の破れ穴には子ども心に愉快に思った。やはり、くつ下の穴は笑いの対象であり続けた。
連れられて飲食店に数人で入った。玄関先で靴を脱ぐ店だったが、「えぇ~靴脱ぐの!くつ下に穴があいてたら、ごめんなさい」と笑いを取る人がいた。恥ずかしいといった世間体は、すぐに笑いの材料になる。
何故破れたくつ下は捨てるのだろうか。
破れたら新しいのに買い替えれば良い。経済効果になる。新しいくつ下に変えないのは、経済的に苦しいからだ。皆から貧しいと思われる。そう思われたくないために破れていないくつ下を履く。世間体が悪いという人間の行動規範はこんな所にあるのだろう。そういう世間の目を気にしなければ、穴があいていても使えるくつ下を捨てる理由が分からない。
誰しも歳を取れば、破れた体で生きている。人間がそうなら、くつ下にも生きる権利はあるのだろう。ちょっと破れたら捨てられるのでは、人間の命はいくらあっても足りない。もう少し、破れ穴のくつ下を履き続けてみよう。
ただし、くつ下が破れやすい原因は、親指の爪が伸びていることにある。こちらの方は気をつけて切るように心がけよう。