明治34年の祖母への暑中見舞
祖母田中はるに出した幼なじみの松本こと子からの暑中見舞の手紙が残っている。明治34年8月、祖母16歳の夏の手紙だが、その頃、祖母は封筒の宛先にある神田区西小川町1-3の佐々木慎思郎宅に奉公に出ていた。佐々木慎思郎は、沼津兵学校第一期資業生で、第2代第一銀行頭取の佐々木勇之介の兄にあたり、同様に金融界で活躍した人物である。
祖母は日本橋田所町(現在東京都中央区堀留町)に生まれ育ったが、松本琴子の住所も封書の裏書きにあるように田所町であり、ふたりは近隣の幼なじみであり、時折このような手紙を交わしている。
「蚊やり火にうちわせわしく」ではじまる手紙は、端正な筆書きで認められていて、明治時代の町家の娘たちの教養が偲ばれる。最初に相手の様子を伺い、次に私事として自分の状況を伝える手紙の形式が守られている。暑中見舞いのあいさつ文の最後に追伸の形で最も伝えたいことを述べるという手法は、今のわれわれにはまどろっこしさを感じさせるが、これは当時の婦人の謙譲的な作法なのだろう。先日、祖母の姉(まつ)が松本琴子宅に寄ったときに、祖母が8月中に奉公先から休暇で実家に帰ることを聞いたのだろうか、8月中に帰ってきたら、是非自分のところに立ち寄ってほしいということが最も伝えたいことだった。今ではメールやLINEで友人と簡単に交信できる。昔は白い和紙の上に筆に墨をつけて一文字ずつ書いて、書き上げた手紙を投函した。一文字の重さを感ぜざるを得ない。
【原文】(拙読)
(封筒表) 神田区西小川町一ノ三 佐々木様御内ニテ 田中はる子様
消印 34.8.4
(裏) 八月四日 田所町 松本琴子 拝
(本文)
蚊やり火にうちわせわしき時節柄、あなたさまはじめ御あね上さまにも何の御かわりも御座なく候間、御目出度存候。次に私事はじめ一同無事にくらし居候まま憚りながら御安心被下度候 さて先日は御あね上様御出の節には何の御あいそもこれなく失礼致し何卒水にそ流し下さる様あなた様より宜敷御申譯下され度かげながら願上奉候 末ながらきびしき御暑さに御座候へば、何卒御身御大切に遊され候やうかげながらいのり入候 先は暑中御伺を申し上げ奉り候
早々かしこ
八月四日 ことゟ はる子さま御許へ
(追伸)あなた様今月の中かはらずに御出の間あね上さまより承り指折かぞへ楽しみに持(待)居奉候 御出の節にぜひぜひ御立寄のほど持(待)て候 早々