ポンせんべい タクシーに乗って
昨年末に墨田区の化学工場が燃えて、黒煙が立ち上る映像がテレビから流れた。近くに旧中川が流れている。すると高校時代の友人から電話があった。「化学工場のニュース見たけど、むかし学校から平井まで歩いて、中川の橋を渡ったが、そのすぐ近くだね」と言う。そういえば、在校時に曳舟から平井まで歩いたことがあった。
その数時間後、タクシーに乗って荒川と中川を渡った。運転手さんに「化学工場の火災を知ってますか」と訊くと「さっき近くを走ったが、煙が見えた」とのこと。
「墨田区は今でも工場が多いですよね」と言ったことから墨田区の話になった。道路が狭くて、昔の農道のように道が曲がりくねっていて、消防自動車も入れない場所があるそうですね、スカイツリーができてからは、随分再開発されたようですが、古い街並みを観光資源として残す考えもあるようですね、木造家屋を喫茶店にする自治体もありますし、といった話をする。
すると「自分の住んでたところもそうでした、狭いところでね」と言い、急に昔を懐かしむように、「ポンせんべえがありました」という。「あのお米を入れて作るポンせんべえですよね」と確める。
ポンせんべい売りは、よく子どもの頃に利用した。リヤカーを引いてやってきてしばらく道端に止まっているところに、お椀一杯のおコメを持っていくと、さっと半分くらいを懐に流し込み、残りのコメで焼いてくれた。取っ手を上下するとポンという音がしてできあがるのでポンせんべいと云うのだろう。懐に入れたコメが収益ということだ。
運転手さんからカルメラ焼きの名前も出た。駄菓子屋は、今と違って、菓子は小袋に入っいない、大きなガラス容器か缶に入っていて、大きなスプーンですくい出して紙包みに入れてくれた。そんな話になる。出身は福岡県とのこと。化学工場の火災の話から子どもの頃の思い出話に。年配の運転手さんとは生きてきた時代が同じだけに話が合うようだ。
2023.1.3