甘えとか、本人がこの世で1番知っている。
まあTwitterのプロフにも書いているけれど、わたしは統合失調感情障害持ってます。陰性、陽性、どちらもあるタイプ。一応会話で齟齬は生まれないくらい、意思疎通はできているつもり。
わたしはたまにお絵描き配信したときに、
「障害もってますか?」
ってコメントが来てドキリとした。
べつに隠しているつもりもないからありのままを話したけれど、自分はうまーく健常者の真似ができていると思い込んでいたから、すごくびっくりした、いや悲しいとか不快感は自分でも面白いと思うくらい、負の感情は湧き上がってこなかった。
ああ、わたしまだまだだなあって。
母の職場にも、いるんだって、鬱の方が。
その方もよく「起き上がるのもしんどいので休みます」が多くて、上司がぷりぷり怒っているらしい。
「仕事に行けないくらいしんどいって何? 風邪?」
そうじゃないんだよ!!!!!!
いやほんとに。
希死念慮で生きていることに「これは罰なんだ」っておもって、「あしたなんて来ませんように」って泣きながら寝て、起きて、「死ななかった」って。
そういう気持ちを完全に理解しているとはもらおうとはおもわないけれど、
「何もできないほどおちこんでいる」状況は理解してほしい。
「鬱のくせにゲームやTwitterはできるんだね」
ってコメントをされると、耳が痛いんだよ、でも健常者が風邪ひいたとき、一日中スマホ触らないってこと、ありえる? それと同じだと、わたしはおもっているんだ。
感情なんてひとそれぞれでさ、同じ苦しいでもコップ1杯の器や、ダムのような大きな器を持っているから、たとえ同じ量のストレスを加えられて、コップのひとがばたんきゅーしちゃって、ダムのひとがそれを見て「こんなごときで」って云うのはあまりにも酷すぎる。
わたしは学生時代希死念慮が酷すぎて休んだこと(社会人になっても1回やった)けれど、罪悪感がやばかった。
身体は元気なはずなのに、こころがついてきてくれないの。
同じなんだよ、苦しい時はみんな苦しいって、
云える世界であってほしい。