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たった1つの何かで大きく変わる人生

 先日、北海道胆振東部地震の被害からまだ復旧していない場所にボランティアに行きました。仕事内容はとても単純で公共施設内の清掃および復旧でした。単純作業ばかりであったが、高校時代の市役所インターンでやったシール貼りより遥かに楽しかった。

 そしてその帰り道、久しぶりに公園でもゲームセンターでも学校でもなく、ただの街中で遊ぶ子どもたちを見た。
なぜ、これが「久しぶり」と感じる光景なってしまったのだろうか


 私の地元は田舎で、昔はよく道路で走り回ったり追いかけっこする子どもたちをよく見た
 毎日家の中にいても子どもの楽しそうな声が聞こえた
 しかし、高校卒業間際、大学入学時、現在、気づいたときには楽しそうに近所で遊んでいた子どもたちの姿は消えていた...
それからは子どもを学校や公園、店などでしかほとんど見かけなかった。

 そして最近、新しく子どもの姿を見かける場所が増えた。子ども食堂です。子どもの居場所が減った中、重要な存在とされている子ども食堂。私も必要だと思っていた1人だった。でもある人の一言で今の社会を客観的に見れるようになりました、

「子ども食堂はあってはならないものだよね」

ある人はこう言いました。
 確かに子ども食堂は数年前まで必要のないものだった。結局これは救世主でも社会を良くするものでもなく、不足している社会の一部を補うものでした。子どもに居場所がたくさんあれば、親に余裕があれば、なかったものでした。しかも、子どもたちの様子を見ると彼らの生きづらさが伝わってきます。長い間髪の毛を切ってもらっていないような男の子、「心臓に閉じた目」を描く子ども、親のネグレクトに悩む子ども...色んなものを抱えていそうだった。

今の社会に問いたい、なぜあなたは人の居場所を奪う?

 親にも、先生にも、誰にも気づかれることなく、苦しんでいる子を何人か見た。私もその1人だった。
あるあだ名がきっかけで差別を受け、人間に恐怖を感じ、自殺願望を持ち、精神病を患い...それでも気づいてもらえず、自分から必死に訴えかけるまで何もしてもらえなかった。むしろ状況を悪くされていた。それでカウンセラーに救われたときには、それから4年(おそらく発病したと思われる時期からおよそ8年)経った今でも治ることのない呪いのような傷を負っていた。

 これがきっかけで私はカウンセラーを目指そうと考えたが、先に挙げた子どもを見てからは、やめた。カウンセラーでは救えない人たちがいるかもしれないと思ったからである。
 私はカウンセラーの仕事をしたことがないため断言はできないが、精神クリニックに行く人は自覚のある人や、まわりが何かあると気づいてもらった人、勘違いしている人がほとんどのように私は思う。そして、誰にも気づかれず、自分でもわからず、ただただ苦しい毎日を送っている人は来ることができないのでは?と思っている。絶対に来ないというわけではないが、来る人たちはやはり氷山の一角のように思われる。
 でも、私はそのような気づかれていない・気づいていない人たちの力になりたい。一生背負うかもしれない呪いを負ってはほしくない。


 覚えておいてほしい、
・言葉の力は強く、たった一言で人を殺してしまうことがあることを
・相手のことを考えず、自分の愉悦のためだけにとった行動で人が死を望むようになってしまうことを
・支えとなる場所が1つでもあるかないかで人の人生が大きく変わることを
・苦しんでいるにも関わらず、そのことを本人ですら気づけていない人たちがいることを

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