スクリーンショット_2018-10-18_11

対話の重要性

学習過程では「主体的・対話的で深い学び」と言われている。
教育や生涯教育においても重視されることは人との繋がりである。
多くの人は「人間は1人では生きていけない」と言う。

 このように、人間関係がかなり重視されるようになってきている。しかし、その人間関係を形成するために必要な基盤がまだあると私は思う。それは人間関係だけでなくその人自身を形成・成長・変化させるもの、「対話(コミュニケーション)」だと思う。

 「対話(コミュニケーション)」は会話だけでなく、「自然との対話」や「内面との対話」といった使い方もされる。すなわち自分がいる世界に存在するものすべてとの関わりではないかと私は思う。その中にはエネルギーの循環もあれば、相手との距離感の調整、価値観の理解などもあるのではないだろうか。
 「対話」がなければ人間関係を形成することができず、孤独に陥ってしまう。それでは生きていけない。しかし、「対話」は会話とは違い、会話よりも難しく大切なものだと思う。

 先月、私は1週間ほど使って台湾、ベトナム、タイの3ヶ国に旅行に行った。昔アメリカで住んでいたこともあり、外国に旅行に行くことに抵抗はなかった。どちらかと言うと隣町に行くような感覚で、よく「違う世界みたい」といった感覚がなくて残念だった(笑)英語もまだ話せたため、余裕で暮らせると思ってもいた。
 しかし、その旅行で私は「対話」の難しさと会話との違いに気づくことになったのである。まず、台湾の中心街ではかなり英語が通じ、現地の人に案内もしてもらっていたためあまり苦労することはなかった。しかし、ベトナムでは中心街であっても英語が通じない人が多かった。おそらくこのような時に片言の英語しか話せない日本人の力が発揮されるのだろう。普段の英語の授業のように単語の連呼や身振り手振りを使用して話せば相手にも通じたのかもしれない。しかし私はそのようなことを行った経験がもはやなく、思い付くまでにかなりの時間を要した。
 この時に、言語を話すことができることは相手とコミュニケーションを取ることができることと等しいわけではないと感じた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?