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みちのそら [ ぷち日本紀行6 ] 北斎館

松本市で1泊した翌日、これまで東進してきた進路を北に取り、小布施おぶせにある北斎館を訪れました。

小布施は葛飾北斎が晩年に数年間を過ごした場所です。
江戸っ子の北斎にとって、信州の最奥地となる小布施はどのように感じられたでしょうか。

北斎は間違いなく天才でしたが、それは努力の天才でした。
生涯を通して作品について悩み、奮闘し、描き続けた努力の天才であり、その結果、誰にも到達できない高みへと達した人です。
私が尊敬する人です。

作風はご存じのとおりですが全体的にインパクトの強いもので、現代のイラストや漫画に近いものがあり、風景そのものをデフォルメしたり記号化することに特に優れていたと思います。

我々がどんなに素晴らしい構図の風景写真を撮ってみたところで、それらは全て江戸時代の風景画家によって試されていて、中でも葛飾北斎と歌川広重うたがわひろしげは群を抜いていました。

OLYMPUS OM-D E-M5 / M.ZUIKO DIGITAL 17mm/F2.8
北斎館収蔵作品

写真の北斎作品は、広角28mmくらいの感覚だと思いますが、どちらかというと北斎は50~60mmくらいの画角で風景を描くことが多かったと思います。
恐らくそれは彼が風景よりも人物に注力していたためであり、登場人物をよりリアルに描くには、望遠側に寄った画角を必要としていたのでしょう。

一方で広重は35mm前後の風景が多いと思います。
彼も人物をもちろん描きますが、明らかに風景の中に溶け込んだ印象が強く、風景を主体として一体感を増した絵になっています。

OLYMPUS OM-D E-M5 / M.ZUIKO DIGITAL 17mm/F2.8

ただひとつ、彼らの作品を見るときに忘れてはならないことがあります。
それは彼らの作品は、同じく天才的なセンスと技術を持った「彫り師」と「摺り師」によって作られた合作であるということです。
現代の技術では、この彫りと摺りを再現することは困難であると言われるほどの高度なセンスと技術が用いられています。

江戸の文化は、現在の世界の文化を超えていたのかもしれませんね。

OLYMPUS OM-D E-M5 / M.ZUIKO DIGITAL 17mm/F2.8

北斎館の後は国道292号を通って、群馬県の箱根へ抜けます。

途中の渋峠は標高が2171mあり、国道の日本最高地点。
ここではまだ雪が残っていて、残雪の貴重な風景を眺めることができました。

OLYMPUS OM-D E-M5 / M.ZUIKO DIGITAL 17mm/F2.8
白根山

残念ながら結構なレベルの大気汚染が中韓から押し寄せており、本来なら美しい風景の長野県もかなりの影響を受けていました。
近年、長野県よりも北海道の方が観光客に人気がありますが、その一因が、長野県が大気汚染によって美しいはずの風景を見ることができなくなっていることだと思います。

北斎が見た長野県の風景には、遠く及ばない。

標高2000mともなれば、通常は視程が150km以上あるはずですが、この日の視程はせいぜい20kmといったところでしょうか。
観光客が減るハズです。

かく言う北海道も、温暖化によって空気の流れが北へ向かうことで、最近は中韓からの大気汚染の影響を受け始めており、同様の事態に陥るのは時間の問題でしょう。
日本の政治家は、日本の環境や日本人の健康には全く関心が無いので、将来に渡ってこの問題が解決されることはないと思います。
唯一可能性があるとすれば、AIが政治家の代わりに政治を司ったときでしょうか。政治家たちがAIを恐れる本当の理由はここにあるのでしょう。

さて、気を取り直して峠を越え、草津温泉で1泊です。
明日も晴れ!

[ 7へ続く ]

OLYMPUS OM-D E-M5 / M.ZUIKO DIGITAL 17mm/F2.8


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