しあわせな遅刻とレシートの束、そしてコーヒー味のガム
執筆者:たなぼたはなさく
「おかえり」とやさしい笑顔で出迎え、雨が降ってきたら校門で傘を持って待っている、そんなお母さんたちのやわらかな姿を見かける時代にわたしは育った。母はちがった。となり町の会社で働き、いつも忙しそうだった。きれいに手入れされた指先、パリッとしたスーツ、いつも背筋がピンと伸びた母の姿は美しかったが、まなざしと物言いがまっすぐで怖かった。
近所の家から、楽しそうな笑い声が漏れ聞こえ、ほわーっとみそ汁のにおいが漂ってくる夕暮れ時。妹とわたしは、薄暗い台所でふたりきり、いつも母の帰りを待ちわびていた。大人になった今でも一日の終わりに差し掛かる時間、紅の夕日を見ると涙が出そうになる。不安な気持ちでいっぱいだった夕方のあの時間を思い出してしまうからかもしれない。
時間の大半を仕事に費やしていた母だったが、授業参観やスピーチコンテスト、バンドの本番など、子どもたちの晴れの舞台には必ず顔を出してくれた。見に来てくれても、遅刻ばかりだったし、最後までいることなく途中で仕事に戻ってしまうけれど、客席や教室の後ろに母の姿を見つけると、とてもうれしくてほっとした。母はなぜあんなに必死に働き続けていたのだろう。母が亡くなってしまった今、彼女の気持ちはわからない。
父の会社で、時々アルバイトをして小遣いをもらっていた。近所の花屋さんバイトの時給よりかなり多くの金額がもらえた。花屋さんの店先では、エプロンをつけ緑色に指先を染めながら菊の花を水揚げしたり、冷たい花瓶を洗い続けたり、学校のテスト期間で気がそぞろな時でも何食わぬ笑顔で接客したり。
花をさわっていることがなにより楽しくて大好きなバイトだったが、父の仕事を手伝う方が楽ちんで効率がよかった。領収書を仕訳けして、台紙にペタペタとノリで貼り付けるその作業はおもしろかったし、レシートや領収書の束がきれいに片付いていくのは達成感があった。仕事の後にはきまって、父が一緒に居酒屋やスナックへ連れて行ってくれた。ちょっと背伸びして大人の世界を垣間見るのはドキドキウキウキした。仕事って、お金を稼ぐって楽しいなと感じた。あの時にもらったお小遣いや給料は何に消えたのだろう。まるっきり覚えていない。
こうして「お金と仕事、そして人生」についてあれこれ考えはじめたところ、「さまざまな感情と記憶」がどーっと頭と心の中に流れこみ、若干、愕然とした。特にひとり親になってからの「お金にまつわる記憶」は、脳内再生の回数が多めだ。
ひとり親になったのは、5年前だ。忘れもしない12月27日、年末の寒い朝だった。着の身着のまま子どもたちを連れて逃げ出し、一週間公園で暮らした。その時に脳内でリフレインしていた言葉は、「次は何を食べさせようか」だった。入ってくる予定はなく、ため息とともに出ていくばかりのお金。その日暮らしは気ままだったが、一日また一日と大きくなる漠然とした不安の中で日々が過ぎていった。
子育てとは抜群に相性が悪い暮らしぶりだった。
そんな折、福祉施設に保護され、数年間、世話になった。少しずつ立ち直るために時間の猶予ができたのは幸運だったし、感謝している。施設では、半年に一度、家計簿の提出が義務づけられていた。自立支援の記録と指導のためだそうだ。職員さんに怒られたくない一心で、子どもの塾代や書籍代など、身の程知らずと判断されそうな支出を隠して報告した。「買い食いはダメ!」と言われていても、こっそりチョコやガムを買い、大切に味わって食べた時のように。
節約に努めるように言われ、ギューッと押さえつけられているような気持ちでいた。水量が調節されチョロチョロとしか出ないシャワーに悪態をつき、自分の無力さを感じて切ない気持ちになる日々。こうしたわたしの息苦しさは子どもたちも伝播し、知らず知らずのうちに窮屈な思いをさせていた。
ある時、息子は今までコツコツとためていた小銭やお年玉を、バァーっと全部カードゲームに費やした。彼なりの発散方法だった。わたしは憤り、そして悔し涙を流しながら、息子とお金の使い方について話をした。あれから3年、息子は中学生になった。今では「小遣いは、収支を書いたノートを見せて説明してから」という我が家のルールが定着している。
息子の収支ノートには「ジュース」や「おにぎり」「からあげ」など食べ物がならぶ。そのノートを見て、子どもの頃におこづかいでこっそり買ったコーヒー味のガムを思い出した。しまっておいたヒミツの記憶が、当時の感情とセットでよみがえる。お小遣い帳からのちょっとしあわせな追体験プレゼントだ。
娘は「お金は紙でできているから」と冷めた発言をして、周りの大人たちを驚かせるちょっとオマセさんなところがある。アニメの主人公が駄菓子屋で散財したり、プレゼントをねだったりする様子を見て、「あたしだったらこうする!」とお金の使い道をよく話す。
先日は娘と一緒に「親子で学ぶ!お金の教室」という講座に参加した。オンラインの画面越しでも怯まず、積極的に手を挙げてお金に対する自分の考えを発言していて、頼もしい。今まで「これは買っちゃダメ」や「もったいない」とお小遣いの使い方にあれこれ口を出していた自分を少し反省した。
親子で講座を受講したことで、子どものお金に対する考え方を少し知ることができた。身の丈にあったお金の使い方やつきあい方について一緒に考える機会を積極的にもち、お金について話し合うことで、彼らそれぞれの金銭感覚を徐々に養ってほしいと親心ながらに願っている。
時代、社会、環境と取り巻く状況の変化に伴い、自分の価値観、お金の使い道は変わる。子育て真っ最中の今、支出のトップは教育費。余裕ある精神状態を保ち、明るい未来へ向かって進む子どもたちをよろこんで応援したい。そのためには収入の低さや社会のしくみを嘆くところにとどまらず、寄付や希望が見えるお金の動かし方にもチャレンジしていきたい。
実は今回、このエッセイ企画に参加し、「12月は寄付月間」ということを知った。何かできることがあるのではと「チャリティー断酒」をスタートしてみた。30日分の酒代を積み立てて寄付する、という小さな行動。けれども「人生初の断酒、そして寄付する」ことは、自分にとって大きなチャレンジ。新たなお金の使い道を選択し、それをSNSで発信している。
断酒は想像以上に大変で、お酒の誘惑に負けそうになるが、フォロワーみんなの応援に支えられてなんとか継続していてありがたい。断酒や寄付を通じて感じること、そしてしあわせな未来に向かう姿を発信し、お金と時間の使い方を前向きに考える貴重な時間を過ごしている。
この寄付月間が終わっても、人生は終わらない。子どもたちとの限りある時間を想い、たどり着く答えは何だろう。毎日を大切に、そして思いっきり楽しく過ごすために、未来のためにしあわせな気持ちでお金をつかおう。苦くて甘いコーヒー味のガムを思い出しながら。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。このエッセイは、NPO法人シングルマザーズシスターフッドの寄付月間キャンペーンのために、シングルマザーのたなぼたはなさくさんが執筆しました。
このキャンペーンでは、シングルマザーのマネーリテラシー向上を呼びかけています。「こういう支援て大事よね!」とご共感、ご賛同くださる方には、ご寄付をお願いしております。いただいたご寄付で、シングルマザーがマネーリテラシーを身につけるための講座を実施いたします。ぜひ、寄付月間キャンペーン応援ページもご覧ください。
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