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わたしのしごと。

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執筆者 ミニオン

保育園からの電話と綱渡りの日々

「陽性者が出ました。お迎えお願いします。」

保育園から子どもたちがコロナの濃厚接触者になったという連絡だった。急いで向かう中、今後のことで頭が混乱していた。

「子どもは感染していないだろうか」「仕事はどうしようか」

会社の規定では、コロナで保育園へ登園出来ない場合、特別休暇を取得出来る。しかし、私は仕事で信頼を失いたくないという気持ちと、子どもたちに寂しい想いをさせたくないという気持ちから、在宅勤務と午前休を毎日取得して乗り切るという選択をした。

朝6時、朝食の準備とともに、子どもたちに「おなか空いた」と騒がれるのを想定して、お弁当を作る。チーズとハムを挟んだホットサンドやおにぎりと卵焼き、冷凍のアンパンマンポテトとミートボール。おかずは電子レンジで温めるだけの簡単なものばかりだったが、必死に準備した。

朝食を終えると、お弁当と水筒を持って、家の隣の土手へ出かける。当時の私は、離婚調停中で実家に身を寄せていた。実家のある田舎は人に会わない特別な場所が多数あった。

子どもたちは4歳と2歳。チョロチョロする二人の手を引きながら、「畑に落ちないように気をつけてー」と注意を促す。「抱っこー」と子どもたちにお願いされれば、右に娘、左に息子、首には2つの水筒。リュックには大量の食べ物と着替え。吐く息が白くなる季節に、腕まくりして、ひとり汗だくになる私。草滑りに落ち葉拾い。探検ごっこ。まだまだ子どもたちだけで遊べる年齢ではない。膝は土だらけ。服には落ち葉が付き、足にはくっつき虫までいた。

11時、早めにお弁当を食べさせ、帰りのぐずぐずも想定し、在宅勤務開始時間に間に合うよう急いで自宅に戻る。お弁当を食べさせるのに手一杯なので、自分のお昼は子どもたちが残したホットサンドやおにぎりだ。

私は金融業界で働いている。お昼ご飯もそこそこに、分刻みで業務をこなす。1秒たりとも無駄に出来ない。メールもチャットもあっという間に何百件という件数になる。子どもたちが大げんかをしてもお漏らしをしてしまったと泣いても、手を止めることは出来ない。社内外からのメール、チャット、そして電話に即対応しなければいけないからだ。大げさだと思われるかもしれないが、息つく間もないとはこのことだ。

一方で、ママは自分たちに全く反応してくれないと悟り、幼い子どもたちが諦めるようにテレビへ向かう姿を横目で見ながら、子どもたちとの信頼関係はどうなるのかと葛藤していた。

職場での評価に直面して

職場は、新入社員時代から憧れていた場所。インターナショナルな雰囲気で、大好きな語学を活かせる。結婚前は制限なく仕事中心の日々を送っていたが、今は「地方在住、東京勤務のひとり親」だ。私はそれをハンディキャップだと思っていた。コロナ渦で新しい働き方が推奨されていたとはいえ、仕事柄、出社した方が圧倒的に仕事がしやすく、在宅勤務を私ほどしている社員は他にいなかった。当然、周りからも風当たりも強かった。

だからこそ、信頼を失いたくないと特別休暇を取得せず、必死で少しでも仕事をして、あるのか無いのかわからないチームメンバーとの絆をつなごうとしていた。

でもそれが正解か全くわからなかった。

毎日配信される保育園からのコロナ陽性者発生の連絡と、東京へ行くことの自粛依頼に、「自分のせいで我が子が感染したら」「園に迷惑をかけてしまったら」と思うと追い詰められ、何度も夜中に目を覚ました。

本当に限界だった。よく乗り切れたと思う。

「明日からは通常登園出来ます」という保育園からの連絡にほっとした。

ようやく息が出来たような気がした。

同時に、仕事に集中出来る周りの皆がとてもうらやましくなった。でも、「地方在住、東京勤務のひとり親」は自分で選択したこと。出来ることをやるのみ!と前を向いた。

だが、ある日、上司が私にこう言い放った。

「会社に来ない人に仕事は任せられない」と。

葛藤

頭の中が真っ白になった。「在宅勤務と出社を評価で差別しないから安心して。子育て優先で良いから」と言われ続け、その言葉を信じていた。

もっと出社すれば良かったのか?とも思ったが、新幹線通勤で、かつ早朝から保育園に預けなければいけない子どもたちを思うと、どうしても出来なかった。実家に暮らしてはいたが、未だ現役で働いている両親に頼ることは出来なかった。通常保育の開始時間である7時に預けることも、実家周辺では珍しいことで、毎月事前に保育園に申請する必要があった。
なるべく出社日を減らし、東京へ行く日は母に迎えを頼んでいた。

私の運転する車のヘッドライトが実家の門を照らすと、2歳の娘が涙目で母に抱っこされて待っているのが日常だった。車を降りると、いつも満面の笑みで私に駆け寄ってくるのだ。

運良く配属された憧れの部署。もっともっと活躍したいと思うが、目の前にいる子どもたちの笑顔。お友達が誰ひとり来ていない保育園の教室に、早朝一番乗りで入っていく二人の後ろ姿を思うと、仕事をしたいと思う自分に罪悪感を感じた。現状維持に甘んじるしかなかった。

やっぱり「地方在住、東京勤務のひとり親」ではだめなのか?

私の変化

地元に転職したほうが子どもたちも幸せなのだろうか?子どもたちに負担をかけてまで続けたい仕事なのだろうか?と何度も葛藤してきた。だが30代後半になった私が、地方で一からスタートする自信はなく、葛藤を抱えながら、変化を起こすことはできずにいた。

そんな時、キャリアカウンセラーからシングルマザーズシスターフッドのことを紹介された。ひとり親TECHエンパワメントプログラムやマネーリテラシー講座を受け、自分の価値観を掘り下げ言語化するワークなどに取り組むたびに、「やっぱり、金融って面白いなあ」と思うことが増え、自分の仕事の意義を感じた。私の進む道は、この道で良いんだと自己確信でき、満たされた気持ちになった。

「現状は変わらない。だけど、まずは時間制約がある働き方なりに、何か改善出来ることないかな?」と前向きな思考に変わった。

すると、今まで苦手意識しかなかったExcelを学ぶ意欲が湧き、いつしかボタン一つで業務が完了するツールを作れるようになった。現在は効率化の相談をチームメンバーから持ちかけられることもあり、一時は「仕事を任せられない」と言われた私が、今では活躍の場を自分の手で少しずつ拡げつつある。

先日、マネーリテラシー講座のゼミ編を一緒に受講した仲間を対象にワークショップを主催した。初めてのチャレンジだった。その準備がとても面白く、良い気分転換にすらなっていた。わかりやすい表現を考えたり、構成を考えることの楽しさに気づき、新たな自分に出会えた。自分の知識を相手のために使いたい。いつかこういう仕事がしてみたいという目標も見つかった。

金融業界で働くことに葛藤していたが、今は「お金を知ることは世の中を知ること」と堂々と子どもたちに話している。子どもたちも「ママのお金の仕事ってどういうこと?」と関心を持ってくれたり、英語のプレゼンやワークショップを開催することも「かーーっこいいねえ」と笑顔で応援してくれる。その笑顔は、実家の門で見せた泣き顔とは違って太陽のようだ。

私の希望

私はこれからも学び続けたい。お金を通じて、世の中を知って、自分の価値観をアップデートしていきたい。先を読み、読んだ未来に向けて行動することを大切にしていきたい。過去のつらい経験は変えられないが、その意味づけは未来への行動によって少しずつでも変えていけると思うからだ。「かーーっこいい」母の背中をずっと見せられたらいいなと思う。

私は「地方在住、東京勤務のひとり親」を続けるつもりだ。だけど、状況によっては東京勤務を諦める日もくるかもしれない。そうなったら、それはそれでいい。壁が出てくるたびに自分の価値観と向き合い、作戦を立て、攻略していけばいい。

「小さな自信」をひとつずつ集めて次に進む大きな力にしていきたいのだ。大好きな子どもたちには私を通して、選択肢の自由があること、道はきっと拓けることを感じて欲しい。そんな思いをたずさえて、私は前を向いて自分の人生を歩んでいく。

わたしのしごと。(ミニオン)

最後までお読みいただきありがとうございました。このエッセイは、シングルマザーズシスターフッドの寄付月間キャンペーン2022のために、ミニオンさんが執筆しました。

寄付月間とは、「欲しい未来へ、寄付を贈ろう」を合言葉に毎年12月の1ケ月間、全国規模で行われる啓発キャンペーンです。シングルマザーズシスターフッドは寄付月間2022のアンバサダーにもなっています。

今年のキャンペーンでは「Turn lemons into lemonade.」をキャッチフレーズに、シングルマザーが試練を転機に変えたエピソードをエッセイにして、人生を前向きに進める一人ひとりのシングルマザーの生き方を祝福します。

ご共感くださった方はぜひ、私たちの取り組みを応援していただければ幸いです。ご寄付はこちらで受け付けております。


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