出戻り娘
執筆者:みかん
「出戻り娘」としての烙印
我が家はこの町に曽祖父母の代からこの土地に住んでいる。
代々のムラの役員など重要な仕事も預かってきた。
そんな家に、わたしは子ども2人を連れて突然帰ってきた。夫と別れたためである。
帰ってきた当初は、ムラの人たちも優しかった。大学を卒業し都会で仕事をして育児をしているワーキングマザーはこの地では珍しがられ、父や母も随分近所の人から「優秀な娘さんでいいわね。しかも忙しい中、実家にお孫ちゃんと顔だしてくれるなんて」といわれていた。
ところが1カ月が経っても帰ろうとしないそのイエの娘の姿をみて、あっという間にムラの人々からの視線が冷たくなるのを感じた。
ある寒い日、ムラを子どもと歩いていると、売店のおばさんと我が家の隣の家のおばさんが話しているのがきこえた。
「ほら、あの子、出戻りらしいよ」
もぞもぞと小声でしゃべるが、確実にその言葉はわたしに向けられているとわかるように、おばさんの目線は、わたしの足元から頭までをなめまわした。
なにか言い返したいという気持ちにはなったが、「出戻り」は事実であり、言い返したところで益々ムラに居づらくなるだけだった。
いつしか、わたしはこのムラで「出戻り娘」としての烙印をすっかり押されてしまっていた。
ムラの子どもたちと息子が遊んでいるときも「お前、父ちゃんに捨てられたんだろー」と言われているのも見たことがある。
シングルマザーですよね?
いろいろとムラの人々と関わることが面倒になり、わたしが関わりをもつのは保育園の行事くらいになった。
その日は年末保育納めということで保護者とムラの役を預かっている者が集まって、保育園の大掃除をする日だった。「地域に開かれた保育」を掲げた保育園というのはわたしにとっては時に残酷であった。なぜなら、その日は「出戻り娘」を特に意識しなければならなくなる日でもあったからだ。
保護者の中には興味本位で「なんでひとり親になったの?」と訊いてくる人もいたからだ。
集合場所であるホールには、実に様々な年齢の大人たちが集まり、にぎわっていた。
わたしはそれを遠くから冷めた目でみていた。
園長先生の挨拶が始まった。お決まりの「地域に開かれた保育園」の文句が続く。大人たちはうんうんと大きく首をたてにふり、そのことばに酔っているように見えた。
ふと、ホールからみえる園庭に気配を感じ目線をやると、1人の女性が走ってきた。
ポニーテールにした髪はところどころみだれていて、会社のロゴが入ったジャンバーは油汚れで黒く光っていた。入り口で若い先生に「すいません、仕事が長引いてしまって」と小声で謝る彼女。同じクラスのA君のお母さんだった。
A君のお母さんは最近、忙しそうだった。しかし、それが何か大したことだとも思わなかった。子育て中の母親がパートの職を点々とすることはこの地域では珍しくない。
園長の話が終わり、各担当の掃除場所が発表された。
そこに、さっきの彼女もいた。彼女はもくもくと掃除をはじめた。
そしてもう作業が終わるという頃、A君のお母さんはわたしの方に近づいてきた。そして、正面に立ってわたしをみた。
「みかんさんもシングルマザーですよね?」と直球をなげてきたのだ。
一瞬、ぎょっとしたが、しかしその顔には必死さが感じられた。決しておちょくっているわけではない、真剣な目だった。
わたしは、唾をのみ、意を決して「はい。わたしはひとり親です」と単刀直入に答えた。それも束の間、彼女は離婚したばかりで、新しい仕事をはじめたこと、隣のムラにある公営住宅に引っ越したこと、借金があること、すべてを淡々と語り始めた。
きっと誰かに聞いてほしかったのだろう。そして、旧習深いこの地でひとり親として生きていく覚悟をしたからには、それなりの冷たい周囲の視線があったことは容易に想像できた。
わたしは、その話をうんうんと聞いた。
新・出戻り娘
出戻り娘としての烙印は、ひとり親だけでなくどうやら、いろいろな困難を抱えている人に安心を与えるようだということがわかってきた。なぜならわたしのもとに真剣なまなざしで話にきてくれた人は彼女だけでは終わらなかったからだ。
子どもの障害、自分の病気、経済苦など、さまざまな人がレモン(試練)を抱えていて、それをなんとかしてレモネードに変えたいとみんな頑張っているということがわかった。試練があったとしても、Turn lemons into lemonade.の精神で頑張っているのだ。
そして、わたしの存在は様々な人の力になっているということもわかった。
「出戻り娘」という烙印はきっとこれからもわたしについてくると思う。しかし、この烙印はいま新たな局面をむかえている。
わたしは、この4月から保育園の保護者会の会長をつとめている。
園長、副園長そして、多くの保護者やムラの方からの信任をいただいての就任だった。
もちろん、周りは「出戻り娘」であることを知っている。しかし、最近は、ムラの役を預かっている年配者から「あんたは、昔からここの人だから話がはやいよ」と信頼をいただくこともでてきた。
出戻り娘として寄合のゴシップネタになるのではなく、ムラの大事な役を担う者として認識されはじめているのを肌で感じる。
私は、この「出戻り娘」という烙印があるからこそ、このムラで懸命に生きている人たちの声をひろっていくことができると思っている。そしてこれからのわたしは、この烙印の意味をかえていける存在であると自分を信じている。
最後までお読みいただきありがとうございました。このエッセイは、シングルマザーズシスターフッドの寄付月間キャンペーン2022のために、みかんさんが執筆しました。
寄付月間とは、「欲しい未来へ、寄付を贈ろう」を合言葉に毎年12月の1か月間、全国規模で行われる啓発キャンペーンです。シングルマザーズシスターフッドは寄付月間2022のアンバサダーにもなっています。
今年のキャンペーンでは「Turn lemons into lemonade.」をキャッチフレーズに、シングルマザーが試練を転機に変えたエピソードをエッセイにして、人生を前向きに進める一人ひとりのシングルマザーの生き方を祝福します。
ご共感くださった方はぜひ、私たちの取り組みを応援していただければ幸いです。ご寄付はこちらで受け付けております。