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20年物のレモネード

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執筆者 すなのいと

おなかが空いたから、ごはんを食べる。おなかが満たされたら、自然に手が止まる。食べた栄養は全身をめぐり、からだが快適に動く。

しあわせと感じるまでもない当たり前の営みだけれど、わたしは、そんな当たり前を20年ぶりに体感して、幸福を感じている。
 
3歳半になった双子の子どもたちの「ママ、ごはんおいちいね」という二重奏を聞きながら、おなじものを食べられる喜びを噛みしめる。

わたしは、思春期に摂食障害を発症した。生来の性格と、幼少期からの虐待によるちいさな傷が積み重なった影響だった。発症の決定打となったのは母の言葉だったと思う。「お前のせいで家庭が滅茶苦茶だ」と、家庭内の不和をすべて責任転嫁された。

子供心にも母の物言いに理不尽さを感じ、「わたしが生まれてきても、誰もしあわせにできなかったんだ。わたしなんか生まれてこなければよかった」という悲しみが、冷たいくさびとして胸に打ち込まれた。

それ以降、自分が受ける理不尽なことに怒りを感じても「そんなふうに感じるわたしがおかしいんだ」と考えるようになった。満たされない心を埋めるため、食べものを愛情の代わりとしてからだに詰め込んだ。物理的におなかがいっぱいになると、頭がぼんやりして、むなしさを一瞬だけ忘れられた。そして、言葉として表出できない怒りを、食べたものを吐き出すことで疑似的にすっきりさせる、という方法に依存するようになった。きっと、絶望の中でなんとか自分の生命を終わらせないために編み出した苦肉の策だったのだと思う。けれど、引き換えに失ったものは大きかった。

本来、人間の喜びの大きな割合を占める「食べること」がふつうにできない苦悩。自分に湧いた感情をいつも否定し、そのせいで溜まるストレスを曖昧にするために、食べものを、気持ちを吐き出す代替手段とし続けた。暴飲暴食と嘔吐という不自然な行為の結果、常に深刻な体調不良を抱えていた。

そして、そんな方法に頼っている弱い自分をさらに否定する、という負のループから抜け出せなくなっていった。

自分の感情を否定するということは、つまり他人にジャッジを委ね切っている、という状態でもあった。それはある意味ラクな選択でもあったと思う。わたしは守るべき自分の境界線を引かずに、支配的な人からの支配を許していた。

そんなさなかに出会った双子の父親は、出産後わたしに「やはり君は運命の人ではなかった。君と双子と生きていくのは自分にとっての幸せではない」と告げ、一方的に去っていった。

たった一人で行うことになった育児は、想像以上に過酷だった。昼夜問わず交互に、また同時に泣きわめく双子に対応し続ける日々。膨大なストレスを緩和するために症状は現れ続けた。

「双子の自我や記憶が固定される3歳ごろまでにはなんとか克服したい」という思いを抱くも、一方で、食べて吐くという身体に染みついたストレス解消法が、唯一の心の支えにもなっていた。

この子たちには、どうか健やかな心とからだで一生を送ってほしい、という切実な想いとは裏腹な自分の行動のギャップに苦しんだ。

そんな中でも、少しづつ変化は訪れた。

双子の成長に伴い、昼夜のない生活から徐々に生活リズムが安定しはじめた。子どもたちのために三度の食事を準備して共に摂るうちに、症状が次第に安定してきた。

双子の食の世界の広がりに歩みを合わせることが、わたしの弱った消化器官のリハビリになった。

そして、精神科の先生、精神保健福祉士、保健師や保育園の先生、カウンセラー、多胎育児の仲間にひとり親の先輩、友人、さまざまな人に、育児疲れで余裕がなさ過ぎて取り繕えないままに自分の気持ちをさらけ出した。それをジャッジせずに受け止めてもらうという体験を何度も繰り返して、わたしは初めてほっとできる心地、安心という感覚を知った。

人からやさしさを受け取ると、自然と他の人のつらさにも耳を傾け、共感することができた。誰かとつらさを分かち合うと、ふしぎと「ああ、またがんばろう」と思えた。

今まで食べものに託して自己処理していた感情は、勇気を出して表に出せば人との間で循環させられること、心地よい循環は生きる気力を養ってくれることを知った。

時には自分の未熟さから相手との距離を測りかねて失敗することや、受け止めてもらえないこともあった。けれどもそのたびに、相手に思いをめぐらすことを学んだ。人には皆それぞれの背景や立場があって、だから当然価値観も違うのだ、という事実を改めて知る機会になった。それに、たとえ誰かに否定された感情でも、別の場所でなら受け止められることもあるのだ、と気づいた。

その気づきを経て、湧き出た感情を良い・悪いでジャッジすることが減ってきた。自分自身への信頼感が芽生えた。

わたしは、気持ちを言葉に変えて人に伝える、という手段を獲得し、食べものを気持ちの代替品として用いる必要が無くなりつつある。

長い間、自分が生きていていいのかどうかさえ確信が持てないまま過ごしてきた。けれど、今わたしは、わたしが生まれてきたことを祝福しよう。わたしの中に生まれてくる感情も祝福しよう。そして、この世にすてきな個性をふたりも生み出し育てている自分に祝杯を!

そんな乾杯を込めて、20年物のレモネードを味わっている。

20年物だというのに、搾りたてのように爽やかだ。

最後までお読みいただきありがとうございました。このエッセイは、シングルマザーズシスターフッドの寄付月間キャンペーン2022のために、すなのいとさんが執筆しました。

寄付月間とは、「欲しい未来へ、寄付を贈ろう」を合言葉に毎年12月の1ケ月間、全国規模で行われる啓発キャンペーンです。シングルマザーズシスターフッドは寄付月間2022のアンバサダーにもなっています。

今年のキャンペーンでは「Turn lemons into lemonade.」をキャッチフレーズに、シングルマザーが試練を転機に変えたエピソードをエッセイにして、人生を前向きに進める一人ひとりのシングルマザーの生き方を祝福します。

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