【映画感想】テッド・バンディ(2019)/脚色って難しい
"Extremely wicked, shockingly evil and vile"『極めて邪悪、衝撃的に凶悪で卑劣』、"The story behind America's most notorious serial killer"『アメリカで最も悪名高いシリアルキラー』であるらしいテッド・バンディを題材にした映画。
最も悪名高いといっても日本人の自分は、この映画で初めて存在を知った。殺人鬼としての主な活動時期は1974年から1978年に逮捕されるまでである。つまり私が物心つく頃にはすでに彼は監獄で死刑執行の時を待っていたことになる。
あらすじ:シングルマザーのリズは、幼い娘をシッターに預けて出かけたバーで、テッド・バンディという名の若い男と恋に落ちる。ハンサムで紳士的なテッドは、リズの家で過ごすうちに娘とも親子のように打ち解けていく。理想的とも言えるほどの幸せな毎日が過ぎてゆく一方で、アメリカでは女性の連続行方不明事件が相次いでいた。そして数年が過ぎたある夜、テッドが誘拐未遂事件の容疑者として逮捕され、リズの運命は一変する・・・
この映画で提示される最も大きな謎は、テッド・バンディが本当に連続殺人犯か、そうでないかである。テッド役のザック・エフロンは、まさか残虐な連続殺人犯には到底思えないが、もしかしたら?と思わせるような陰の表情もチラチラ見せて揺さぶってくる。脚本は、陪審員たちがテッドに有罪判決を下した根拠となったであろう証拠や証言の数々の説明を敢えて映画の中で省いている。映画は彼の無実を信じたいけども膨れ上がる疑念を抑えきれない人物、つまりリズの視点で進んでいくため、観客=私もリズに感情移入して手に汗握りながら一喜一憂したり、呆れたり愛想が尽きたり、それでもあの楽しかった日々が真実だと信じたくて一縷の望みに賭けてみたくなったり・・・と感情を揺さぶられる。
だが、身も蓋もないことを言ってしまうと、この「テッド・バンディの物語をリズの視点で描く」という着想は失敗している。演出上の問題というよりは、構造に無理があったと思う。理由は単純で、実話を元にしている時点で観客は結末を知っているからだ。映画のラスト数分(冒頭のリズとの面会シーンの続きである)、テッドは初めて彼女に殺人の告白をする。法廷で何年も身の潔白を主張し続け、死刑を回避するのための司法取引すら拒否したプライドの塊のような男が、死刑執行直前、面会にやってきたリズに真実を語り始めるのだが、ここでリズがテッドに放つトリガーが、まったく拍子抜けなほど弱かった。ネタバレすると、リズは、実は自分こそが最初にテッドの存在を警察に通報した人間で、そのために彼は誘拐未遂容疑で逮捕されたのだと告白し、昔刑事に渡された封筒に入っていた首なし死体の写真をつきつける。彼女に何をしたか答えろ、と叫ぶと、テッドは呼気で白く曇った面会室のアクリル板に、指で・・・という流れだが、正直私は「それしきのことで?」と思ってしまった。この映画はスリラーでもサスペンスでもなく、ヒューマンドラマであるのだから別にいいだろう、と言われる向きもあるかもしれないが、だとしたら、テッドがリズだけに本心を明かし、本当の自分を見せていたとわかる強い描写が不足している。もちろん、彼女と彼女の家が、テッドにとっての心の拠り所であり、少なからず大切な存在だったのだなと思えるエピソードは逐一挿入されているが、それを強く守ろうとするエピソードが不足している。不足している理由は、実話の方に存在しないからだ。実際のテッドはリズ以外にも各地に複数の恋人がおり、初めて殺人の告白をした相手はジャーナリストだという。シングルマザーだったリズとテッドの奇妙な家族関係を、ヒューマンドラマに昇華しようという試みだったのかもしれないが、脚色の際に実際はあったはずの人間の軽薄さを丁重に扱わなかったために、作品の重量がやや軽くなってしまったと思われる。