離婚して知る結婚の難しさ 闇と病み(闇編)
健やかなるときも病める時も…
離婚の経緯をここまで色々書いてきた。その先を書き始めるのにずいぶん時間が経ってしまった。離婚を切り出した後の経緯は今でも苦しい記憶である。
至らない自分、頭のおかしくなった自分、自らを孤独へ落とした自分。さらに周りが見えておらず人の人生も狂わせた自分。自暴自棄になり現在目の障害に悩まされているのもこの時期の影響が大きい。一生忘れられない出来事である。
ばかな自分。
それを思い出す作業だから、思い出そうとすると今でも胸が締め付けられる。このことは一生、死ぬまで後悔する。特に相手がどんなに辛い思いをしたかを想像すると、それをした自分がモンスターのように思う。自分で自分が許せない。2年が経ち日常の生活では思い出さなくなった、この複雑な気持ちを誰かに話すこともない、でも罪深い自分を一生消すことはできないと思っている。離婚に至ってしまった経緯(自分が悪かった部分)と、別れる時に相手の気持ちを考えない冷酷非道だった自分。それに苦しんだ人がいるという事実が今でも自分の存在を否定してしまう。
病める時に手を差し伸べなかった自分は罪が深い。
彼がその時の人と再婚してるのが唯一の救いである。彼には誰かが必要なのだから。私といて傷が深くなるより、離婚という選択が一時的な苦しみはあったとしても結果的に彼が幸せになれたのなら心から良かったと思う。
離婚はお互い様なのだから自分をそこまで責めなくていいとは分かっている。変な話だがそうやって思い詰めるところがそもそも自分の至らなかったところ、甘いところ、大人なのに子供なところ。もっと堂々としていたなら離婚に至らなかったような。私自身も一時的な(一時的にしてはダメージが大きかったが)苦しみはあったとしても結果的に離婚は自分を見直すいい機会になったと前向きに思うことも真実である。
当時の自分は今と全く異なった人格だったかというとそういわけではない。そういう自分も自分だから、同じことを繰り返さないとも言えない。気をつけないといけない。しかしそんな自分を出さないようにと思うばかりに、本来の自分でいられない、自分の良さもだせない、というのもよくない。どうやって折り合いをつけていくかにたどり着くには時間が必要だ。
消化するためにも事の顛末と自分がどうかんじたか、見直した後に見えてきたものは何だったのかは辛くても書き留めておきたいと思う。
私は彼に離婚を切り出し、それから1週間で離婚へとどんどん一人で進めた。ちょっと出かけてくるといってコンビニに行って、離婚届を印刷してきて、彼の見ている前で広げ自分の欄を書く。「すぐに彼の欄も書いて欲しい」と言って渡すと、彼は「なんでそんなことするの」と悲しそうだった。
私はなんて思いやりのない非道なことをするのだろう。それまでの2人で重ねた時間の積み木を手ではたいて崩す私。
私はずっと辛かった。けれど私が彼の浮気を知っていたことは彼は知らない。私は話し合いもせず、怒ることもなく、一人で数か月考え込んでいた。そして一人で色々なパーツを集め最終的に離婚するという結論を出した。
結論を出した私は一方的に離婚を伝え、それ以外の選択肢は考えていない態度でいた。離婚の話は寝耳に水。話合うこともできずこれは決まったことと聞く耳を持たない私に、ばっさり切られていく彼。
今の状況から逃げたかった。なので情が湧いても心は無にしてこのプロジェクトを遂行することだけを考えていた。彼女に心を奪われている彼をこれ以上見ていられない。彼を1ミリも楽しませてあげれない自分は彼と一緒にいる価値がない。彼の荷物を毎日盗み見ている自分にもうんざりだった。ここまで思い詰めた私をさあ見て!という気持ちもあったと思う。
伝えた日の夜も、翌日も、その翌日も私は普通にしていた。普通に食事を作り、おいしいね、と離婚は大したことがないと言わんばかりに平然としていた。離婚を突き付けた以外は2人について何も話をしなかった。
彼はきっと辛く、悲しみに一生懸命耐えていたと思う。別れたくない。一緒にいたいというラインをもらった。自分が弱かったというラインももらった。また覚悟をしたように2人の大事な思い出が沢山あるから、別れても会い続けたいというラインももらった。
私は返事をしなかった。
拒絶された側の気持ちを考えると苦しい。私が彼を嫌っていると思っただろう。私は彼が本当に好きだからこんなことになってしまったのに。私は無になり動じないようにもうこれ以上考えないように扉を硬く締めていた。彼の気持ちは全く聞かない態度だった。
一緒にいたい(離婚したくない)と言われたタイミングはとても悪かった。その夜、帰宅が早い彼が久しぶりに夕飯を作って待ってくれることになった。離婚したいといったものの、2人の関係がこうやって普通に戻っていくのならやり直せるかもと思い始めていた。彼を懲らしめて、反省してくれるなら…一緒にいたいと口だけでなく行動で示してくれたら…自分の心が少し溶けるのを感じたのに。
しかし彼は口と行動が違った。今夜はやっぱり出かけたい、行ってもいいか?と聞いてきたのだ。ごめんね、ごめんね、ご飯は作って置いておくから。と。私はとても馬鹿にされていると感じた。(←その自尊心、いらないな。と今なら思う)もちろんご飯の用意がないからではない。この期に及んで彼が彼女に会いに行くとうのが信じられなかった。私を置いて彼女を取るのだと、それが彼の答えなのだと。口では一緒にいたいと言った人が、行動では彼女に会いに行く。もうたくさんだと思った。
いいよ。と、どうぞ。と、それがあなたの答えなのね。あーそうかそうか、そうやってこんな状況でも彼女に会いにいくんだね。彼女が大事なんだね。だったらどうぞ、私はもういいです。好きなようにしてください。というのが私の心の声。
しかし私が口にしたのは「いいよ、ご飯はいらないよ、大丈夫だよ、行ってきな」、そして最後に「あ、家(離婚後の彼が住む家)は探してね」
と優しく(冷淡に)返した。彼からは時間を置いて「分かった」と返事があった。その時彼の悲しさが痛いほど伝わってきたのを覚えている。もしその2言目を言わなかったら、その夜、彼は彼女と決着をつけてきてくれたかもしれない。
全てが想像でしかないのだけれど。
彼は私の意思が固いと思っただろう。もう元には戻れないと思っただろう。私は彼の口でいうことと行動が違うことにがっかりした。プチンと音を立てて気持ちの糸が切れたのが分かった。夕飯を作って待っていてくれると提案された時は嬉しくて、離婚は避けられるかもと思ったのに、結局はその機会を叩き割ってしまった。
何しに行くの?行ったらもう終わりだよ。と言ったら状況は違っていたかもしれない。私は常に彼の行動に「いいよ」と言ってきた、心の中では全くいいよではなかったのに。今ならそれは良くない事だと分かる。
彼がもし浮気を認めて、別れ話をしてくる。と言ってくれたら。私は快く送り出しただろう。別れ話をしたら彼女が家に乗り込んでくると言い出し、それを収めにいくのだったかもしれない。別れ話でなかったかもしれないが、離婚と言われ追い詰められていた彼の心境も分からなくもない。どうにもできない状況で、どうしたら分からなくて、誰かに話を聞いて欲しかった。そして聞いてくれる人は彼女しかいなかった。かもしれない。ちぐはぐな行動をしていた彼にも理由があったはず。
日頃から本心を話し合っていない私たちは、もちろんこういう場面でもお互い素直に思っていることを口にできない。恥ずかしいのか、相手にどう思われるのかを考えすぎなのか、嫌われるのが怖いのか。とにかく2人とも変な遠慮があった。
話は全く変わるが、50歳になる今でも私は親に今日は外泊するというのを伝えるのをためらう。1つの家で生活は別にしているが帰っていないと心配されるので言わないわけにはいかない。でも言えない。置手紙かLINEか。そんな子供じみたことをしてしまう。
これと全く同じである。彼にに思ったことを口に出して言ったことがほとんどなかった。それに彼は怒り出すこともあったため、そうなったら話はもうそこで終わりである。しかしこの思いは私側だけでなかったと今は思う。結婚生活の中で私に気持ちを話したところで耳を傾けてもらえないと彼は感じていたと思う。彼は私に拒絶された小さい絶望を結婚生活で何度も味わっていたのではないだろうか。
とにもかくにも、あの時私のキャパでは出かけていく彼の置かれている状況や気持ちを受け止めることができなかった。彼が彼女に会いに行った(と思われる)日、私が離婚を思いとどまる最後の機会はなくなった。
そして3日後離婚届を渡した。その日彼は帰ってこなかった。翌日帰ってきて、一緒に普通に外食し、彼の新しいリュックを買いに行った。相変わらず私は普通にしていた。帰ってこなかった彼を責めることもなく。そしてその夜彼は離婚届を書いた。
離婚を切り出してから1週間後のことである。
私は結婚生活をなんでもOKOKで我慢してきた。彼も彼で私に何も言わないことでOKOK状態、つまり我慢していたと後になってよくわかった。自分の気持ちを伝えないで我慢で乗り切ろうとしても、長く仲良く一緒に生活していくことは難しい。
彼は私が何を我慢していたか知らない。OKと言ったのだからOKだと思っていただろう。OKとしか言わない妻は自分に関心がないと思っていたかもしれない。私は一体何のために何を我慢してきたのだろう。
言い争いになるのは避けたかった。我慢するよりその方が傷つく。例えば一度言ってしまったことは、一生わだかまりとなって残ると思っていた。けれど、浮気するのが嫌なんだ、その人に会いに行くのが嫌なんだ、私に関心を示さないのが嫌なんだ!と叫ぶ方が何百倍もよかったと思う。あなたは私といると不幸、新しく会った人には勝てない、なんて考えてる。それは私があなたが好きだから!それの何か悪い!!とどっしりと構えて、覚悟すればよかったかなと思う。
できたかな?
そんなことを出来る力量が私にあったかな?
変な保身(私の場合は気持ちを言わないこと)をすればするほど、事態は上手くいかない。素直になって自分の本心を伝える。これを日ごろからやっていないと当然、いざという時にも素直になんかなれない。同じ人なんていないのだから素直に伝えあわないと分かり合えない。当たり前のことなのに出来なかった。
彼は離婚届を書いた後しばらくして、ある日を境に家に帰らなくなった。今日から帰らないという言葉もなかった。一緒に暮らした家から引越をする日までそれから彼は一度も家には帰ってこなかった。それきり彼と会うことはなかった。私は約2か月一人でその家に暮らし、全ての片づけを一人でして家を出た。
新しい家が決まったと連絡が来た日は忘れられない。会社に向かっていた電車の中だった。荷物は全ていらないと言われ、彼が誰かと暮らすことが分かり、涙が止まらず、途中で下車して、今日は休むと会社に連絡し、家に帰った。
孤独だった。
彼は勝者で私は敗者。
かけがえのなかったはずの家族を失った。結婚して以来彼はずっと私の味方でいてくれた。どんな時も家族でいてくれた。それを失ってしまったのだと思った。意地だったのか、苦しかったからか、仕返しか、仕返しだとしたらそこまでするほど彼の気持ちは相手に進んでいたのか。そんなつまらないことで人生のパートナーを失ってしまった。
離婚を言い出す3週間前にこんなやりとりがあった。「離婚したいならしてもいいよ」と私は言った。彼の浮気を疑っていたから。彼は全くそんなこと考えてないと怒った。ただの浮気で本気ではなかったのかもしれない。それを伝えた日から週末の外出が始まった。彼は週末全く家にいなくなった。朝早くから家をでて夜遅くに帰ってきた。私は週末家でひとりぼっちだった。
私は本当は私はあなたの浮気をしっているのだと言ってやりたかった。知られているということを彼が悟り、改心してくれればいいのにと思った。彼が謝ってやっぱり今の家庭が大事だとはっきり言って欲しかった。しかし全てが逆効果。彼は彼で週末帰らないことでその時抱えている辛さを私に悟って欲しかったのではないかと思う。
このことは単なる浮気物語かもしれない。もっと単純で、旦那が浮気した。奥さんは彼を責めたということかもしれない。しかし私は離婚をして、自分が彼を孤独にさせていたと後悔し、病める時こそ相手をもっと観て誰よりも理解して寄り添うべきだったと気が付き、拒絶が彼を苦しめたと自分も苦しくなった。私は紛れもなく幸せだった。その幸せは自分の我慢があり、彼は我慢がなく。彼は勝手に私から離れどんどん冷たくなっていく。もう元には戻らない。離婚してもうこの我慢は止めよう。彼も私も他の人といる方が幸せだと思い込んでしまった。誤解と思い込みとすれ違いと空回りと、どんどん負の渦に飲み込まれていってしまった。
そこからは約1年は苦しい毎日だった。自分が自分を闇に引きずり込んで閉じ込めてしまった1年。
あー、やっとここまで書けた。自業自得だけど苦しくて思い出したくなかったこと。