自分(R)の経歴
私Rは今現在父親と父親の再婚相手と弟二人と生活しています。
しかしこの生活に至るまでには様々なエピソードがあります。
世間に発信することは自分にとって勇気のいることですが、様々な人たちに発信していくことで少しでも離婚家庭やひとり親家庭の苦しみを理解していただければいいなと思い、ブログに書き留めることにしました。
ぜひ目に通していただけると幸いです。
わたしの家庭では離婚こそしていないものの、幼稚園生の時に父親が出ていきました。しかし全く会わなくなるかというとそういうわけではなく、月に1回位程度会うというような感じでした。しかし、母親との独り暮らしであることに変わりはなく当然苦しい生活が待ち受けていました。養育費こそでていたものの兄弟3人を抱える母子家庭では十分ではなかったため、母親は朝から働きに出ていき、夜私たちが寝る頃に帰宅するという生活を毎日繰り返していました。そんな中で私は長男だったために弟たちの面倒を見て、学校に行ってに繰り返しであり、そんな生活が中学2年生まで続いたことで精神的疲労によって自律神経失調症を患ってしまいました。なぜこの生活に終止符が打たれたかというと、両親の離婚によるものでした。しかし、この出来事は自分にとって意外なものではありませんでした。母親の口癖は『さっさと離婚したい』であり、離婚を示唆するようなことを我々子供達は察していました。そして実際に離婚をすると、親権自体は母親が持つことになりました。しかし私たち兄弟は経済面などから父親に引き取られることになりました。もちろん私たちは強い拒否反応を示し、父親を父親と思うのに大変な年月がかかりました。こうして父子家庭を経験したのちに父親は新しいパートナーを連れてきました。この時の私は拒否反応なんかではなく酷い屈辱を感じたのを覚えています。母親の頑張るところを一番身近に見てきた身として、母親は父のせいであれだけ苦しんだのに、なぜこんな呑気に、そして当たり前のように新しいパートナーを連れてくることができるのか。比較的父親を父親と思えた矢先にこのようなことをされて、私は憎しみと共に認めなくてはいけない屈辱と認められないプライドに苦しみました。
この出来事から、周りの友達には馬鹿にされる、見られる目が変わるなど、子供ながらに世間体の目を気にして生活する窮屈で自責思考な生活を送っていました。しかし、そんな自分を誰より気にしてくれたのは母親だったし、様々なことでお世話になりました。いろんな人のおかげで父と父のパートナーとも日に日に打ち解けていきここ1、2年でようやく安定した生活ができるようになりました。今でこそこの経験は珍しい経験であり、貴重な経験ができたとプラスにとらえることができています。しかしこの出来事は絶対に忘れないし、忘れられない自分の中の大切な記憶として残しています。
このような経験からこのブログを書かせていただきました。このブログを読み」少しでもひとり親家庭や離婚家庭のことを知っていただければと思います。
あ、ちなみに父とそのパートナーの方は今年の7月20日に結婚をし、私たちは本当の家族になりました(笑)
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