ジャーマンシェパード『ガイ物語』
ガイ(GUY)は私が40歳過ぎて、初めて飼ったジャーマンシェパード。
そんなガイとの暮らしを綴った想い出をみなさまにお伝えいたします。
ガイとの出会い。
それは、私にとってのジャーマンシェパードとの暮らしが始まり。
(1)ガイについて
ガイこと「Pendel von Klingelbaum」は1999年1月6日、7頭兄弟(うち2頭は死産)の長男として愛知県碧南市で生まれました。
ガイの家系は次のとおり。
・父親:Radolf von Blitzen Stein
祖父:Orry von Haus Antverpa
祖母:Albin von Jindoji
・母親:Quanda von Yamaiku
祖父:Raudi vom Haus Gero
祖母:Anka vom Vorspessart
特に父方祖父のOrry von Haus Antverpaは世界訓練選手権などに3回優勝するなど大変優れた、そして有名な犬だったそうです。
生後まもなくして、警察犬訓練所に引き取られ、ガイはそこで基本的な服従訓練を受けながら成長しました。
なお、訓練所での名前は「シャーク」。所長さんは、「シャーク」が長毛であったため、自分のもとでずっと育てようと思っていたそうです。その頃の「シャーク」はとても人懐っこく、誰にでも愛される性格だったようです。
1歳になる頃、工務店の社長が訓練所を訪ねて来ました。資材置き場が夜間無人となり盗難が多いため、番犬が必要とのことでした。長毛で大柄なシェパードを見た社長は是非ともこの犬を番犬に欲しいということになり、結構な金額で「シャーク」を買い取っていったそうです。
しかし、もともと社長と社長の奥さんは犬好きではなく、犬の世話はもっぱら犬好きの従業員の一人が担当し、資材置き場の一角に作られた檻の中での暮らしが始まりました。
夜は資材置き場の檻のなかで、ひとりぼっち。良からぬ輩が来て、精一杯吠えたとしても、所詮は檻のなか。盗難がなくなったかどうかは定かではありません。
そして半年も経たないころ、犬の面倒を見ていた従業員が会社を辞めることとなりました。その際、他の人が誰ひとりとして、その犬に触ることすらできなかったため、保健所で処分する話しが進んで行ったそうです。
その話しを社長の奥さんから聞いた美容室の先生が、とりあえず引き取るということとなり、先生が軽自動車でその犬を迎えに行ったそうです。檻の隅に自分のうんちがあちこちに着いた状態で、その犬は悲しげな目をして先生を見つめていました。
実はこの資材置き場での暮らしで、この犬がどんな名前で呼ばれていたかは、辞めた従業員以外誰一人として知らなかったそうです。
美容室の先生は嫌がる大きな体をひっ捕まえて車に乗せ、美容室に連れ帰り、業務用のシャンプーを使って丁寧に体を丸洗いしました。そして凛々しくなったその姿を見て「ナイスガイ」と言い、「ガイ」と名付けられました。
(2)美容室での生活
2000年5月、とりあえずは美容室の先生宅で仮住まいを始めたガイ。
当時、先生宅にはドーベルマンのメス「ガーディ」とペルシャ猫が2匹いて、とてもガイが室内でずっと暮らせる空間がありませんでした。
しかしながら、仮住まいでのガイの生活は快適そのものでした。
美容室の店舗の2階にある先生宅では、犬や猫はずっと室内飼い。猫2匹とも仲良く同居、そして先住犬のガーディからトイレの場所を教えてもらうなど、ガイは室内の暮らしに順応。また階段の上り下りもこのときに出来るようになったそうです。
とは言え、先生も1階の店舗にいるものの、2階の様子をいつも見ていることができるわけでもなく、高齢の義理のお母さんも同居しているため、新たに成犬のオス1匹を迎えいれての犬・猫4匹の同居は、やはり、とても心配だったそうです。
そこで誰か犬好きで飼ってくれる人はいないかと随分と思案したあげく、頭に思い浮んできたのが、私たち夫婦のことでした。
実は私たち夫婦には子供がいません。
妻は根っからの犬好きで実家ではずっと犬を飼っていましたが、私の方は犬を飼った経験がなく、「犬を飼うならそれなりに分別のある犬なら良いけど。例えばシェパードならね。」と冗談半分で言っていました。
なお、美容室の先生から妻にガイの話しがある前に、私たちの側に、ガイを迎えるキッカケとなる2つの出来事が起こっていました。
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