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太陽の子をみた。。。

太陽の子...みた。

三浦春馬さんの事があったからか…、他の人の人生の一部を演ずるという事を考えてた。…自分が舞台上で何度も何度も死んだ事を思い出した。
オペラの役の上の事なんだけど…、役の一部に自分のこれまでの人生の一部分を重ね、実際に自分の中にあった感覚、感情を倍増させ、焦点を当てて…役作りをする…。舞台上の役の死は、役に重ねた『自分の一部分』にとって、苦からの解放だったり、苦楽、善悪...そういった物の統合の瞬間だったりしてて…(それは、素晴らしい台本や音楽の力を借りて、仲間と稽古を重ね 自分の役を客観視しながら、時間をかけて感じられる様になるんだけど…)一生懸命生きてたら、当人にとって 死って実は怖くないのかもな…などと考えてた事を…思い出してた。

75回目の終戦記念日。
この時期に日本に居るのは 本当に久し振り。27年という年月を経たという事もあると思うが、尋常じゃない暑さと、コロナ禍も手伝って、自分が日本に居た時とは、全く違う感覚で今日という日を過ごした。

そして、太陽の子をみながら、軍国主義下にあった当時の日本に思いを馳せた...。
時代、世間の目、自分の本当の気持ち...。
与えられた情報から来る思い込み、隠された真実…。

1990年代に、社会主義崩壊直後のチェコで、根本的な常識や道徳感覚が違う人と一緒に仕事をしながら、色々考えた事を思い出した。
今思うと…、周りに西側出身の人がまず見当たらないという環境だったから…、結構 大変だったなと思う。

私の中には、常に 「長年 異国に居ながら、結局 私は 何もできていなかった。」と思う自分と、「いや、そんな筈は無い!必ず、何かになってるハズ!」と励ます自分が居て…、いつも私は、後者の自分にすがり付きながら歩いてきた。なんで、あんな考えを持ってたのか…と思う。

このコロナ禍で、自分で仕事を作り、働くという事をやって、久し振りにドップリ実家に居る事ができて、実は私、色々経験して、成長してるらしい事に気付いた。それを私自身が認めてやれてないから、思うままに挑戦できずに後悔だけが残ってるって事…実は 沢山ある。「原因は全て自分だったんだ…」と気付くと同時に、自分を認めてやれない…そんな私の根っこに何があったのか、この滞在中に気付いた事は多かった。
まぁ…でもね、あの時点の私は、あれが精一杯だった…。
それに気付いたら、それで良かったと思えて、全て過去になった!気がしている。

あの時 私が、何を信じ、どこへ向かってたのか…が見えた。
たった、20数年前なのに、全く違う時代の話に思える。

で…、今、私は、何を信じ、どこへ向かいたいのか…。
と、考える…と、答えは…ちょっとまだ、解らない。

居たい場所に居よう、巡り合いたい人を思い描こう!!
その内に、何かが見えてくるんだと思う。

75回目の終戦記念日。
自分の中の戦い...が、終る様な...気がしてきた..。

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