だからさ
障害者が劣ってるって?
今の時代、そんなことを平気で言う人は少ないかもしれない。
でも内心では、いや無意識下でも、そう捉えてる人がとても多いんじゃないかと思う。
特に福祉、教育、医療という、障害者と密接に関わる分野にいる人ほど、その思考はベットリと染み付いてる。それ以外の人々は、もっとあっけらかんと受け入れてるか、逆に、無駄に変に近づこうとせず距離を保ててるように感じる。
自分はこう思ってる。
「そりゃ劣るよ、この世の中じゃ」って。
社会の多数派が使いやすいように決めた規格、基準に照らしたら、出来ないこと多いもん。
段差を越えられない車椅子ユーザー。
空気読んでの言動が苦手なASDなどの発達障害。
迷子放送や地震アラートが聞こえない聴覚障害。
これだけ、健常者中心に積み上げられてきた規格や基準には、合わないに決まってるじゃん。
そもそも「劣る」には、比較の対象が必要なの。
社会の大多数という比較対象がね。
そこをみんなスルーしながら、水面下で
「劣ってる」
「いやそうじゃない」
ってケンカしてる。
単に「出来ない」ってことを「劣る」と捉えてるだけ。
「いやいや、自分にも出来ないこと沢山ありますし」
なんて、道理の分かったようなことを言う「健常者」の頭の中、ちょっと整理してあげたら、もっと別のこと言えるんじゃないかな?って思っちゃう。
「出来ない」を「劣ってる」と相手に言い換えられたら、どんな気持ちがするだろう?
(え、待って?誰と比べて劣ってるって言ってるの?)
ってムッとするかもしれない。
でも、その後に気付けるかもしれない。
自分の中の基準って、誰のためのモノだったんだろう?
とか。
あれ、自分は多数派じゃなかったのか?
とか。
そういう価値観の揺らぎって、生きていく上で個々がもっと大事にしなきゃね。
一番最前線にいる、福祉、教育、医療の関係者が、一番分かってないんだ。