X(旧Twitter)をアンストした。

こんにちは、えまです。

突然ですが、唐突にXをアンストしました。日々の時事ネタやネットニュース、推し活の情報源だったX。これがない世界へ行った話を徒然なるままに書いてみます。

前提:私のSNSの使い方

 SNSというのは、まずアプリが何個もあって、その中でも使い方に何種類もあって、人によって使い分け方は様々だと思う。そこで、私の今までのSNSの使い方について整理しておく。なかなか他人のSNSの使い方を見る機会もないと思うので、普通の20代社会人女の一例だと思って聞いて欲しい。

 まず、Instagram。これがなんだかんだで一番バランスが良くて好き。私はメインアカウントとして直接の友人しかいない鍵アカウントを持っている。旅行やディズニーに行ったら時差で複数枚投稿する感じ。鍵で友達同士なのでいいねとか気にしない。そしてサブアカウントとして、公式アカウントフォロー用の公開アカウント、趣味について気まぐれに投稿する公開アカウント、の2つ。

 次に、X(本当はまだTwitterと言いたい)。これはほぼ情報収集ツールとして使用している。かつては友人しかいない鍵アカウントで思うことを呟いたりしていたものの、なんだか自然とそういう感じは無くなった。今はこちらのアカウントは趣味に関する気持ちの発散場所としてごくたまに呟いている。
そしてもう一つ、こちらはInstagramとは異なる趣味用の公開アカウント。推しを応援するためのツールとして情報収集したり、公式をリツイしたりしている。

 他はFacebook、Threads、TikTokといったところだが、いずれも日常的に見る習慣はなく、投稿も一度もしていない休眠アカウントである。

XとInstagram、“不快”を感じる機会の差

 そんなわけでほぼインスタとXしか使っていないわけだが、日々見ていると、どうしてこうも違うのだろう?と疑問に思う時がある。

 私の使い方の中では、圧倒的にXの方が批判や誹謗中傷、炎上といったネガティブな面が目立ち、インスタの方がポジティブで洗練されているように見えるのである。

 当然、Xでも良い話がバズることだってあるし、ネガティブばかりではない。逆にインスタでもタレントの投稿に悪質なコメントがされていたり、匂わせや晒しといった行為もある。

 ただ、インスタはコスメや観光地、ホテルといったまとめ投稿や、可愛い動物、アイドルのダンス動画、タレントの切り抜きなど単に自分の趣味嗜好にあった投稿がおすすめされる。一時期ステマの巣と化したが、今は是正され、見るものをきちんと選べば快適極まりない。しかし近頃のXは、トレンドを踏むだけで、おすすめ欄を開くだけで、見たくもない炎上案件や誹謗中傷、目に余る金銭目的のポストが見えてしまう。

 どちらも自由にクリエイティブを発揮できる場所であることに変わりはない。何が違うのか。

 当然ながら、Instagramは、投稿するために写真が必要である。もちろん、真っ黒や真っ白な画面を用意してキャプションだけ書く芸能人(に限らないが)もいるのだが、たとえスクショでも投稿する写真は用意しなくてはならない。写真を選び、編集を考え、キャプションを書くことが最低限求められている。

 一方、Xはと言うと、右下のプラスボタンを押して文字を打ち込み送信ボタンを押せばもう世の中に発信できてしまう。この便利さこそが、災害時や生配信等で有効活用されているのだが、反面、思ったことを考えもせず発信してしまうリスクに繋がっているのではないだろうか。

“言いたい”感情と言葉選び

 Xが利便性のために重視した「投稿する気軽さ」という特徴が、なぜリスクとなるのか。

 一旦インターネットの世界を離れて、対面でのコミュニケーションに立ち返ってみよう。

 例えばあなたが、誰かにポジティブな話をしたいとする。良かったこと、面白かった話、楽しかった思い出を友達や家族、恋人、同僚に話すとき、そのエピソードをどんな風に伝えるか、あなたは少し考えるのではないだろうか。こんな話があったんだ、と誰かに共有したい時、人は自分と同じ思いを感じてほしいと思っている。そういうときには少しでも話の流れをうまく作って、工夫して伝えようと思うのではないだろうか。

 一方、何かに苛立ったり怒ったり、批判や批評をしたい時、冷静に考えて言葉選びをしているだろうか。恋人との喧嘩や職場の愚痴、応援しているチームの連敗、街で出会った変な人の話をする時、ポジティブな発言をする時よりも感情的に言葉を発していないだろうか。冗談混じりであったとしても、いつもより汚い言葉で話したり、思ったままを言ってしまいはしないだろうか。

 それは、SNSに発信するときも同じなのではないだろうか。

 可愛い犬の写真をバズらせたい!どんなキャプションを付ければ見てもらいやすいだろう?
 この記事の見出し、あのタレントこんなことしてたんだ。最低だな。ネタになるし広めよ。

 といった具合である。

Xのない生活

 私は、ある2つの推しにまつわる炎上や誹謗中傷、意味のない論争に疲れてアンストした。

 Xは開けた時点でおすすめ欄がデフォルト表示される。炎上案件は目に入れば文字面の衝撃が大きいので、どんなに気をつけていても最初は信じそうになってしまう。いかんいかん、と中身を確かめようとしても、何が真実か、第三者には分からないことばかり。世の中で起きていることが知りたくてトレンドを踏めば、インプレッション目当てのポストばかりでソースが分からない。

 結局、真偽のわからない情報を追っても時間の無駄だと思った。他に使うべきことがあると。

 推し活をしている人なら分かることだが、Xの情報量は本当に凄まじい。チケット、グッズ、メディア露出、現場(※オタク用語でライブや舞台、試合など推しが生で登場する場面のこと)など、あらゆる最新情報が詰まっている。

 そこから離れるのには小さくはない勇気が必要だった。あったらあるだけ便利なはずの“情報”からあえて離れるのだ。人間の進化とは逆を行っている気もする。

 アンストしてから、まず変化を感じたのはスクリーンタイム(スマホの画面を開いている時間)である。Xを見なくなったことで無意味にスマホを開けても見るものがなくなった。

 それから、必死で追っていたさまざまな情報は人生において必要なものではなかったということに気づいた。便利なものに慣れると「なくてはいけない」と思い込んでしまうが、なくなってしまえばそれはそれで生きていける。

 結果、不都合は特になかった。Xにしか投稿していないイラストレーターさんの絵が見られないことだけ悲しいので、時々見たい時にググることにした。それだけ。

“不便”を楽しもう

 日々の情報源だと思っていたものを手放して、デメリットよりもメリットの方が大きかったのは間違いない。
 ただ、これは私の個人の見解である。仕事でXを使っている人もいるし、一概に「アンストした方がいい」とは全く思わない。だって便利だし。

 でも、時々不便な世界に行ってみるのは是非お勧めしたい。

 キャンプやレコードやフィルムカメラが流行るのはなぜか。それは人がわざわざ不便を楽しむというおかしな嗜好を持っているからだ。
 便利な都市部に住んでいるのに森で料理をし、スマホで聴けるのに盤とプレーヤーを買い、スマホがあるのに現像をしたがる。

 もはや不便さは娯楽だ。とんでもない世の中だが、不便を楽しむ余裕は人生を豊かにしてくれると、私は信じている。

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