見出し画像

8月22日は、三船殉難事件の日

 今日、8月22日は、三船殉難事件の日である。


 79年前の今日、北海道留萌沖で、樺太(現在のサハリン)からの引揚者を乗せた3隻の引揚船が、昭和20年8月8日に対日参戦を宣告したソ連(ソビエト社会主義共和国連邦=現在のロシア)の潜水艦により激しい攻撃を受けた。
 小笠原丸と泰東丸の2隻は沈没。
 第二号新興丸だけは沈没を免れたものの、砲撃と銃撃により大破。船体を大きく傾けながらも留萌港に入港出来たものの、多数の者が海に投げ出され犠牲となった。また、砲撃により船内でも多くの死者が出たという。
 三船殉難事件とは、この3隻の事件のことである。


 3隻の犠牲者数は、1,708名とされている。
 しかし、当時の乗船者名簿は現在のようにすべての乗船者について詳細に記載されたものではなかった。さらに、先述のとおり当時の樺太は突然のソ連からの攻撃により混迷を極めていた。引き揚げ船には、ソ連兵から逃げようとする多くの日本人が殺到していた。
 上記のような当時の状況を記した資料から、実際の乗船者数ならびに犠牲者の数は、さらに多かったであろうと現在は推察されている。


 言うまでもなく、この時すでに日本はポツダム宣言を受諾しており、停戦意思はソ連を含む各国に通達されていた。
 そのような状況下での、敗戦国への、しかも民間人を対象とした攻撃。
 この事件は、明らかな国際法違反である。

 しかし、2024年現在、ソ連を継承したロシア政府はその行為を認めていない。

 この攻撃を行ったのがソ連の潜水艦であったことは、すでに多くの資料により明らかになっている。にもかかわらず、ソビエト連邦時代から現在のロシアに至るまで、この事件について一切の言及は無く、謝罪も無いままである。
 それどころか、日本政府による調査すらなされていないのが現実である。




 今年、この事件に関連した大きな動きがあった。
 深海に関する学術研究や海中観測、機器開発など、深海を含む海中活動に関する普及と振興に関する活動を行っている「一般社団法人ラ・プロンジェ深海工学会」が、留萌沖海底に沈んだ「小笠原丸」と「泰東丸」について最新鋭のマルチビームソナーを用いた三次元計測を行い、その調査の様子を動画サイトで生中継したのである。


 この反響は大きかった。
 これまで、樺太の問題や三船殉難事件についてニュース等で取り上げるのは、北海道新聞や北海道ローカルのテレビ局等、地元メディアがほとんどだった。
 しかし、今回の調査は、全国版のヤフーニュースや朝日新聞の記事でも取り上げられたのである。


 今回の調査を行った一般社団法人ラ・プロンジェ深海工学会の代表理事であり、東大名誉教授の浦 環さんのX(旧ツイッター)での言葉に、胸が熱くなった。


 樺太に縁を持つ一人として、浦教授をはじめ、今回の調査に携わった方々に心からお礼を申し上げたい。
 本当に、ありがとうございました。




 今回の調査、そしてそれに伴う報道をきっかけに、この事件に興味を持つ人が増えることを願う。
 一人でも多くの人に、8月15日が過ぎても終わらなかった戦争があったことを知って欲しい。
 そして、北海道を訪れた際には、留萌に、そして小平に、増毛に、是非足を運んでいただけたら嬉しく思う。




※ これまでに、三船殉難事件について書いたnoteのリンクも貼っておきます。
 合わせてお読みいただければ幸いです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?