あの花屋さんのような人でありたい
仕事帰りに立ち寄った花屋で自宅用の小さな花束を買い求めたところ、満開のラナンキュラスをいただいた。
私は13年前に母を、夫は2年前に父を亡くしている。
それぞれ仏壇は実家にあるのだが、部屋にも小さな遺影を置いてお茶やお花を供えている。いつもは自宅近くのスーパーで食材買い出しのついでに花を買っていたのだが、生花販売コーナーは18時閉店のところが多い。残業が続くと花を買いそびれてしまう。
冬の間は室温の低さのおかげで花も長持ちしていたが、梅雨入り以降は萎れるのも早い。先週買った花はすでに処分していた。週末まで花はガマンするか、とも思ったが、お供えの花なのだから我慢させられるのは私ではなく母であり義父なのだ。それはさすがに心苦しい。
どうしたものか。
いつものように残業で18時をとうに過ぎてしまった帰り道、もしかしてあの店ならばと思い出したのが、帰宅途中にあるJR駅に隣接したとあるスーパーだった。
北海道にいた頃、夜の街には花屋があった。私も行きつけのロックバーやライブハウスの周年祝いなどの際に、花を買い求めて持参したことが度々あった。
駅から近いあのスーパーの周辺には、確か飲み屋も多かった筈。この街の飲み屋街の事情には詳しくないが、もしかしたら遅くまで営業しているのではないか。そんな淡い期待を抱いて私は店に向かった。
期待どおり。
閉店間際のスーパーの一画で、生花店はまだ営業していた。食品コーナーは賑わっていたが生花店内には客はおらず、若い女性の店員が一人、カウンターの向こうで花束を作っているところだった。
「まだ良いですか?」
恐る恐るたずねると、花束を作る手を止めて「どうぞ!」と笑顔で招き入れてくれた。手間を取らせてしまわぬよう、私はラッピングされ店前の黒いバケツに挿されていたスプレーカーネーション数本の花束をレジに持って行った。
「ご自宅用ですか?」
そう尋ねられ「はい」と答えると、店員は「少々お待ちください」と言ってレジ横の花台に向かい、そこに置いてあったたくさんの切り花の中から大きな花を一輪選んで持ってきた。
「こちら、花が開いちゃってるのであまり日持ちしないかもしれないんですけど、サービスでお付けしておきますね」
笑顔で添えてくれたその花は、淡い紫色のラナンキュラスだった。
買い求めた赤とピンクのスプレーカーネーションの花束はまだ半分ほどが蕾のままで、ラナンキュラスの淡い紫色はカーネーションの色とも蕾の緑色ともよく合っていた。
「ありがとうございますっ!」
その時の私の声は、いつもより半オクターブほど高くなっていたと思う。
思いがけないサービスの嬉しさに、残業続きの日々の疲れもどこかへ消えていた。
丁重に礼を言って店を出た後、自宅へと車を走らせながら、ふと、私の脳裏には10年以上前の出来事が浮かんでいた。
もうずっと前にも、私は生花店でこんなふうに思いがけないサービスを受けたことがあった。
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2009年6月28日、札幌テイセンホールにプロレスの試合を見に行った。
当時はまだ単独で興行を打てるだけの選手数が揃っていなかった健介オフィス(プロレスラー佐々木健介氏が立ち上げたプロレス団体。後の「ダイヤモンド・リング」)の自主興行。試合にはプロレスリング・ノアの選手が多数参戦することが発表されていたので、ノアのファンだった私も前売りチケットを買っていた。
その大会前に、プロレスリング・ノアのトップレスラーであり社長の三沢光晴選手が亡くなることなど、大会開催が決まった頃には誰一人として想像するはずも無かっただろう。もちろん、私も。
2009年6月13日夜。私が小学生の頃からファンだったプロレスラーの三沢光晴選手は、試合中の事故で急逝した。
健介オフィスの札幌大会会場に三沢選手への献花台が設置されると私が知ったのは、試合当日のことだった。
開場時刻よりもずいぶん早くに会場に着いた私は入り口前に貼られた案内で献花台設置を知ると、すぐに会場から引き返し、最寄りの札幌駅地下街へ向かった。
条件反射のように、考えるより先に足が動いていた。
ショッピングモールの一角にある生花店には、キレイな花束やお洒落なフラワーアレンジメントがたくさん並んでいた。若い女性向けファッションショップや雑貨店のテナントが大半を占める場所である。並べられた花々も、鮮やかなオレンジやピンクのガーベラなど可愛らしいものが大半だった。
けれど、その時の私が欲しかったのは、そういう花ではなかった。
いらっしゃいませ、と笑顔で声をかけてくれた女性店員に、
「すみません、3000円位で、花束を作って欲しいんですけど」
と私はお願いした。
店員は、ごく自然に、笑顔で
「お祝いごとの花束ですか?」
と尋ねてきた。
その瞬間、私は泣いた。
泣いたというより目から涙が突然噴き出してきたというほうが正しかった気がする。自分が買いに来たのは、お祝いじゃない花なんだと気付いた瞬間、2週間前からの思いが込み上げてきた。それまでギリギリの表面張力で抑えられていた感情が一気に溢れ出してきた。
何か言わなければと焦るものの、声を出せばさらに大泣きしてしまいそうで言葉を発することも出来ない。とりあえず一呼吸置かねば。私はぼろぼろと涙をこぼしたまま一礼して、その場を立ち去ろうとしかけた。
しかし
「色の感じは、グリーンと白でいいですか?」
思いがけない言葉だった。
その店員は、突然泣き出した私を見て一瞬驚いたような表情になったものの、そのまま、何も気付かないようなそぶりでそう明るく尋ねてきた。
私が無言のままうなづくと、真っ白いカサブランカやトルコキキョウを手に取り、そこに黄緑色の小さな花や濃淡さまざまなグリーンを合わせ、大きな花束を作り始めた。
私は心の中で「なんでこの店員さん、グリーンと白って分かったの?」と動揺していたが、その理由はすぐに分かった。
そこは、テイセンホールから一番近い地下街にある、一番近い花屋だった。
私以外にも、同じ目的でここに花束を買いにきたお客さんは何人もいたのだろう。事実、私が花束を作ってもらってる間にも、私と同じようなTシャツ姿で、「緑色の花束って出来ますか?」と小声で告げている客が数名来店していた。
緑色は、三沢選手のコスチュームの色であり、イメージカラーだった。
私の花束を作ってくれていた店員さんは、他の店員さんに他のお客さんの注文への対応の指示を出しながら、花の追加発注の指示もしながら、てきぱきと、それでいてとても丁寧に、花束を作ってくれた。
出来上がった花束は、それはもう見事な美しさだった。グリーンと白の花々を束ねる真っ白いリボンには、シルバーの細いリボンも添えられていた。
今思い返しても、あれは3000円レベルの花束では無かったと思う。
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帰宅して、遅くなったことを母と義父の遺影に詫びつつスプレーカーネーションとラナンキュラスを花瓶に生けながら、花屋さんのような人になりたいと思った。
職業としての花屋になりたいという意味ではない(もちろん花屋への憧れはあるが)。どんな仕事であれ、誠実な仕事で誰かの役に立ちたい。あの時の花屋さんや、今回出会った花屋さんのように。
あらためて、そう思った。
お金をいただいた分の仕事をするのは当たり前。
けれど、それ以上の仕事をさらりと出来るのが、本当の「プロ」なのだろうと思う。
もちろん、受け手側が過剰なサービスを求めるのは下品だし、サービスを期待するのが当たり前になってしまうのも困るけれど。
考えてみれば、プロレスの試合を見に行った時はいつだって、チケット代以上の感動や興奮や楽しさを体験してきた。
そんな「プロの仕事」を教えてくれたプロレスが、10数年前のあの日の花屋さんとの出会いをくれた。
そう思うと、悲しい出来事がきっかけではあったけれど、感慨深いものがある。
「相手を良く見て判断し、行動する」
「誠実に仕事をする」
その大切さを、あの花屋さんを通して最後に三沢選手が教えてくれたのだと私は思っている。
忙しすぎて忘れかけていた仕事への心構えを思い出させてくれた今回の生花店の店員さんに感謝したい。
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