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石巻・雄勝の蒸しホヤで朝から極美味ペペロンチーノ

 この連休は宮城県石巻市にある夫の実家に帰省していた。
 本来ならば秋のお彼岸にあたる来週帰省出来れば良かったのだが、先に予定を入れてしまったため、一週早いお参りを兼ねての帰省だった。
 土曜日の朝は久しぶりに自宅でおはぎを作り、石巻に持参した。

いつもの飯島奈美さんのレシピに倣い
北海道産の小豆を煮ること3回
3度目に三温糖とグラニュー糖を混ぜたものを3回に分けて入れる
塩はふたつまみ
煮汁が無くなったらバットに移して冷ます
義実家に持って行く前に試食 美味


 自分でおはぎを作るのは、実に5年ぶり。
 夫にも義母にも喜んでもらえてホッとした。




 義実家は石巻市中心部から車で10分ほどの場所にあるのだが、亡き義父の出身は、雄勝(おがつ)である。
 雄勝地区には今も、夫の伯母にあたる義父の姉をはじめ親族が暮らしている。
 同じ石巻市内とはいえ義実家から雄勝地区までは車で1時間ほどの距離のため、長距離のドライブは疲れるようになってしまった義母には辛い距離。故に、結婚以来これまで3人で行くことが出来ずにいた。
 そんな雄勝地区に、今回、初めて夫と義母の三人で行くことが出来た。夫と二人で雄勝の道の駅や港に行ったことは過去にもあったが、三人での訪問は初めて。

 東日本大震災で自宅を失い、再建後は義父の介護で家を離れることの無かった義母にとっては、震災以降、初めての雄勝訪問でもあった。

 ハンドルを握る夫が、
「これが、今の道の駅」
「ここが、前に役所だったところ」
と義母に説明する。
 「すっかり変わったんだなぁ」
と、義母の言葉。

 「変わったべ」
 「変わったなぁ」

 親子の会話に言葉を挟むことも無く、私はただ雄勝の海を眺めていた。


 今年93歳になる伯母との再会は、3年前に亡くなった義父の葬儀以来。
 とても喜ばれた。もう、こちらが恐縮するほどの大歓迎。
 嬉しかった。
 ありがたかった。


 いつもは恐らく北海道出身の私を気遣って標準語に近い言葉で話してくれているのであろう義母と伯母も、久しぶりの対面となったこの日の会話は見事な石巻弁。

 そうだった。
 義父の葬儀の際、宮城に来たばかりで喪主の妻を務めることになり、悲しみに暮れる間も無く様々な手配に追われていた私を励まし、また他の親族に対して全力で褒めてくれたのがこの伯母だった。けれど悲しいことに、絶賛してくれているその雰囲気は伝わってきたものの、実のところ、その時の私には伯母の言葉が半分も聞き取れなかったのだ。

 あれから、約3年。

 あの頃には全くと言っていいほど聞き取れなかった伯母の言葉が、今回は、意味がほぼ判るようになっていた。
 意味がわかるどころか、伯母の言葉に「んだがらぁー」と相槌を打つ自分に気付き、三年という年月を実感した。



 義父の親族は皆、漁師である。
 もちろん皆、すでに現役を引退してはいるが、漁師町の人と人との繋がりは健在らしい。また、元気だった頃の義父にお世話になったという人も多いという。
 おかげで今回、雄勝から帰る際には、たくさんの海の幸をお土産にといただいてきた。


 結果、雄勝から戻って以降の我が家の食卓は、これまで以上にとんでもなく豪華になっている。



 今朝は、雄勝の自家製の養殖ホヤを蒸したもので、朝から日本酒が欲しくなりそうな危険な美味さのホヤペペロンチーノを堪能した。


宮城・雄勝産ホヤのペペロンチーノ
超美味っ!


 しばらくは、いつも以上に贅沢な食生活になりそうだ。
 感謝して美味しく食べて、さぁ明日からまたしっかり働いて生きよう。




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