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背負う覚悟を持つ人の、強さと美しさ
「お待たせしてしまって、ごめんなさいね。」
2024年12月8日 仙台サンプラザのロビー。その人は、心から申し訳なさそうな表情で、大きな瞳でまっすぐに私を見てそう言ってくれた。
その人は、里村明衣子選手。
試合が終わってすぐに、ロビーのサイン会場に駆け付けたのだろう。白いテーブルを挟んで目の前に座る里村選手は、試合を終えた時そのままの、赤いリングコスチューム姿だった。
美しかった。
その姿に、瞳に、私は胸がいっぱいになった。
現役プロレスラーであり、センダイガールズプロレスリングの代表取締役社長でもある里村明衣子選手は、来年2025年4月29日後楽園ホール大会をもって選手を引退することを表明している。
里村明衣子選手が女子プロレス史上最年少の15歳でプロレスデビューしたのは、1995年。女子プロレス団体「GAEA JAPAN(ガイアジャパン/以下GAEA)」の旗揚げ戦だった。
GAEAは、長与千種さんが新たに立ち上げた団体だった。今年大きな話題を集めたNetflixのオリジナルドラマ『極悪女王』にも登場し、今再び脚光を浴びている女子プロレスラーコンビ「クラッシュギャルズ」の、あの長与千種さんである。
一世を風靡した長与千種さんが新たに立ち上げたGAEAの、旗揚げ戦前の第一期オーディションにトップの成績で合格したのが、新潟県出身の里村明衣子選手。
オーディション当時、里村選手はまだ中学卒業前だったという。
私は当時からプロレスファンではあったものの、観戦するのは全日本プロレスやプロレスリング・ノアばかり。正直、女子選手には疎かった。
けれど、そんな私でも、GAEA JAPAN旗揚げの時の盛り上がりと、そこでの里村選手のデビュー戦が鮮烈なものとしてプロレス雑誌で取り上げられていたことは、今も覚えている。
凄い選手が出てきた、と思った。
写真の中の少女の目力に、魅きつけられた。
史上最年少デビューで注目を集めた里村選手は、やがて、その年齢だけでなくリング上での試合そのもので脚光を浴びるようになっていった。決して恵まれた体格とは言えない小柄な里村選手だったが、自身よりはるかに大きな体格のアジャコング選手や北斗晶選手に立ち向かい、そして勝利を収めるようになっていった。
2005年にGAEAは解散するが、里村選手の活躍は続いた。同年、東北・岩手を拠点とする「みちのくプロレス」のプロレスラーであり代表取締役社長でもある新崎人生選手と共に、宮城県仙台市を拠点とした女子プロレス団体「センダイガールズプロレスリング」(略称「仙女」)を設立。翌2006年7月に仙台サンプラザホールで開催された旗揚げ戦は超満員となったという。
東日本大震災後の2011年8月からは、新崎人生社長から引き継ぐ形でセンダイガールズプロレスリングの代表に就任。様々な困難を乗り越え団体を守り支えながら、選手としても戦績を重ね続ける。
2016年には、アメリカのプロレス団体に参戦し6人タッグトーナメントで初優勝。
翌年には、イギリスの男子団体で、女子で初めてベルトを奪取。さらに、ドイツでも女子トーナメントで優勝を収める。
もちろん海外だけではない。国内でも、2019年にDDTプロレスリングにおいて男性レスラーを相手にKOーD無差別級選手権試合に勝利し、同団体初の女性チャンピオンとなるなど、里村選手の活躍は、国境も性別も超えて広がっていった。
そして2021年、世界最大のプロレス団体WWEにも参戦。仙女の経営者として団体を守りながら、選手としては拠点をイギリスに移し、世界中のプロレスファンから注目される存在となってゆく。
15歳でプロレスデビューした大きな瞳の少女は、いつしか「女子プロレス界の横綱」と呼ばれる大きな存在になっていた。
私が北海道から仙台に移住してきたのは、2021年だった。
移住と同時に今の夫と暮らし始めた私は、夫が長年契約しているサムライTVを通してプロレス観戦することが増えた。それまで正直なところ仙女については疎かった私だが、一方の夫はさすが地元だけあって、仙女の旗揚げから見ている熱心なファンである。夫婦で仙女の試合をTV観戦する時間が増えた。サムライTVのおかげで、仙女所属の橋本千紘選手と青木真也選手の試合も見ることが出来た。この試合で両選手のファンにもなった。
そんな私が、初めて仙女の試合会場に足を運んだのは、2023年1月15日の仙台サンプラザ大会。
それは、私にとって初めての、女子プロレス団体の試合観戦でもあった。
その日の大会カードに、里村選手の名前は無かった。WWEとの契約の関係で、里村選手の日本での大会出場がスポット的なものになっていることは知っていた。
けれど、大会前の挨拶に里村選手は社長として登場した。予想外の憧れの人の登場に私は歓喜した。
その日の挨拶の中で里村選手が口にした
「仙女は、今が、一番面白い」
の言葉が、胸に響いた。
自分がリング上にいなくても素晴らしい試合を提供できると胸を張って言うその姿は、カッコよかった。
事実、その日の大会は、里村選手の言葉どおりのものだった。所属選手も他団体の選手も皆、リング上で生き生きと躍動していた。
そんな里村選手が現役引退を表明したのは、今年7月27日のことだった。
引退の理由は、怪我によるものではなく、また気力や体力の消耗によるものでもなかった。
涙はあったが、けれど笑顔の引退会見だった。
引退後は、これまで以上にプロレスと関わっていくこと・プロレス界を盛り上げるために尽力することを、力強く語る会見だった。
とはいえ、寂しさは否めなかった。
何より、この時点で私はまだ、選手としての里村選手の姿を会場で見たことが無かった。
引退前に里村選手が出場予定の大会は、限られていた。
その中のひとつが、12月8日の仙台サンプラザ大会。
夫と2人、すぐにチケットを取った。
そして迎えたのが、この日だった。
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会場には、多くの人が詰めかけていた。
この日は、所定のグッズを購入した観客を対象に、大会終了後に里村選手のサイン会が開催されることが事前に告知されていた。
私も夫も、入場してすぐにグッズコーナーに向かった。
夫はフロントに里村選手のシルエットがデザインされたTシャツとポートレートを、私はバックプリントに里村選手の姿と「横綱」の文字がデザインされたTシャツを購入した。
会場内に入り、席を探す。
申し込んだ席は、偶然にも、放送席のすぐ近くだった。
ずっとサムライTVで慣れ親しんできた、鈴木 健.txtさんと三田佐代子さんの声をかすかに聞きながらの観戦。
嬉しさもひとしおだった。
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第一試合のセンダイガールズワールドジュニア選手権試合では、王者Chi Chi選手を相手に敗れはしたものの、もしやこれはいけるのでは?と思わせてくれる場面がいくつもあったYUNA選手の頑張りに感動し、
第二試合のシングルマッチでは、コミカルなキャラかと思われた愛海選手がZONES選手を翻弄した末に勝利を挙げた姿に驚きと嬉しさを覚え、
第三試合の「豪華賞品争奪 時間差バトルロイヤル」では試合前に怪我で欠場中の広田さくら選手の挨拶があったことで「あれ?じゃあXって誰?」となったところに水波綾選手に次いで登場の黒潮TOKYOジャパン選手に爆笑し、鈴木ユラ選手、高瀬みゆき選手、松本浩代選手と次々と登場した後のXX 「MICHIKO」選手が最初誰だか分からず、「え?嘘?!いや、あの、カサンドラさん!」と狼狽える夫と会場内のどよめきに仙女の歴史を感じ、けれどウナギ・サヤカ選手についでトリで登場のアジャコング選手が場外で目の前に来てくれたことに感激し、
第四試合のタッグマッチでは岩田美香選手とSareee選手、対戦相手の「チーム200キロ」橋本千紘選手・優宇選手のどちらを応援したものかと戸惑いつつも、やっぱり橋本千紘選手すげぇぞカッコいいぞと更にファンになり、
第五試合セミファイナルのセンダイガールズワールドタッグ選手権試合では、体格的に圧倒的に小柄な「ボブボブモモバナナ」こと岡優里佳選手と桃野美桜選手がチャンピオンのVENY選手・レナ・クロス選手をその小ささを逆手に取った戦いで翻弄した末に勝利を収めたことに歓喜し、
そして、メイン。
センダイガールズワールドタッグ選手権試合。
第16代王者は、DASH・チサコ選手。この日が初防衛戦。
そして、挑戦者 里村明衣子選手。
大会開始前、大型ビジョンには両選手のこれまでの歩みをまとめた映像が映し出された。
デビュー前の若いというよりまだ幼さの残る里村選手の、それでも今と変わらない力強い眼差しと立ち向かう姿に涙腺が緩む。斜め前の席に座っていたお客さんは、VTRが始まってから選手入場まで、ずっとハンカチで涙を拭っていた。
そして、この試合前のVTRは、仙女旗揚げから、チサコ選手の歴史へ。
泣くのをこらえるように肩を震わせていた私のすぐ前の席の男性は、VTRの中でチサコ選手がデビル雅実選手から「里村が育てた選手はこんなもんか!」と叱責される場面で、こらえきれなくなったようにがくりと頭を下げた。
ふと見ると、隣の席の夫もまた目を潤ませていた。
新しいファンも、長い歴史をずっと見守ってきたファンも、すべてに包まれ見守られて始まった試合。
名勝負だった。
両選手に勝って欲しいと思ってしまう試合だった。
激しい攻防の末、里村明衣子が勝利。
第17代王者となった里村選手の前に橋本選手が現れ、挑戦表明。そして、他の所属選手たちも次々とリングへ。
良い大会だった。
仙女って、良い団体だ。あらためて、そう思った。
大会終了後、出口に向かう人の波がやや引いた頃合いを見てロビーに出ると、里村選手のサイン会を待つ人の列はすでに階段を超え、2階の廊下で九十九折りとなっていた。
けれど、その行列に文句を言う人もいなければ、サインを諦めて帰る人も目にしなかった。
誰もが、里村選手を待っていた。勿論、私と夫も。
長い長い行列が少しずつ動き始めたのは、私と夫が並んでから間もなくのことだった。けれど、何十人というレベルではなく、百人を超えるであろう長蛇の列である。行列が少しずつ進み、サインをしている里村選手の姿が私の目に入る位置まで来たのは、メインの試合が終わってから1時間が過ぎようとしていた頃だった。
観客一人一人に声をかけ、丁寧にサインをしている里村選手は、試合を終えた時そのままの赤いリングコスチューム姿だった。その姿に、里村選手が着替えの時間も惜しんで試合終了後すぐにこのサイン会場に駆け付けたことが察せられた。
里村選手のサイン会以外の、ロビー内の他のブースや物販コーナーは、すでに片付けられていた。サインを貰って帰路に着く観客や資材を運ぶ関係者らしき人々が出入りするたびに、ドアからは冷たい夜風も吹きこんでいた。けれど、里村選手はそんなことなど気にも留めないように、ただ、一人一人のお客さんと向き合い、言葉を交わしながらサインを書いていた。
「お待たせしてしまって、ごめんなさいね。」
目の前の里村選手からその言葉をいただいた時、あまりに感激しすぎて、恥ずかしながら自分が何と答えたか覚えていない。
ただ、「大好きになりました」と「必ずまた来ます」の言葉だけは伝えたように思う。
「嬉しい!ありがとうございました!」
そう言って握手してくれた里村選手の手は、あんな激闘を繰り広げた人とは思えないほどに柔らかく、その笑顔は輝くように美しかった。
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背負う覚悟を持った人は、強い。
選手としての自分自身を高めながら、後に続く選手たちを育て、働く場としての団体を守り、さらに女子プロレス界全体を盛り上げるために各方面に働き続ける。その責任の重さは、計り知れない。
けれど、その重圧を背負ったまま、軽やかに生きる。
リングを降りれば、ファンの前で笑顔であり続ける。人として、優しくあり続ける。
それが、里村明衣子選手なのだと思う。
美しい人。
あらためて、そう思った。
さらに、大好きになった。
そして、こんな人になりたいと思った。
強くなりたい、優しくありたいと思った。
里村選手は、現役を引退する。
けれど、仙女は、これからも続いてゆく。
里村選手が育てた選手たちが引き継ぎ、紡いでゆくリング上の世界を、これからも応援してゆこうと思う。