さいちのおはぎと、義父の思い出
先週末、仙台駅近くの美容室に出かけた帰りの出来事。
月末の北海道帰省の際に持っていくお土産の下見をしておこうと駅ビル中のショッピングエリアを歩いていると「さいちのおはぎ」が販売されているのが目に留まった。
「さいちのおはぎ」とは、仙台市太白区の秋保(あきう)温泉にあるスーパー「主婦の店 さいち」で販売されている「秋保おはぎ」の通称である。
初めて食べたのは、宮城に移住してきてまだ間もない頃だったろうか。粒あん好きの私にはそれまでにもすでにお気に入りの和菓子がいくつもあったのだが、さいちのおはぎは初めて食べてすぐに大好きな和菓子の仲間入りをした。
ひと口ではごはんまで届かないほど、たっぷりの粒あん。けれど、小豆そのものの美味しさを実感出来る飽きの来ない味ゆえにそのボリュームを感じることなく最後まで美味しく食べられるのだ。しかも、中のごはんがまた美味しい。
砂糖控えめのため日持ちせず、消費期限は当日限りとあってお土産には適さないのだが、このおはぎを買うためだけに秋保まで出かけていく人も多い。そのくらい、美味しくて人気の一品である。
JR仙台駅のエスパル東館2Fにある「東北めぐり いろといろ仙台店」さんでも、このおはぎの販売を行っているのは知っていた。けれど、毎週木・金・土曜日限定の上、人気商品ゆえあっという間に完売してしまうことも多い。以前たまたま通りがかった際にも、まだお昼前だというのに粒あんのおはぎはすでに完売していた。その時はワゴンの中に数個だけ残っていたごまのおはぎを買って帰ったのだが、こちらもパックからこぼれんばかりに黒ごまがたっぷりで、その美味しさに驚いたものだった。
今回は、まだ午前10時台ということもあり、ワゴンの中には定番の粒あんのおはぎもあった。
本来の目的は、月末の北海道帰省用のお土産の下見である。消費期限が当日限りのおはぎは、全くもって対象外。
しかし、目の前にあるのは、さいちのおはぎである。
買って帰ろうか?
でも、どれにする?
定番の粒あん?
いや待て、ごまも美味しいぞ?
どうする?
悩んでいる間にも、ワゴン前を通る人が次々と手に取ってゆく。あ、さいちのおはぎだ。わ、まだある。個数制限無いなんてラッキー。そんな声があちこちから聞こえ、ワゴンの上に積まれていたおはぎのパックがみるみる減ってゆく。
なんせ、さいちのおはぎなのだ。
悩んでいる暇は無い。
数分後いや数秒後、私は粒あんとごまのおはぎを手に、レジ前に並んでいた。
帰宅して亡母と義父の遺影に供えた後、仕事を終えて帰宅した夫とともに久しぶりに味わったさいちのおはぎは、やはり特別な美味しさだった。粒あんの程よい甘味と、小豆の味わい。ごはんのお米の美味しさ。香ばしいごまたっぷりのごまおはぎも美味しい。
甘さ控えめの美味しさにぺろりと完食したものの、さすがにおはぎ2個である。食べ終えた後は二人ともお腹いっぱいになった。
「2個は、多かったねぇ」
そう言う私に、
「よっぽど、食いたかったんだべなぁ」
夫が、義父の遺影を見ながら笑って言う。
その日は、3年前に亡くなった義父の命日だった。
義実家は、宮城県石巻市にある。
東日本大震災の際の津波で被災した義父母は、避難所と仮設住宅での避難生活を経て、震災から数年の後に以前自宅があった場所を嵩上げし新たに自宅を再建した。
やっと、穏やかな日常を取り戻せる。そう思った矢先、義父は脊髄の病に襲われ下半身不随となり、車椅子での生活を余儀なくされることになった。
それでも、痛みと闘いながらリハビリを重ね、自力でベッドから車椅子に乗り移れるようになり退院。以来、不自由な身体ながら義母との穏やかな日々を過ごしていた義父は、私が宮城に移住し挨拶に行った際にも笑顔で迎えてくれた。
しかし、3年前の8月、容体が急変。
その日の夜に、帰らぬ人となった。
亡くなった翌日、まだ棺に入る前の義父とともに葬祭場の部屋で夫と義母と一緒にいた時、夫の従姉妹が大きなおはぎを持ってきてくれた。
義父の姪にあたるその人は、日頃から義実家に頻繁に顔を出してくれており、前夜、義母とともに義父の最期を看取ってくれた人でもあった。
「おんちゃん、夢に出てくんだもん!」
そう言って笑いながら、従姉妹は義父の横におはぎを置いた。
「あらぁ!私のとこに出てこないで、そっち行ったのかい!」
さっきまでしんみりしていた義母が笑う。
「んだぁ!夢出てきて〝おはぎ食いた~い”って言うんだぁ」
「夢でもかい!」
義母の言葉に夫も笑う。
義父は、甘いものが大好きだった。中でも、おはぎは大好物だったらしい。
「んで、おはぎ作ろうと思ったんだけど、どこにも小豆無くてさぁ。だからおはぎ買ってきたんだぁ」
「よっぽど食いたかったんだなぁ」
「お父さん、おはぎ好きだったもねぇ」
しんみりした空気もどこへやら。皆、義父のおはぎ好きに大笑い。
どこかで、義父も一緒に笑いながら、おはぎを食べている気がした。
夫と私は、きっとこれからもずっと、おはぎを食べるたびに義父を思うのだろう。
おはぎは、笑顔の思い出と繋がっている。