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設立までのストーリー | シンフォニアの挑戦(1)

はじめまして。シンフォニア株式会社、代表の瀬戸です。

これまで、「社長ブログ」( http://blog.livedoor.jp/be_someone/ )で気ままに思うところを書いてきたのですが、元々私の個人的な日記を創業前の大昔から書き綴ってきていたものですので、シンフォニアとしての取り組みをあれこれと発信していくのには若干違和感がありました。

そこで今後は、シンフォニアの起業後からのストーリーや取り組み、構想などについて、こちらのnoteにて発信していこうと思います。


株式投資型クラウドファンディングへの挑戦

さて、シンフォニアは、設立10年目を目前に控えたこの春、イークラウド株式会社の提供する株式投資型クラウドファンディングを通じて資金調達に挑戦することとなりました。

シンフォニアのクラウドファンディングは2024年3月7日(木)19:30から開始します、募集ページは以下のURLからご覧いただけます。

現在第10期がもうすぐ終了するところですが、第5期(2018年5月~)くらいまでは受託開発型事業だけを手掛けておりました。

第6期(2019年5月~)の途中から、「小型移動式クレーンVR訓練システム」の試作を始め、第7期の後半2020年12月に「小型移動式クレーンVR訓練システム」を発表しました。

それ以来、コツコツと同製品のPR・改善・体験デモを繰り返し、さらに新製品も並行して開発してまいりました。この4月には「アプリ連動感電体験装置『UNAGI』」を公開する予定となっております。

このタイミングでなぜ、資金調達に挑戦するのか。

それは、シンフォニアが受託開発型の企業から、自らの発意と責任によりプロダクトを製作していく「メーカー」に進化していく事を本格的に進めるタイミングが来たと考えたためです。

ではなぜそう判断したのか。

一つ目は、自社製品に対する利用者や専門家からの評価や反応
二つ目は、周囲の環境・情勢から、今がタイミングであると感じたこと
三つめは、この取り組みにあたり、最低限必要な人材が整ったこと

これらの詳細については順を追って書いていきたいと思いますが、その前にまず、私の自己紹介をさせていただければと思います。

瀬戸豊プロフィール

生い立ち

私は、1966年に富山県婦中町という町で生まれました。奇しくも今、シンフォニアのある府中市と同じ(ふちゅう)という読み方をする町です。

5歳の時、父親の仕事の関係で愛知県師勝町に引っ越しました。愛知県に17年ほど住みましたので、「愛知県北名古屋市出身」と称しています。

20代は営業マン、30代でWebディレクターへ転身

南山大学法学部を卒業して上京し、最初に勤務したのがリクルート子会社の「リクルート映像」という会社です。ここでは社員教育用ビデオの法人営業をしておりました。

出社は8:30、営業マンは会社から配布されるリストの会社に片っ端から電話をかけてアポイントを取ると、9:30くらいから営業に出て18時過ぎまでは戻らないというのが当たり前の一日でした。アポイントが取れない時はビルの上から下まで飛び込みをする。リクルートの典型的な営業手法です。

4年目に入ったところで父親の経営する映画製作会社に転職するのですが、入社して6年で倒産。映画プロデューサーになる夢を思い描いていた33歳の私は、ここで人生が大きく変わることとなりました。

映像業界を離れ、Web制作の仕事に移り、大会社の関連会社や今でいうスタートアップ企業など、数社を渡り歩くこととなります。

Web制作から3Dインターネットへ

Web制作の仕事では、さくら銀行「ブラウザバンキング」のUI制作、「三菱東京フィナンシャルグループ」(まだUFJは合併していない)の企業サイトの立ち上げなど銀行系サイトのディレクションを最初に経験しました。

かたや対照的に、ソフトバンク配下のオンラインゲーム企業のゲーム公式サイト、オンラインコミックの公式サイトといったエンタテインメント分野まで幅広く手掛けました。

数多くの転職経験から学んだこと

転職回数が多いのですが、すべて自ら望んだものではなく、勤務先の倒産や統廃合に何度も遭遇したことが影響しました。

ーー どれだけ輝かしく見えるスタートアップも、あっという間に倒産してしまう。
ーー バックにどれだけ大きな会社があろうとも、事業に見込みが無ければすぐに統合されたり売却されたりしてしまう。

そんな光景を近い立場でいくつも体験しました。
父の会社の倒産も含め、(会社は何が原因で、どのように倒産するか)(その前にどのような予兆があるか)というような事を、ごく自然な流れで学習する事となりました。

これらの経験は創業後の私の考え方に少なからず影響しました。
倒産した勤務先が、
・(やるべきなのに)やらなかった(できなかった)事から逃げない
・(やってはいけないのに)やってしまった事を絶対にやらない

そしてもう一つ、
 ・今やろうとしていることは「時を得ているか」を客観的に見る
ということです。

「早すぎて失敗する」という例を何社か見ました。スタートアップは速度が命なので、遅すぎてはいけないのはもちろんなのですが、早すぎても続かない、ということがあるのだと気づかされました。

2010年、「3Dインターネット」「メタバース」、一瞬の盛り上がり

その頃の私は、収入を得るための主たる仕事としてWeb制作に従事しつつ、個人的に3DCGに大きな関心を持っていたため、Web制作と平行して個人制作に取り組んでいました。

2010年頃、「3Dインターネット」「メタバース」といったワードが流行り、新たな時代が来るような機運が盛り上がり、3DCGにこだわりを持っていた私は、クリエイターとして公私ともにこれらのコンテンツ制作に取り組みました。

この頃、NTT都市開発、サンワサプライといった大手企業の3D空間内のストアやモデルルームといった開発を担当させていただきました。いずれも、Webブラウザで見ることができる3Dメタバース空間です。

また、同様の手法で3D空間内の会議室、某有名シンガーグループのファンクラブ用の3D仮想空間、などを構築するお仕事も担当しましたが、これらは今の時代に似たような別事例で復活しています。

この当時、随分早い(早すぎる)取り組みだったのだと思います。まだパソコンやスマートフォンのスペックが十分ではなく、ユーザー側にかかる負荷が高すぎたのです。そして、これらコンテンツの致命的な欠点(=時間)という課題もあったと思います。

この最初の「3Dインターネット」「メタバース」の流れはあっという間に衰退し消えていきました。しかし、この流れをほぼ真ん中で当事者として体験できたのは大きな財産になりました。

家計の現実に向き合い、副業を始める

そんな中、プライベートの方では子供が生まれ、手狭になったことから家を買いました。勤務していた会社がなかなか昇給を望めない状況だったので、なんとか収入を増やそうと2012年頃から副業を始めます。

副業の中身はもちろん3DCGやWeb、イラストといった制作業務なのですが、この時私は、ずっとこだわり続けた「自分自身で作る」というスタイルをやめました。

各ジャンルで、自分より腕の良い仲間の手を借りる方が、クライアントから満足いただける品質のものを効率よく作れ収入にもつなげやすい、と割り切ったのです。

夢をあきらめた直後に開かれた、創業への道

ずっと心の底で密かに持ち続けてきた「クリエイターとして独立したい」という夢を捨て、家計のため副業の売上を伸ばすことに専念しました。

その結果、副業売上は順調に伸びていき、2014年には勤務先の給与収入を副業収入が上回る見込みになってまいりました。

そこで、副業の受け皿として「シンフォニア合同会社」を設立しました。

しかし(昼間の仕事と夜の副業で十分に生活していける)と喜んだ矢先、またも勤務先が倒産することとなりました。

迷わず、決断しました。
ーー このまま独立しよう

「クリエイターとしての独立」という夢をあきらめたばかりの私は、まるで何かに導かれるように、「経営者としての独立」の道を歩みだすことになりました。


ちょっと長くなってしまいましたがお許しください。

次からはシンフォニアの歩み、取り組み、考え方について書いていきたいと思います。

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