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そこにも必ず価値がある
成功するためには、今の自分に出来ることをひたすら積み重ね、価値を提供し続けること。
これに尽きる。
だが、ここで踏みとどまってしまう場合、自分の中での難題が足枷となって、ブロックされる。
前に進めない、やらない理由はきっとそこにある。
現代では、その価値提供としての媒体は、情報発信をすぐにイメージする。
もちろんそれでいい。
しかし、イマイチ成果が上がらなかったり、躊躇してしまうことによって、本来発揮したいエネルギーのようなものは、ほぼ半分以下となることがほとんど。
これはどうしてなのか?
シンプルに言えば、全力を出しきれていないからだ。
上手くやろうとしていたり、いつでも逃亡出来るように逃げ腰になっていたり、自信のなさから中途半端な情報だけを発信してみたり。
まさしく、アクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態だろう。
いつか出来るようになったら。
自信がついてから。
果たしてそれは叶うのだろうか?
まず、自分の思い描く形、理想へと無理に近付くのをやめて、出来る範囲までハードルを下げてみると、いかにシンプルで楽なものなのかがわかる。
インフルエンサーとしてのイメージを膨らませすぎ、情報発信のハードルを自ら上げてしまっているから、提供する価値も中途半端なものになるのではないだろうか?
そこに照準を合わせようとして、努力して自信をつけようとするよりも、今の自分が自信を持てることに焦点を当てた方が、ずっと楽なスタンスがとれる。
成功するためには、価値を提供し続けること。
「とは言っても、自分の何を発信すればいいのかわからない」
この場合、自分は当たり前にこなしていること、知っていることが、どこかの誰かには価値のあるものに見えるということを忘れてしまっている。
そんな悩みによって、上手く発信出来ていないのなら、非常にもったいないことかもしれない。
価値がないと思い込んでいるのは自分自身であり、他人から見ればそうだとは限らない。
また、見るのは自分ではなく他人なので、どんな反応があるのかは自分の憶測では測れない。
アドラー心理学を持ち出すとすれば、自分はただ何かを発信するだけであって、その価値を決めるのはユーザーの課題なのである。
もちろん、発信するにあたって、ユーザーの反応を見ながら軌道修正することはあっても、それはあくまでサービスとしての自己研鑽の範疇だ。
とにかく、発信する前からカッコつけて、インフルエンサーの真似事のようなことをする必要はない。
やるのはただ、出来事の記録であったり、何かの実験であったり、楽しかった旅の思い出であったりと、自分の身の回りで起こることに、自分の思いを乗せて発信するだけで、充分価値をあるものとなる。
それを面白いと思う人、勉強になると思ってくれる人、素通りする人など様々なユーザーがいる。
価値の提供は、あまり難しく考えないほうがいいだろう。
成功メソッド、ノウハウ系の記事はもうネット上に腐るほど存在しているので、書いたところで埋もれていくだけとなるだろう。
本当に価値あるものとは、自分だけの体験、経験の中にあり、そこで見たもの、感じたもののはずだ。
それらを書き連ねるだけで、唯一無二の、世界にひとつの記事となる。
日記のような記事でも、十分に価値は提供出来る。
むしろ、日記や自分語りのような記事のほうが、情報の価値としては高くなるかもしれない。
昔から、「ただの日記、自分語り系の記事なんて誰も読まない」なんて言われていましたが、それはもう過去の話。
一時期は、きちんとまとめられた記事などが良いとされてきましたが、もうその界隈は、素人が個人で介入出来るほどのレベルではなくなりましたし、飽和してしまっているので、そこで戦う理由はなくなりました。
だからこそ、現代は自分だけのコンテンツが活きると私は思っています。
どんなくだらないことでも、ささいなことでも、「へ~、そうなんだ」なんて思うことは多々あります。
その集合体が、ネットというビッグデータですので、自分の好きなことをただひたすら発信していけば、それが必ず誰かの役に立ちます。
シンプルですね。
「今日は、◯◯して、◯◯だった」
「◯◯だから、◯◯と思った」
なんて記事でも、必ず何かの価値をもたらすことは出来ます。
外で遊んで帰ってきた子供が、お母さんに話すような感じですね。
見るか見ないか、価値があるかないかは、見る人が決めることですので、自信を持って、みんなでどんどん発信していきましょう。