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[小説] 『鱗』〜ウロコ 1話〜3話。少なからず、頑張って生きて来た。

 

          プロローグ 

『腐った酸素でも貪る様に吸うには、理由があった』

 今日もまた同じ夢を観た。正確には足掛け25年位に渡って、同じ夢を観続けていると言った方が正しいのかも知れない。

 大体30歳位から見始める事になったその夢の中身は、最近ではクローゼットと言う名前に変わった。昭和の匂いが立ち込める押入れの中の出来事である。

 場所や色、本当に幽(かすか)に聞こえる音も含めて、その夢は何時いつも同じシーンから始まる。押入れの壁には、ほぼ正方形に近い形の穴と言うのか、そんな4、50センチに満たない窓らしき入口が存在するのである。

 そして、私の生まれ育った町には、渋谷と横浜の先にある桜木町を結ぶ電車が走っていた。駅には切符を売る窓口があり、駅員の顔がぼんやり見える中、アクリル板に空いた無数の穴越しに、行き先を告げ切符を買う母親の声が聴こえる。

 改札口では、濃紺の帽子を深く被り、ややうつむき加減の駅員は、切符と切符の間、即ち乗客と乗客の間中、のべつ幕無し『カチャ・カチャ・カチャ』と絶え間なく空からのハサミを切る、その乾いた響きが妙に音として記憶の層にしっかりと残っている。

 駅員から切符を受け取るのを確認した啓介は、母親に切符を渡すようにと催促をし、3、4歳と言えども理由があっての催促で、彼なりの強い拘わりと言うのか、曖昧では無い催促だった。

 その切符はとっても硬くしっかりした感触があり、その長手に右手の親指と人差し指でつまむ様に挟むと、左手の人差し指と親指の腹でその硬い切符の角を、その刺激を楽しむかの様に何度も何度も針で刺すかの様に押すのだ。

 その四隅に納得すると次はハサミで切られた二つの角の出番だ。幅が狭いので人差し指だけで同じ様に指の腹を当てる、今度は二ヶ所同時の角なので其れ迄とは違う感触に、嬉しいのか又指が同じ事を繰り返す。

 踏切の『カン・カン・カン』と鳴る音がホームに響く。当の電車は色的に『深緑』で、その丸みを帯びた姿は、何処か引っ込み思案な顔だったような記憶がある。

 恐らく4、5両しか無いコンパクトな電車で、『ゴツゴツ』した敷石が枕木を包むと、電車として完璧な姿として完成し、母親の左手に連れられて行くのが渋谷だった。

 渋谷は生まれ育った中目黒からだと、2つ目なので直ぐに着いてしまう。それでも僅かな時間と判っていながらも靴を脱ぐのだ。母親はその小さな靴を手に持っていた気がする。

 何故ならば、履こうとした時に靴が無かった印象があるからだ。次に、エビ茶色のシートに膝を立てて、そう!『窓の外を見る!』のだ。

 景色を収める枠は、確か木製だった記憶があり、電車の揺れに合わせる様に『ガタガタっ』と音を立てる。啓介は、家から持って来たミニカーが、半ズボンのポケットに入っている。

 7、8台は所有していた中でも、一番のお気に入りは『マッハGOGOGO』だった。

 木製の枠は彼なりのサーキット場なので『ブーンブーン、ブ————ン』と言って一人でレースをする、そう『窓の外』と『レース』は必ずセットになっていたのだ。

 窓が閉まっていると母親に合図を送り、積極的に開けようとする、しかし木枠の窓はそこそこ重く3、4歳児一人では、到底持ち上げる事は出来ない。

 片方ずつ窓の端にある金具を持ち上げ『せーのっ!』と言って母親に開けてもらう。彼此50年前には、子供の『膝を立てる』は見馴れた風景だった。

 しかもそう在るべき事で子供としての地位を、社会に於いて示す形として合意しているかの様でもあり、それは釣りたての鯵が飛び跳ねる様に、いまだに記憶としては活が良い。

 渋谷に着くと、改札を出て右に行くと、渡り廊下を抜けた先にある、プラネタリウムが子供の頃の楽しみの一つだった。

 プラネタリウムを見終えると、待ちに待った昼ご飯を食べる場面に移行する。3、4歳と言えどもサンプル食品と判っているし、恐らく誰かの入れ知恵だろう。

 ガラスのショウケースの中は、煌く品々が並んでいる。サンドイッチやカレーライス、ハンバーグにナポリタン、その中でも燦然と輝いていたのが、鮮やかなクリームメロンソーダの色だった。

 そのレストラン辺あたりから記憶がやや朧げに感じるのは何故だろうか。特に母親との会話の記憶があまり無く、顔の表情も見えて来ない。

 何を頼んだのか判らないし、レストランのウエイトレスのお姉さんとの会話も聞こえない。ただ銀色に輝くトレーの眩しさが、際立ってその輝きが未だに瞼の中に光っている。

 肝心な食事と言えば、多分お子様ランチ的なメニューを頼んでいた気がする、恐らくその方が当時としては『らしい』からで、しかし母親が何を食べていたのか全く映像が浮かんで来ないし、未だに謎に包まれている。もしかしたら、『食べていない?』のか、『いや?』そんなことは無いだろうと思う。

 それでもプリン・アラモードは、レースの花模様を模かたどったビニールのテーブルの上に置かれ、それだけは母親と一緒に食べてた記憶は鮮明で、そのガラスの器に盛られた果物の中でも、メロンの直線的な甘みと、カラメルのやや苦味と甘みは味覚の記憶としてほぼ、いまだに舌の上に薄っすらと味が残っているのだ。

 本当に懐かしい、そのガラスのショウケースの映像えはボケているのに、プリン・アラモードになると映像がとっても鮮明で綺麗なのだ。

 そして最近特に感じるのが『遠い日の記憶』と『夢』は何処か関係性を持って繋がっているのではないかと……。

 即ち、境目と思われる線があるのであれば、そこがやや薄れている気がしていて、どちらかと言うと『混ざっている』と言った方が、適切な感触なのかも知れない。

 それは自分自身の年齢的な問題でごっちゃになっているのか、とは言え、きちんと分類すれば『遠い日の記憶』と『夢』は其々それぞれの筈。

 食事が済むと次は必ず屋上に足を運ぶ、子供にとってはパラダイスな空間に足を踏み入れるのだ。そこにはゲームコーナーと呼ばれる楽園が展開して、10円玉を入れると動き出すバンビの乗り物やシマウマ、街の薬局の軒先にも、必ずと言って存在していた乗り物で、とある製薬会社だったと思う、耳の大きなキャラクターだ。

 そして2、3種類の乗り物に跨またがると母親が必ず言のセリフがあった。

『これが終わったら帰るからね!』そう、無情にも家路が迫る。するとどうだろう、革命家にでもなった反逆児は世間体ていなど、我関せずと床に背中を擦すり付けて手足をバタバタさせて叫ぶのだ。


『い・や・だ————、か・え・ら・な・い————』とまるで暴挙に近い。

 3、4歳と言えども反抗する。そんな姿を目まの当たりにしても母親は微動だにしない。

 そう『また始まった』と、後は時間との勝負とでも言うのか、床の背中が戻るまで見ていれば良いのだ!

 そうここ迄来れば母親とすればこっちのものなのである!

『母親にとっても戦(いくさ)なのだ』、戦々恐々とする中で、お互いが譲歩し合う場所を探していると、3、4際の啓介としてはそろそろウソ泣きの涙が枯れて来た頃に、観念して又、左手を引かれて、深緑の電車で2駅外を観る。

 そんな『50年前の記憶』が今も残っていて、感想としては映像だけの記憶よりも、その感触と言った質感が合わさった方が、記憶としての精度を確実な物にしていると思う。

 そして押入れの中はと言うと、その4、50センチの正方形は狭い、とにかく狭い。それは『パっと見』人が入るとか通り抜ける事は無理だろうと感じさせる狭さで、身体を折り曲げる様にして、入るのか落ちるのか、ならば多分入るのだろうと言った方が適当かも知れず、兎に角必ずそうなる状況に陥る為に、毎回観ている夢なのかも知れない。

 そして肝心なのはそれからで、正方形の向こう側は一見開ひらけている様にも見えていて、実はその先は生の糧を待ち構える、ウツボカズラがさも隠れている様な、歪なスペースが広がり、身体が収まると同時に、透明な蓋が閉まる仕組みで『はー、またか……』と、苦しくてもがき始めるのだ。

 歪な箱の中での呼吸を考えると、当然の様に箱の酸素が無くなると判断するので、その状況は閉所恐怖症も乗うじて、屠所(としょ)の羊(ひつじ)とでも言うのか、死を連想してもおかしく無い環境に一変する。

 強いストレスと恐怖心に煽(あおられ)ると、ひたすら耐えると言う行為で体は固まり、すると蓋の四隅の一箇所に3ミリ程度の穴が見えると、その穴は唯一切望する生の為に開いている存在に映っていた。

 出来得うる物ならば、穴から酸素を吸えれば先まず以もって最良と考えるが、狭い空間では身動きが取れない。箱の中の酸素を無駄にするまいと更に耐えていると、やがて箱の中の酸素は腐り始める。

 時間にして1分いや2分か3分なのかも知れず、我慢の限界が来た瞬間にその『腐った酸素を貪る様に吸い』又耐えるを繰り返す、そんな夢を彼此25年見続けていた。

 その夢、本音を言えばその先を見たいと、そういつも願っているが、其れでも10回に1回位の割合でその夢の後半まで行くと、その歪な場所から助け出そうとしている、もう一人の自分が登場するのだ。

 その加賀見啓介2号なる人物は、斜め上辺りからまるで瀬踏(せぶみ)をするかの様に、手を伸ばして苦しむ加賀見啓介1号の手を握ろうとしている。

『無理だって!』そう、蓋が閉まっているから基本的には不可能な訳で、其れでも2号は可能な限り手を尽くしている。

 そう2号はとても心優しく従順な性格で良い奴なのだ。やっぱり無理だと判断した2号は、蓋から手を離そうとした時に、1号と目が合う瞬間が訪れ、その1号の哀訴歎願(あいそたんがん)した様な眼球から溢れる泪が、睫毛の堰(せき)に留りながら蓋を渾身の力を込めて、自ら持ち上げようとしていたのだ。

 2号は2号で1号の肥大した手のひらに、互いの潰れた運命線を重ねる事で、何か不思議な力が宿り蓋が開くのかも知れないと感じて、再度助け出そうと蓋と鬩(せめぎ)合う。


 1号も2号も生を賭けた闘いに奮闘し、満身創痍(まんしんそうい)で汗が迸(ほとばし)るとこら辺で目が醒めると、布団と寝間着がびっしょりになるのだ。

 晴れていれば布団も干せるし、スエットも洗濯すれば良い。手に入れる事が出来る現実とは素晴らしい限りで、仮に1号と2号の様な環境に於かれたら人間はどうするんだろうか?

 其れこそ夢の世界なので在り得ないのだが、生きて行くことは『苦の娑婆』と昔から言う様に、あながち違うとも言い切れないのかも知れない。

 俯瞰した物の言い方でも無く、夢と言えども現実とそう大差無いのだとも言えるのか、生きる為に孤軍奮闘する姿に笑ったり、落ち込んだり、怒ったりと、時には涙する事もあるだろう、どうせ生きるのであれば無理なく楽しく笑顔で暮らしたいと願う。


        1話

 『んーだるい……』それに加えて『何だろう、足が重い……』

 加賀見啓介55歳、普通に歩いていたのが嘘の様に、一歩一歩の速度がとにかく遅く感じていた。


 何処か具合が悪いのか、一方で其れ程おおごとでも無いだろうと、午後の打ち合わせを一つバラして、掛かり付けのクリニックに向かっていた。

 一般的な駅周辺や住宅街に、さもありそうな、医師が一人で対応する診療所と違って、医療機器等の設備もかなり充実している、在籍している医師も結構な人数がおり、看護師やスタッフも10名以上従事(じゅうじ)し、重ねて人工透析専門のフロアも備えていた。

 個人病院と言えども、最近はMRIの導入と共に患者数が増えて、其れなりに評判を呼び、乳幼児から高齢者の方まで、一日でかなりの人数の患者さんが訪れ、その日は比較的静かな空気が、待合室に流れていた。

 『加賀見さん、1番にお入り下さーい』

「こんにちは加賀見さん、お久しぶりですね!ご無沙汰しているのは何よりですね!」

 「先生、本当にお久しぶりです、最後はいつでしたかね、もう随分経ちますから覚えていないですが・・・・・」

「それで、今日はどうされました?」

「えー、かれこれ1、2週間くらい前ですかねー、身体全体がこー重いんですよ……」

「特にこの四、五日はとっても怠だるくて、熱っぽく、少し咳も出る感じなんです」

「ふん、ふん、うん、」


「あと、足、足の動きが遅くて。こー、なんて言うか、前に進まない感じで、それから疲れますね、直ぐに」

「そうですかー……なるほどなるほど、熱はどうです?測りました?」

「あ、はい、微熱ですね」

「血圧は?140の100、いつもより少し高いですかね?」

「んー、風邪かもしれませんね、今年は夏風邪の患者さん多くてね!」

「そうなんですか、症状的にどんな感じなんでしょうかね」

「今年のはね、咳が出るのよ咳が、あとね微熱が続くのかなー」

「とりあえず、少し強めの抗生剤を出しておきますね!」

「二、三日してあまり改善しないようでしたら、また直ぐに来て下さい」


 恐らく部屋は26、7度位に設定しているのか、エアコンのお蔭で頗(すこぶ)る快適な環境に、汗が引いていくのが如実に判る、そんな涼しさが院内全体に広がっていた。


『今日はちょっと淡白だったかな?』

 いつもは、深い所まで追求するのが、平岡先生の特徴的な診察スタイルで、様々な角度から答えを導き出そうとする姿が、患者さんの心を掴んでいる。

 処方箋を貰い会計を済ませると『……、んーんー、しょうがないな……』

 少しモヤモヤした気分でクリニックを後にした。抗生剤を3日分近くの薬局でカバンに入れると、『ブーン・ブーン・ブーン』と機種変したてのスマートフォンが、細身の白いパンツの中で、捕まえたての蝉の如く鳴った。


 『今晩19時位に現地集合で大丈夫でーす(笑)』


 長年クライアントの藤井さん、今まさに、クリニックを出た所とは知る由よしもなく、メールとは本来そんなもんだと、だからメールなんだと、

 まぎれもない薄っぺらな胸懐と共に画面一杯に広がっている。体調の影響か少し憂鬱とまでは言わないが、とは言え、さして気も進まない、優先順位としては、億劫な気持ちの方が一歩先に立っていた。


『そうだ。今晩、飯だったんだー』

 すっかり忘れていた……。そもそも何だろう、ここ1、2週間、実に酒が美味く無い。

 常日頃、仕事の延長として雑談すらも、酒のあてにしながら『軽くね!』が口癖になっている中で、流石に最近は年齢と共に、昔の様には行かない事も重々承知してはいたが、酒を飲み始めて35年、其れでもこんなに酒が口に合わないと感じたのは記憶に無い。

 それでも待ち合わせの時間が刻々と、気になり始めているのを犇犇(ひしひし)と感じながら、薬局から最寄り駅の、中目黒を目指していた。

 ゆっくりと歩いたとしても7、8分位の距離に頑張って歩くも、中々前に進まない足に『んー、何だろうな————』と、呟やきながら地面にしっかりと、へばり付きトロトロ進む蝸牛(かたつむり)の様な我が足。


 先週、藤井さんに『新子もそろそろ、終わりですね』なんてこちらから、お誘いのメールをした手前、旨い鮨をキリッとした純米酒あたりで、藤井さんは恐らく少しばかり、期待もしているだろうし、この間も『最近、大将の顔も見てないよね!』と、何気にチラつかせていた。

 そんな日々の中で、めっきりタクシーには乗らなくなった。と言うか乗らない様にしている。歩きや電車、バスなどを組み合わせて動いているからで、何と言っても渋滞が無く、イライラも消え、時間も読める点では最良だと感じているからで、今までは湯水の如くタクシーに乗っていたくせに、健康の為だとか何だとか言って、本当の所は経済的な原因で控えてるとは言えずにいた。

『中目黒からバスで大橋まで行くかな』

 タイミング良くバスの姿が見え『お!、ラッキー』ちょっと嬉しくバスに乗り込むと、一人掛けの椅子が空いていたので腰を下ろした。

『仕事もっと頑張らないとなー……』身体の奥底から、微々たる言い訳に近い、そんな声が聞こえた様な気がする中、目指す鮨屋は三軒茶屋にある。

 ゆるやかな上りの勾配の続く先、暖簾の揺れが見えれば、着いたも同然なのだが、それでも約束の10分位前には到着しながらも、カウンターに藤井さんの顔は無いのでホッと胸を撫で下し、L字の角かどは話がし易いようにと、有難い事に大体いつも同じ席を用意してくれていた。

 最近あまり見かけなくなった割烹着、曽て昭和の女性は必ず着ていた様な気がする、その襟元から覗く絽(ろ)に晩夏(ばんか)を感じる女将さん、さり気なく『素晴らしく冷たいお絞り』を、すーっと差し出すと、それは良くある居酒屋の風景、ビニールに包まれたお絞りとは違って、自宅で丁寧に洗った柔らかい生地のお絞りだ。


 昨夜の樽がちょうどその役目を終えてか、酒屋の車が今まさに帰り支度の最中、店の奥でまた新たな生命が吹き込まれた樽で、女将さんがビールの樽を用意していた。

 その滑らかな泡と豊かな香り、この季節、特別な世界へといざなってくれる、その調和のとれた見事なバランス比率、その満たされて行く姿に見とれながら、黄金に輝く液体はメイド・イン・ジャパンと言う名の、匠の磨かれし技とでも言うのか、極限まで削ぎ落とされた超極薄のグラスに注がれ、さしずめ、地球上で最も頂点に君臨するべき美術館に、完璧なるメインを飾る事を。唯一許された『至高の芸術品』とでも言うべきなのだろう。

 『いやいや!お疲れ様でーす』身体は絶不調極まり無いと言うのに、あまりに美しいそのフォルムに、心と体を完全に奪われ、そのこの世の物とは思えない、その黄金に輝く液体を、敬意の念を抱いだきながら、躊躇する事なくグラスの半分まで一気に飲み干すと、二人揃ってやっぱり出てしまうのだ。

『んー、うまい!、んー、美味しいね————』

「いつ飲んでも、ここの生は美味いねー」

「本当、別格ですよねー」

 藤井さんの飲み干した顔付が、いつにも増して輝きに溢れ、こっちまで嬉しくなってくる。

 そうこうしてるうちに、目の前には、如何にも旨そうな美酒美肴が並び始める。

 この2〜3日、日本各地の近海で、元気に悠然と泳いでいた魚や貝、蟹や雲丹など、海老も生であったり火を入れたりと、全ての食材がその磨き抜かれた技と、繊細な感性と大胆な発想の元、全く新しい命として生まれ変わろうとしている。

 これまた、煌く品々へと変貌を遂げ、口に入れた瞬間から別世界を彷徨い、本来人間如きに、食べられる為に生まれて来た訳では無いのだと、大声で叫んでいるのか。

 ここまで我々人間を幸福と堕落の境地に導びき、脳や身体全体、細胞の至る所まで、味覚と言う名の嵐に巻き込み荒波を乗り越え、もう二度と戻れない惑星で遭難したとしても、たった一人で、100万人の敵を相手に、戦うことになったとしても、別段構わないのだ。

『俺はそんなのヘッチャラなんだ————』

『大丈夫なんだ————』、と連呼している。

 鮨屋で過ごす至福な時間と言うのは、そもそも『そうゆう事なんだ!、なっ!そうだよな!』と、勝手に思い込んでいる節がある。

 ましてや日本が、世界を相手に誇れる究極の美味なる世界とは、絶対に『鮨』なんだと、声を大にして言いたい、其れこそ、ほっといて欲しいのだ!。

「そう言えば加賀見ちゃんさー、この間貰った企画ね、なかなか好評だったよー」ふ

 3つ目の酒が、そろそろ無くなる頃に、藤井さんが何気なく言葉を見繕みつくろっていた。

「多分、決まるね、間違いなし!」

「そうですか、そうなるとホント嬉しいなー」

 それなりに頑張って考えた提案だったので、本当に嬉しく思っていたのは確かで、だからと言う訳では無いのだが、4杯目の純米酒を頼んでいた。

 やがて脳や身体、細胞までが、気持ちよくズタズタにされ、曲がり角辺りで、「そうだ!そもそもの今日のきっかけの、新子(しんこ)をお願いします!」

「何枚つけます?」

「5、6枚良いですか?じゃー2貫2貫で」


 内野手のグローブとまで言わない大きな手が、小ぶりの新子を握るの姿が、余にも可愛く見え、そんな事を伝えると嬉しそうな顔をしていた。

「ホントこの季節、実は新子の仕込みは大変なんですよ……」

「でもね皆な好きだしさー、無いと申し訳ないからねー」

 決まって、この流れでワンメーター位で着く、これまた見目好(みめいい)女性が、艶やかな着物で、経営やっているワインバーで、軽く呑むのが定番になっているのだ。

 最近随分増えて来たと感じる、女性のタクシーと視線が合うと、軽やかにドアが開いた。

「藤井さん、お先にどうぞ」

「加賀見ちゃん先に乗りなよー」

「いやいや、実は今日は未だ、事務所に戻って、少しだけ仕事があるんですよー」

「マジでー、行かないのー、何よー調子狂っちゃうじゃん!」

「ホント、ごめんなさい今日は、次は絶対付き合いますから」

 嘘が上手につけないなのか、なかなか歯切れの良い言葉も見つからずに、その場凌ぎでも何とか、藤井さんをタクシーに乗せ手を振った。


『帰るんだー……、はーっ……』

『早く帰って寝るんだ————』

 未だ未だ時間的には余裕を見せていようとも、明日は少しでも改善している事を願い、やや強めの抗生剤を鞄の中から取り出し、本当に何も考える事なく、夜中にトイレに起きる事など以もっての外ほか、兎に角いっぱい寝るんだと強く念じて、タオルケットに包まった。


        2話


 翌朝は、すんなりと目覚める事が出来た。薬のお蔭もあるのだろうか、其れなりに睡眠が取れた感覚が身体に広がり、酒が残っていないと確認した後、飲み込んだ唾が大声で叫んだ。


『なんだこれ、スッゲー痛てー』

 喉の奥底から感じる激痛は、未だ曽て経験した事が無い痛みとして、一筋縄では行かない事を一瞬で決定付け、起きるのを断念させる程だった。

 一体全体身体は、どんな事になっているのやら……。毎日の習慣とは恐ろしいと感じつつ、携帯の電源はオフってはいなかったからで、見た所、着信とメールが何件かあるものの、画面に意識が全く行かなかった。

 今は兎に角起きて色々身体と相談しなければいけないし、水分も大至急、乾いた喉と身体に流し込もうと、何とか頑張って起き上がった。

 一先ひとまず起きる事に成功したものの、フラフラに成りながらも、何とか冷蔵庫まで辿り着き、サハラ砂漠か鳥取砂丘と思おぼしき身体に、東京都の水でも炭が入ったポットを取り出すと、その潤おいは即座に吸収を開始した。

 喉の痛みが強さを増し、扁桃腺(へんとうせん)の奥の奥、食道の始まり辺りと感じる。

 今まで経験して来た『あ、喉が痛い』のレベルでは無い。息を吸っても痛い喉に、得体の知れない、慄(おのお)きを感じ取っていた。

『んー、マジでヤバイかもしれない・・・・・』

 『よし、兎に角何か食べて薬を飲もう……』と、かろうじて意識を切り替える事は出来た。

 とは言うものの、今日は先々週辺りから、延々と引きずっている、難儀な仕事を前に進めるべく、それなりの形にしないといけないのだ。

 事実、大事な打ち合わせや会議がたっぷりと詰まっているので、休む事は許されない状況で、フラフラになろうとも、外に出て歩き始めた瞬間、それは竹富島の牛車と競争したら、完全に負けるだろうと思う程の足取りだ。

 ほぼ毎日乗っている路線バス、何時いつもなら3分も歩けばバス停に着く。今日は大分余裕を見ていたので、スマホは5つ手前と表示していた。

 バス停には5、6人の姿が見えたので安心していると、2個前の信号で止まったバスの姿が見え、ギリギリだった足にヤバさが増した。

 どうだろう、恐らく5時間は費やした会議や打ち合わせが終わり、もう喋る気力も消え失せ、大事な書類の上に顔を乗せたまま、暫し目を瞑った。

『んー、だめだ————、マジで、ダメ……』

『もー本当にダメ————』

 とうとう、毛細血管の隅々まで勢いよく駆け巡り、その輪郭すらも、はっきりと見えるまでに成長を遂げていた感じで、得体の知れない病気が、軍団で攻めて来たかのようだった。


 フラフラでスローモーションの足が、此処ここぞとばかりに叫んだ!

『もう絶対に歩かないぞ————』

 タクシーで、何とか平岡先生の所へ辿り着くと、患者さんは一人だけだったので、それこそ直ぐに名前が呼ばれた。

「どうですか?加賀見さん」

「先生!全く駄目です、昨日よりダメです……」

「加賀見さん、熱は?どう?」

と言った時にはもう体温計が、脇の下にあるのだ。

「38度3分、そうかー、喉はどう?」

「相当痛いです、半端じゃ無いですよ」

これまた、すぐに喉の中を、丁寧に診たかと思うと続けざまに。

「咳せきは?咳?どう?」

「昨日より増して、咳も出ますね」

『そうか・そうか』と、先生は自問自答しながら、表情は真剣その物これこそが平岡先生の先生たる所以ゆえんなのだ!

 看護師さんの一人にその素敵な声で『あれ!あれ!、写真の用意して、大至急ね!』と、そのスピードは更にグングンと上がり、ジャンボ旅客機がその350tと言われる巨体が離陸する為に必要とされる、時速850キロにも達していたかも知れない。


「加賀見さん、レントゲンを撮りましょう!、レントゲン!」

バタバタとしながらも、前、横、後と3枚を、チャチャッと撮り終えた。

「ちょっとだけ待ってて、大至急見せるからね」

「そうだなーちょっと座って、あーそれとも横になる?」

「そ、そうですね、んー、横になりたいですね」


 恐らく先生はもう既に何かを、感じ取っていたのか、一連の動きの中で何処に向かっているのか、先生は明確な答えを持っている様にも見えていた。

 野生の勘とでも言うのか、普段から色々な患者さんから信頼されている、平岡先生の持っているとされる、本来の嗅覚が、完全に機能し始めたような感じが溢れて出していた。

 リアルな世界感に付随して様々な音が聞こえている、レントゲンのフィルムを、交換する音。パソコンのキーボードを、叩く音。

 目の前で行われている様々な処置に、誠意を持って必ずや寄り添うようかの音。若もしかすると横たわっていた時に、意識が1、2分落ちていたかも知れず、先生はその瞬間を見逃さず、而も採血も終えていたのだ。

 その大切な血液はもう既に、首尾良く何かの機械に入れられて、ある意味、診察室の中は今まで流れていた空気とは、一線を画していたと思うし、完全に質の違いを見せつけていた。


 その数値を今か今かと待っている先生、採血して通常ならば1、2日しないと、結果が出ないと思っていたが、実は直ぐに判るのか。

 そんな初歩的な所で、既に時代に乗り遅れた感一杯で、その音の良し悪しスピード感は、今は、とても重要な要素として、診察室を埋め尽くしているのだろう。


 大凡の事実も判明したのだろう。

『加賀見さん、昨日少し感じていたのね、胸の音何だけどね』

レントゲンに写っていた音の犯人は、しっかりとした『肺炎』だと言い始めたのだ。

『かなりヤバイかも知れないね、本当に』

 両方の肺が真っ白になり、特に左は急速に低気圧が発達し、見るからに厚い積乱雲に覆われた様な、写真を手にしていた。


 7、80歳代の方がなる病気だと思っていたし、まさか自分がそうなるとは。恐らく『肺炎』になりそうだとか、一歩手前などは今までもあったと思うが、しかし、両方の肺が真っ白になっている様な状況は、無論初めての経験なので、まるで想像がつかないと言った方が正しいだろう。


「先生、松竹梅だと、どの辺りですかね?」

「そうねー、松と竹の間かな、でも少し松に近いね、いや『松』だなーやっぱり!」

「足がフラフラとで歩くスピードが、遅いと言ってたじゃない」

「あっ、はい」

「酸素が足らないよ、息苦しく無い?」

「そう言われると、息苦しさを感じますね、吸う時ですかね……」

「あれよ!あれ、ほら早く早く————」


 咄嗟に看護師さんを呼ぶ声、先生は珍しく鋭い口調で診察室を少し凛とさせた。

「酸素は?鼻じゃ無いよ!口からだよ!、大きい方だよ!そうそう、それよ!それ!」

「加賀見さん、あれさー、入院するとしたら何処の病院?」

「えーとあそこですよ、国立の大学病院ですかね」

「あ、そうか今直ぐに連絡するから、ちょっと横になってて、酸素酸素、早くして!」、

「奥さんの携帯番号は?すぐに電話して」

「加賀見さん、何番ですか?奥様」

「えーと、ちょっと待って下さい覚えてないから、携帯が無い、あ、リュックの中だ!」

「その格好だと向こうで、色々やりらそうだから」

「奥さんに言って、短パンとシャツみたいのに、着替えた方がいいね」


 空気の層を少し破壊したかの様に、遠くの方からサイレンの音が聞こえ、その音は判り易く段々とその色を濃くして聴こえると、やがて体に響くまで成長した音に変化を遂げた。

 早くも救急隊が到着したのだ。サイレンの音は、戦争中に焼夷弾(しょういだん)の雨が降り、防空壕に轟く爆音と避難を促す、あのサイレンの音に似ているんじゃないかと、経験は無いと言えども何かそんな様な気がした。

 横になってからは、現実から目を背そむけているでも無く、右手の甲を瞼に乗せていると、上から感じる腕の重みが適度の刺激となり、眼球のコリがスーッと消えて行く、アノ感じだ!

 その身体は早くも救急搬送用の、ストレッチャーに固定され、その姿は、まさしく昆虫採集の箱の中か、はたまた覚悟を決めた鯉の姿になり、もう完全に身動き取れない状況下に置かれ、救急隊員に一人が、マスク越しに大声で呼びかけていた。

「お名前を教えて下さ————い」

「加賀見と言います……」

「加賀見さーん?大丈夫ですかー?」

「頑張って下さいね­————」

「直ぐに病院に行きますのでね————」

 けたたましいサイレンの音が車内全体に響いていた。主役としては初めて乗る車内で聞くと、其れは其れでちょっと不思議な感覚の中、他界した父親の時には随分と一緒に乗った思い出と共に、そのスピードを全く緩る事なく、揺られる事10分程で大学病院の裏手に滑り込んだ。

 意識ははっきりとしていたに違い無く、未だ、夕方なのに救急外来はかなりの人で溢れ、平岡先生から既すでに一報があったのか、バタバタとその辺りを掻き分けて、ストレッチャーがテキパキと走って行くのが判った。

 余りにも突然の出来事に、正直動揺しながらも、ストレッチャーから、簡易ベッドに移されたが、30分位は放置されていたと思う。

 見るからに若く経験値の乏しそうな顔をした、数人の若い医師達の顔が、どうだろう20代後半だろうか、代わる代わるやって来ては、さして急ぎで診察する訳でも無く、得体の知れない病気に対して、現実問題必ずや知っておかなければならない『現状の把握』を行っている。

 目を閉じながら、今までとは違う匂いを嗅いだ。ふと、目を開けると、25、6歳位だと思う、胸には鈴木美砂とあり、大抵の男は『え?どうなの?』と、要するに鈴木さんは『良い女』とはっきりと認識出来る看護師の顔を見ていた。


 状況的に決して、許される事では無いかも知れないが、完全に理性とは別のドロドロの血液が、体の一部に大量に流れ込んだ。

 すべからず、ここ2週間余りの体調説明も終わり、やっと血圧やら熱を測り始めてくれた鈴木さん、『んー、やっぱり良いな……』時代だろうが、状況だろうが、そんなのは全然関係無く、体はある意味正直なのかも知れない、本来動物とはそうあるべきなのだろう。


 『大丈夫だ!生きている!』

 38度7分。体温計はそう表示し、間違える事が少ない、デジタルな産物がここにもある、デジタル数字は相当しっかりした、説得力を持って映し出していた。

 かれこれ2時間以上、今か今かと待っている妻、入院の手続きやらこれから部屋で必要とされる一式を、僅かな時間で揃えて、見るからに丈夫そうな生地で作られたトートバッグに入れて持って来てくれていた。

 本当に有難いと思っていた。こんな時だからと、言う訳では無いのだが、女性の感性とは本当に素晴らしい。決してオーバーでは無くマジで素晴らしいのだ。

 自分だけなのか、恐らく取っ手はあるとも、その辺に転がってる様な大きな紙袋に、無駄な物まで入れ結局その紙袋は破れて、間違いなく二度手間と言う結末になるのだ。

『男と女の違いだろうか、個人的な問題なのか?どうなんだろう……』


 名札が曲がっていて名前が見えなかったが、年齢的には見るからに若い21、2歳、そんな看護師が現れると、比較的小さな声が耳元で聴こえる。

『加賀見さん、採血しますね』

 その言葉には続きがあり『足の付け根から採りまーす』まー、古今東西、採血と聞いて『ヤッタ!』と、喜び勇んで、全身で嬉しさを表現する人は、そうはいないだろう、大抵の人がまず顔を歪るのが普通だと思う。

 その看護師の口調が軽く、足の付け根からのそれは、実は結構痛いのだ。そんな事は全然知らなかったし、追い討ちをかける様に、『全部で7本摂りまーす!』と、更に不安を煽あおる言い方に、恐らく研修中なのだろうか、その手際の悪さと言ったら相当だった。

 針の痛みで眼は固く閉じていた。辛く痛々しい7本に、相当じれったさを感じながらも、足の付け根に刺さる針の数は、トータルで倍以上になっていたからで、総ての採血が終わるまでに、恐らく1時間は費やした感じだ。

「加賀見さんお疲れ様でした。すいません、本当にすいません、何度も……」

「いやー、大丈夫ですよ」と、強がって見せたが心の中では『ふざけんじゃね————』と叫んでいたが、

 色々とあったけど兎に角、何とか採り終えほっとしていた。

『フーッ、とにかく一歩前進だ!』

『このお薬なんですが、ベロの裏に乗せて下さい』舌の裏側で、ジワジワ溶けて行く。

 するとどうだろう、本当に5分と経たない内に、身体が楽になるのを感じていると、急激に睡魔が押し寄せ、夢と現実との狭間で、昔の記憶が蘇っていた。

 其れこそ、小学校の頃に夢中で観ていたテレビ、恐らく日本中の小学生の全てが、ライダーカードを集めては、クラスで自慢げに話したり交換したりしたと思う、昭和が生んだスーパースター、そう『仮面ライダー』の様に。


 而もライダーカードが欲しくて、食べずに中のお菓子を捨てた記憶が、子供ながらに罪の意識と共に甦がえる、坊主頭なので髪の毛は無いのに後ろ髪を引かれた。

 1台目は誰かに貰った様な気がする自転車、母親に無理を言い買って貰った2台目には、フラッシャー付きの12段変速、確か仮面ライダーが付いていた気がする。

 小学校ついでに思い出すのが、日直で、コークスを運び年代物のストーブに焚くべると、バケツの凹みが朝の軋む廊下に揺れた朝、校庭で転んだ時に砂が口に入って『ジャリっと』噛んだ懐かしき夕暮れ。

 泥んこになって遊んだ校庭、水飲み場で手を洗う昭和の石鹸、妙に泡立つ蜜柑の網が、鮮明に記憶に去来していた。


        3話


 『キーン』『シューン』『キーン』『シューン』『キーン』

「イイネー、良いじゃん!啓介!」

「うん!、飛んでると思うよ!2、30ヤードは違うかもね」

「あ、そう、そんなに違う」

「あとねー、やっぱり軽いね!軽いから思いっきり振れる気がするね!」


 1985年夏、啓介は、父親と行く練習場で、ドライバーをひたすら振っていた。

 今年、アメリカから入ってきた、金属製のヘッドが付いたドライバーだ、其れこそパーシモン製のそれは、確実に新しい時代の波に飲み込まれた形で、その姿は消えようとしてた。練習場からは彼方此方で、金属音の甲高い音が数多く聞こえていた。


「お父さん、スプーンとクリークも揃えた方が良いと思うよ!」

「じゃー、ちょっと帰りに見ていくか!」


 父親のゴルフ仲間の一人に、梶浦健と言う人物がいた。年齢的には、53、4歳位だろうか、正確な年齢は定かでは無なかったが、年相応の顔をしていたような記憶が残っている。

 当時加賀見啓介は大学の、ゴルフサークルに入っていた事もあって、そこそこの腕前に、父親もそんな息子が少しだけ自慢だったのか、よく自分のメンバーコースに連れて行ってはラウンドしていた頃だ。


 そんな一連の流れで、その日もラウンドを終え帰り支度をしていると、梶浦が少し慌てた表情で、啓介の父親に近づき話しかけた。

『加賀見さん悪いんだけどね、運転を頼まれて欲しいんだけどね……どうだろうかね?』

 梶浦が自ら運転して来た車があったのだが、何でも同伴競技者とのニギリの事で、随分と揉めていた、結果的にどうやら酒を飲んでしまったと言うのだ。


 「息子さんどうかな?」

「大丈夫ですよ!、まー聞くまでも無いでしょ!」

まー至って良くある話だ。


「別に構わないけどね……」


 そんな訳で自分の車は、父親に任せる事にして、会計を済ませ待っていると、風呂場から出て、真っ赤な顔の梶浦『悪いねー、よろしくね!』と、ヘビ皮のキーホルダーを手渡した。


「グレーの車、玄関の一番近くにあるから直ぐに判るよ」

「あ、そうなんですか、あ、はい、判りました」

「ナンバーが全部『1』だから」。

 駐車場に歩いて行くと『11・11』その車は完全に他の車とは違う、独特のオーラを放っていた。


 そのビカビカで重厚な車体は見るからに、納車して未だ日が浅いのだと言わんばかりに、威風堂々と鎮座し、車内は新車独特の鞣革(なめしがわ)の匂いが鼻を突く、真っ白な革製シートがやけに眩しい。

 内装一つ取っても、まるで貴賓室を思わせる、絢爛豪華か其の物と言っても過言では無く、確実に我々一般的国民には縁もゆかりもない車、イギリスが誇るベントレーだ。

 実際こんな車に乗った事も無ければ、運転した事も無い訳で、正直目眩めまいがしていた。


『えー、大丈夫かな……、ぶつけたらどうしようー、ヤバくない?』ゴルフバッグを抱えた梶浦が、乗り込むと笑いながら話していた『心配しなくて良いよ!保険はバッチリ入っているからね!』


 唯一の安心材料が『右ハンドル』だから『よし!』と言ってエンジンを掛けると、縦横合わせて巨大な車体は滑り出す様に、静かにゴルフ場を後にした。


 手に汗握る啓介は一路、その梶浦の住んでいると言う南麻布まで制限速度を下回り、緊張と言う名の車線を脇目も振らずに、ひた走っていた。


 周りから見れば当然のように、後部座席で寝ている梶浦は間違いなく、会社の社長か会長だ。啓介は世に言う、制服と帽子に白い手袋と言った、見るからに運転手丸出しの格好では無いが、どう見ても雇われの運転手だろう、絶対にそんな風にしか見えていなかっただろうと思う。


 京葉道路の入り口まで来ると、少しだけ車にも馴れて来たのか、料金所の手前で速度を落とした。

「後ろで取るから、少し前に行ける?」

「あ、はい、……、この位で良いですかね?」

「ダメだ届かなや、いいや」

 そう言と梶浦はドアを開け、降りてチケットを受け取った。

『天現寺で降りた方が近いからね』そう言いながらも少し疲れたのか、あっと言間に豪快な鼾(いびき)を掻き始めていた。


 運転自体は手馴れていた啓介は、そろそろ最後の分岐に差し掛かると、タイミング良く目を醒さました梶浦が、スッキリした顔で『ありがとうね!』と、まことしやかの笑顔を浮かべていた、何だろうか何か明らかに違う、生き物と言うのかその人としての匂いが、普通の人間とは、明らかに違う感じがしていた。


 経験も実績も何にも無い啓介でも、その匂いが判る位の人間だったからで、今の時代のようにスマホも無ければカーナビも無い1985年、時代的には昭和の匂いが色濃く残っている中で、極々限られた人だけは、そろそろ移動電話を持ち始めた頃だ。

 今現在、2018年から見れば、ほぼ原始時代と言っても過言では無いだろうし、日本中の殆んどの人間が、未熟と言ってもおかしく無い、まさしくそんな時代だった。


 ようやく南麻布までたどり着くと、手に汗握る啓介は、腕と肩が強張(こわば)り喉もカラカラで、近くにある自動販売機で、迷いながらも冷たい緑茶を押すと、一気いっきに飲み干し落ち着きを取り戻していた。


 事故も無く無事に辿り着き、手に汗握らない車に戻りともあれ、ほっとしていた。一度車を降りた父親が、梶浦と立ち話をして戻ると、後でゴルフ仲間と飯を食うから、良かったら一緒に来ないかと話になっていたのだ。


「啓介はどうする?行くか?」

「行っても良いなら行きたいな!、大丈夫?浮かない?」

 そんな別れ際、お礼にとティッシュに包くるんだ志(こころざし)を、暫らく両足に挟んで家路に就いた。

『渋谷まで電車で行こう!』

 どうやら渋谷から、新橋行きのバスに乗れば、店のすぐ側まで行くと言のだ。

『お父さんさー、あの人何だか知らないけど、普通じゃ無いよね、絶対普通じゃ無いと思うんだよね』

 並木橋を過ぎた辺りでバスに差し込む夕日が眩しく、啓介はいささかかソワソワしていた。


 天現寺、光林寺、四の橋を過ぎた辺りで、父親が『ピンポン!』を押し、古川橋の停留所を降りると、目指すお店は歩いて直ぐの所にあり、入り口はとても分かり辛く、無機質な扉の先に又無表情な扉があり、知らなければ絶対には入る事は無いだろう。

 そして、そこには店名を記しるす看板は無く、2台ある防犯カメラが扉の色と合わさり、存在を目立たなくしていた。


『いらっしゃいませー』


『イラッシャイマセー』

 まだ時計の針は、6時前で、ホステスが数多くいて、民族衣装を着て接客していたのが、若い啓介くんには刺激的で、ここは恐らく大人の社交場なんだと感じていた。


 我々親子も入れて7人の座敷では、焼肉の煙が立ち上がり、色鮮やかな料理も沢山食べると、周りの大人は『飲みなさい、飲みなさい!』と、気を遣ってくれた。

 大分お酒も回り始めた頃だろうか、ゴルフの『ニギリ』の事で、又言い争いが始まったのである。


 それは梶浦に対して一人がどうしても譲ない事で、自体は収集がつかない様で、その人が折れればその場は収まったような空気に、啓介ですら感じる程である。

 そこから、かなりエキサイトして来たのか、えらく忘我した形相で、烈火の如く怒りが炎上して、どうにもこうにも手がつけられない状況に『これで何とかしてよ』的な話で、多分大人の最終兵器を露骨にも差し出すと、何とかその場は収まりお会計の声と共に、次に行こうと梶浦が息巻いていたのだ。


「僕はそろそろ帰りますので」と、出口に向かっていると、トイレから出て来た啓介に、「良かったら行くか?」と、梶浦の一言に、啓介は、父親の方をチラッと見ると、あまり良い顔をしていなかったが、半ば強引に連れて行かれた形だ。


 啓介の車にも二人乗り、タクシーと2台の車は、7人で赤坂方面に向かっている中、『あの先に、黒と赤の看板があるでしょ!見える?そこね、中華料理屋のビルがあるから、車は、そこに停めれば良いから』

 みすじ通りの中華料理店に置かせて貰い、正確な場所は全く判らないが、そのあたりの派手めなビルの三階に吸い込まれた。


 エレベータの扉が静かに開くと、黒服の3人が飛んで来た。本当に『飛んで来た!』と啓介は感じていた。

 瞬く間に席に案内されると、梶浦が頻繁に来ていると思われるテーブルには、色々な種類のお酒が並び、それはそれは圧巻であった。


 一通り蝶や華も座った所で、さっきまでニギリで揉めてた人とは思えない、生まれ変わったニギリの人が、それはそれは大きな声で『か・ん・ぱ————い』の音頭で呑み始めると、もう呑むしかない状況だった。


 啓介は完全に大人のヤバい世界を、垣間見た瞬間だった。


「啓介君!歌でも唄うかい?、そろそろバンドが始まるから、生で唄えるからね」

「そうなんですか、歌は好きですよ、中学でフォークバンドで、高校でロックバンドを組んでいましたから」

「そうか!良いねー、何唄う」

 広い店内にも拘らず啓介の歌は、プロの歌手が突然ステージに立ったかに見え、唄い終わると割れんばかりの拍手に包まれた。


「啓介君、上手いねーびっくりしたよ、本当上手いね!」

「ありがとうございます」


 結構呑んだと思う、それなりの時間が経っていたと思われる赤坂の夜は、ニギリの人がしたたかに酔っ払い、隣近所にまで話し掛けたりチョッカイを出すので、そろそろお開きなムードになった。


 一軒目もそうだったがここも梶浦がご馳走してくれた。どう言う人間なのだろうか?

 そしてどんな仕事をしているのだろうか?一体全体これは何なのか?啓介はかなり、気になっていたし、興味津々だったに違いない。


       4話につづく

                               

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